大島時代の貴重な作品も紹介 那覇市で宮城健盛展

新たに見つかった大島中教員時代の作品。右下に「K.MIYAGI」とサインが記されている=12日、那覇市の沖縄県立博物館・美術館

新たに見つかった大島中教員時代の作品。右下に「K.MIYAGI」とサインが記されている=12日、那覇市の沖縄県立博物館・美術館

 戦後沖縄の美術界を代表する画家、宮城健盛(みやぎ・けんせい)(1915~2001)の展示会「宮城健盛展 人と美術をつなぐもの」が那覇市の沖縄県立博物館・美術館で開催されている。油彩や水墨画など98点と、宮城に影響を受けた後進の作品など41点の計139点を展示。奄美大島での教員時代に描かれたとされる油彩画が今月、奄美市で見つかり、当時をうかがえる貴重な作品として紹介されている。

 

 今回見つかった作品は宮城の教え子で元旧名瀬市助役の関務郁(せき・つとむ)さん(故人)の自宅に眠っていた。粗末な杉板に島の風景を描いた油彩画で、1947~48年ごろの作品と推定される。

 

 担当学芸員の梶原正史さんによると、宮城の作品で現存が確認されている最も古いものは54年の風景画だった。大島時代に描いた作品のほとんどは沖縄で販売されたか保管していた建物が火事になり、焼失したという。

 

 展示会の開催に当たり9月初めに奄美大島で再調査したところ、名瀬美術協会の久保井博彦会長が「関さんのところにならあるかもしれない」と梶原さんを関さんの自宅へ案内。家族の許可を得て仕事場を探すと、程なくその絵が見つかった。

 

 梶原さんは「アカデミックな描き方で、すぐに宮城先生の作品だと分かった。粗末な杉板で色数も少ないが、当時はキャンバスや絵の具を買う経済的な余裕がなかったのだろう」と話し、宮城の原点ともいえる大島時代の貴重な作品だと評価した。

 宮城健盛は沖縄の南風原村(現在の南風原町)で生まれ、沖縄県立第一中学校(現首里高校)、東京美術学校(現東京芸術大学)図画師範科を卒業後、美術教員として1941年、大島中学校(現大島高校)に赴任した。戦争のさなか44年に応召し46年に復職。50年に沖縄に引き揚げ、高校教員を経て琉球大学美術工芸科の教授に就任した。沖展や「旺玄会」「創斗会」などさまざまな団体と関わりながら精力的な創作活動を展開。定年退職後も美術教育や沖縄画壇の発展に尽力した。

 

 名瀬市美展(旧名瀬市主催)の第11回(90年)から5回にわたり審査委員長を務めたほか、沖縄との美術交流事業「道の島美の交流展」(91~2002年、旧名瀬市主催)の審査に携わるなど、奄美の芸術振興にも大きく貢献した。

 

 宮城健盛展は10月28日まで。9月29日に予定していた記念シンポジウムは台風接近のため、10月13日のキュレーター(学芸員)トークと同時開催する。

生前の宮城健盛(1980年ごろ)

生前の宮城健盛(1980年ごろ)