二十歳の節目、飛躍の年に 唄者、シンガー・ソングライターの楠田莉子さん

17年3月の卒業&レコ初記念ライブではバンド演奏をバックに激しいパフォーマンスを見せ観客を驚かせた=奄美市名瀬のライブハウスASIVI

17年3月の卒業&レコ初記念ライブではバンド演奏をバックに激しいパフォーマンスを見せ観客を驚かせた=奄美市名瀬のライブハウスASIVI

 昨春、奄美市の県立大島高校を卒業した。ほとんどの同窓生が進学のために島を離れる中、島に残り音楽活動に専念する道を選んだ。小中学生時代に民謡の全国大会で2度の日本一に。17年の民謡民舞奄美連合大会で最高賞の協会賞を受賞するなど若手唄者として躍進を続ける一方、ギター一本でオリジナル曲を発表するシンガー・ソングライターとしての顔も併せ持つ。今年二十歳の節目を迎える新進気鋭のアーティストに新年の意気込みを聞いた。

 

 ―卒業してから変わったことは。

 

 「島外でのイベントやライブなど卒業したからこそできる活動も増えて充実した1年だった。最初のうちは、同窓生たちと違う進路になるので『頑張らなきゃ』と気構えていたが、バイトや音楽活動をしているうち、『そんなに慌てなくてもいいのかな』と余裕を持って考えられるようになった」

 

 ―歌手を志したきっかけは。

 

 「島唄から転向したと思われることも多いが、実は小さい頃からポップス歌手が夢だった。一番のきっかけは保育園の送り迎えの車内で聞いていた元ちとせさん。島唄を習い始めたのも、ちとせさんに憧れたから。島唄を頑張ったら、ちとせさんみたいになれるかなと。根っからの『ちとせチルドレン』なんです」

 

 ―島外での活動は増えた。

 

 「島唄だけでなく、オリジナルで呼んでもらえることも増えてきた。東京に何度か行く機会があり、都内の奄美会などに参加して、島のネットワークのすごさをあらためて知った。行けば『誰々の親戚だよ』とか『誰々と同級生だよ』とか話し掛けられる。どこに行っても共通の知り合いが少なくても5人はいる。島を離れても絶対悪いことはできないなと思い知らされました」

 

 ―島唄とオリジナル。歌う上で意識の違いは。

 

 「幼いころはポップスも演歌も島唄も皆一緒。単純に歌うことでひとくくりだったけど、ちとせさんや前山真吾さん、中孝介さんなどが島唄を歌う姿を間近で見てすごくかっこいいと思った。以来、島唄は別格という思いが生まれた。歌い方や舞台度胸を鍛えてくれたのは島唄。東京でライブした際に『歌っている姿がきれいだね』と言われたのがすごくうれしかった。歌う時の姿勢や表情などは島唄を続けてきたからこそ身についた。ポップスは好きな服、好きなお化粧をして好きなことを歌いたいけど、島唄は偉大な先輩たちが歌い継いできた宝。島唄を歌うときは意識も服装も変えています」

 

 ―オリジナルを作り始めたきっかけは。

 

 「最初に作った曲は高校1年のときに3年生の先輩2人と一緒にバンドを組んで作った。歌のうまい子はたくさんいるけどオリジナルを歌う子はいなかったので、誰かが始める前にやってしまおうと。とにかく目立ちたがり屋で負けず嫌いなんです」

 

 ―今後はどんな活動を。

 

 「普段過ごしている中で見落としがちな小さいこと、ほんの些細な出来事でも歌にできるアーティストになりたい。今は島唄で島外に呼ばれて、それに合わせてオリジナル曲を演奏できるライブハウスを探すというやり方が多い。島唄で呼ばれた時には少しオリジナルを歌わせてもらうこともあるけど逆はないですね。奄美島唄の唄者という看板は大きいけど、その力を借りずにオリジナル曲で勝負したい」

 

 ―新年の目標は。

 

 「島外でのライブの数を増やしたい。昨年は本格的なライブが4~5本というペースだった。今年は月に1、2回くらいできるようになりたい。方向音痴ですが電車にも乗れるようになりました。移動や宿泊のさばくりとかまだ慣れていないこともたくさんあるけど」

 

 (くすだ・りこ) 1998年9月24日生まれ。6歳から島唄を習い始め、小中学生時代に民謡民舞少年少女全国大会で2度日本一に輝いた。2015年のかごしま国文祭の開会式で歌を披露するなど幅広く活躍。作詞作曲も手掛け、大島高校卒業後にセカンドアルバム「half and half」を発表。奄美大島を拠点に音楽活動を展開している。

民謡日本一を機に手に入れた三味線。「島唄の恩師、隈元範久さんとの思い出が詰まった宝物」=奄美市の自宅

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