歴史つなぐ壁画 色あせず 基俊太郎氏作、新庁舎へ移設 奄美市役所 きょう見学会

2019年02月02日

政治・行政

 

現庁舎から新庁舎に移設された陶板壁画

現庁舎から新庁舎に移設された陶板壁画

 12日開庁の奄美市本庁舎2階奥に、縦2・26メートル、横6メートルの巨大な陶板壁画がある。奄美市名瀬出身の彫刻家、基(もとい)俊太郎(1924~2005年)の作。現庁舎の名瀬市役所庁舎落成記念で1967年に制作されたものを移設した。奄美大島の豊かな自然と人々の営みを細かなタッチで描いた壁画は、半世紀を経た今も色あせることがない。いち早く自然保護を提唱し、奄美らしい自立の道を探り続けた基のメッセージも聞こえてきそうだ。

 

 基は旧制大島中学校、東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科卒。60歳で長野県安曇野市の碌山美術館顧問に就任した。

 

 奄美での主な制作は、輸血用の血液輸送で墜落した自衛隊機の慰霊碑「くれないの塔」(奄美市名瀬)、国立療養所奄美和光園納骨堂(同)、昇曙夢記念公園・胸像(瀬戸内町加計呂麻島)など。

 

 陶板壁画は名瀬市役所1階ロビーに展示された。基は当時42歳。元市職員で後に助役を務めた築島富士夫さん(87)は「大津鐡治市長が直接依頼した。美大出身者は奄美で稀有(要ルビ・けう)な存在だった。大島中の後輩でもあったからだろう」と振り返る。

 

 石川県南部の九谷上絵で制作。陶板165枚を大パノラマにして並べた。同県能美市九谷焼資料館関係者は「当時の九谷焼でこの規模の大きさは珍しい。粘土をレリーフ(浮き彫り)状にした上でうわぐすりを掛けており、なかなかの仕事量だったのでは」と話す。

 

 基は著作「島を見直す」(南海日日新聞社刊)で「壁画の構想は、入江の奥の三角沖積地の集落を、いく重もの椎山で閉ざし、一方、浜から沖の水平線への空間を開いてやるというものであった。これは大島固有の集落のいいしれぬ古代感を語るものだからであった」と解説している。

 

 基と交流のあった名瀬美術協会の久保井博彦会長(71)は「島のあらゆるものが凝縮した形でうまく配置された作品」と価値を語るともに、隠された仕掛けにも注目。「独特な白雲のフォルムは奄美文化センターのブロンズ裸婦像(基の作品)と共通する。山の模様は魚の群れにも見える」と想像を膨らませた。

 

 壁画制作にかかわった67年以降、基は古里の自然や人文に心を向けていく。金作原の保護運動を起こし、「本土並み」を目指す奄美の開発ラッシュに警鐘を鳴らした。在来種である喜瀬豚の絶滅を嘆き、島豚保存にも取り組んだ。

 

 50年余にわたり市民の目を楽しませ、親しまれてきた陶板壁画。作品自身もまた歴史をつなぐ証人として昭和から平成の市史を静かに見守ってきた。移設された新たな庁舎で、そのまなざしはどこへ向いているのだろうか。

 

 築島さんは語る。「いかに時代の先見性があったか。機能性や利便性を追求するだけではない。歴史、伝統文化、自然。残すものがあれば残す。100人に1人でも制作者がどのような人だったか思い起こしてくれたら、それが奄美を伝えていくことにつながるのではないか」

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 奄美市新庁舎見学会は2日、一般市民を対象に開かれる。午前10時から午後3時まで。

基俊太郎

基俊太郎