村田新八と喜界島語る 維新ふるさと館 肥後さん講演 喜界町

 

村田新八と明治維新について語る肥後さん=15日、喜界町役場

村田新八と明治維新について語る肥後さん=15日、喜界町役場

 喜界島観光ワーキンググループ会議(柳田慶一会長)が主催する「村田新八」講演会が15日、喜界町役場コミュニティーホールであった。鹿児島市維新ふるさと館の歴史解説員、肥後秀昭さんが講演。約170人が聴講し、村田新八の活躍や幕末・明治維新の動向について理解を深めた。

 

 村田は幕末の薩摩藩士。西郷隆盛を尊敬し、信頼も厚かった。1862年、寺田屋騒動を扇動したとして、西郷隆盛とともに島津久光から疑われ、喜界島へ流された。西郷が赦免になり、沖永良部島から上鹿する際、喜界に立ち寄って村田を連れ帰った。

 

 明治政府で、西郷に推挙されて宮内大丞に任命。岩倉具視使節団の一員として欧米を視察して帰国後に辞職し、帰鹿した西郷に従った。西南戦争で薩軍大隊長を務め、西郷の最期を見届けた後、政府軍に突撃し戦死したとされる。

 

 肥後さんは村田について「西郷から厚い信頼を得ていた」と強調し、「討幕計画を慎重に進めるためのあっせん役としての重要な役割を担っていた」と説明。喜界島で飢饉(ききん)を経験したこと、子どもたちに勉強や弓を教えたことにも言及。「喜界島を担っていく人材を育てることに貢献した」と紹介した。

 

 会場からは「流刑はどのような意図、効果があったのか」「西南戦争で薩軍に従軍し、戦死した前田盛秀(伊実久出身)と村田新八は面識があって従軍したという認識でいいか」といった質問があり、関心の高さがうかがえた。