奄美、保岡さん惜しむ声広がる

旭日大綬章の受章祝賀会で、笑顔で入場する保岡興治さん=2月16日、奄美市名瀬

旭日大綬章の受章祝賀会で、笑顔で入場する保岡興治さん=2月16日、奄美市名瀬

 元法相で宇検村出身の保岡興治さん(79)の死去を受けて20日、奄美でも驚きと悲しみの声が広がった。病気を理由に政界引退した一方、2月に奄美市名瀬で開かれた旭日大綬章受章祝賀会では元気な姿を見せていた。地元関係者は政界重鎮の悲報を惜しみつつ、奄美や鹿児島の発展、司法制度など各分野の改革に尽力した功績をたたえ、冥福を祈った。

 

 保岡さんの現職時代に12年間秘書を務めた金子万寿夫衆院議員は「3月中旬に鹿児島市で食事した。体調も良さそうで安心していた。残念な気持ちでいっぱいだ。厳しい時代の選挙戦も経験させてもらった。政策に真正面から取り組む政治家の姿勢も学んだ」と振り返った。

 

 同じく17年間秘書だった永井章義県議は「言葉に言い表せないほど残念。国政の課題に一生懸命に取り組む姿を忘れてはいけない。サトウキビなど地域産業と、奄美の振興開発の道を切り開いてきたのは保岡氏だと思っている。その思いをしっかりと受け継ぐ」と強調した。

 

 森山裕自民党県連会長は「奄美のサトウキビ産業や奄振法の拡充に力を注ぎ、大島紬など伝統産業の保護制度にも尽力した。改憲については、できるだけ多くの政党が理解を示した上で国民の判断を仰ぎたいとの気持ちが強かったようだ」と語った。

 

 禧久伸一郎県議は元衆院議員の徳田虎雄さんとの間で繰り広げられた激しい選挙戦に言及し、「思えば保岡先生も徳田理事長も奄美を良くしたいという『富士山の頂上』を目指した。私は徳田理事長の秘書を務め、自由連合で県議になった。立場を異にしていた私が自民入りするとき、保岡先生は『頑張れ。奄美を良くしたいという気持ちはみんな一緒だ』と励ましてくれた」と回顧した。

 

 向井俊夫県議は「奄振延長や内容充実の功績はもちろん、奄美をモデルケースに全国の離島振興に取り組んでいた」とたたえるとともに、「長男の宏武さんには先生の意思を継いで立派な政治家になってもらいたい」と期待を寄せた。

 

 奄美の行政や経済関係者も一様に驚いた様子。朝山毅奄美市長は「いつも笑顔で温和な先生だったが、奄美の振興を語る姿には誰もが引き付けられた。さらなる飛躍へ向けた大事な時期に、偉大な政治家を失ったことは本当に残念でならない」と惜しんだ。

 

 出身地宇検村の元山公知村長は「名誉村民であり、個人的にもご指導、ご助言をいただいた。奄美群島の振興発展に強力なリーダーシップで貢献していただいたことにただただ感謝しかない」と敬意を表した。

 

 「時々プライベートで先祖の墓参りに来ていた」と明かしたのは同村須古の主婦肥後和子さん。「先月も一人で来られて、湯湾の店でよもぎ餅を買って『おいしい』と感激していたという話を聞いたばかり。宇検村の誇りでした」と語った。

 

 保岡さんとは同年齢という奄美大島商工会議所の谷芳成会頭は「初当選(1972年)の半年前、奄美大島青年会議所のメンバーとして一緒に沖縄へ旅行した。若者同士、真夜中まで奄美の未来を語り合った。思い出すことはたくさんある」と思いをはせた。

 

 保岡さんの妻芳枝さんの出身地、和泊町の伊地知実利町長は「奄美のサトウキビ関係者をまとめ、先頭に立って政府と価格交渉を行うなど頼りになる存在だった。鹿児島1区にくら替え後も自民党奄振特別委員会の委員長として尽力してくれた。縁のある沖永良部はもちろん、奄美全体にとっても大変偉大な政治家だったと思う」と語った。