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11月11日(土)付 

県が機構改革案を発表 大島支庁は4部に再編し、総合事務所を設置
 【鹿児島総局】県は十日、県議会行財政改革特別委員会で、組織機構改革方針に基づいて県内の出先機関を七つの総合事務所に再編する具体的な計画案を発表した。八十三の出先機関を来年度から二〇一〇年度までに三十七の組織に再編統合する計画。九月に基本方針が示されていたが、今回の案で駐在機関など下部組織の場所などが明らかになった。十二月定例議会に関係条例案を提案する。
 大島地区は、大島支庁に総合事務所が置かれ、保健所と農業改良センターも組織に統合した上で総務企画、保健福祉環境、農林水産、建設の四つの部に再編。各離島の事務所は残し、二つの保健所も保健衛生関係を担う施設として存続させる。
 総合事務所は鹿児島、加世田、川内、加治木、鹿屋、種子島の六合同庁舎と大島支庁舎に設置し、業務の効率化を図るため部制を導入する。また総合事務所としての機能を発揮するため、県民サービスコーナーや地域行政懇談会などを設置。県から市町村への権限移譲も推進する。

教育研究論文で宇宿小学校に団体の部最優秀賞

 (財)鹿児島県教育公務員弘済会(海老原爲行理事長)が募集した今年度の教育研究論文で奄美市笠利町の宇宿小学校(中村彰雄校長、四十九人)が団体の部で最優秀賞に選ばれ、九日、海老原理事長が同校を訪れて研究助成金二十万円と盾を贈った。同校の上木勝憲教頭は「大変うれしい。複式学級には子供を伸ばすヒントが隠されている。今後も深く研究したい」と感謝した。
 海老原理事長によると、研究助成は同弘済会の四大事業の一つ。今年度は県内の小、中、高校、大学から合わせて四百三十二編の応募があった。宇宿小は、テーマが決まったB型団体の部に応募した。テーマは「基礎・基本の確実な定着を図る算数科複式学習指導の創造―間接指導時に主体的な学習を進めるための工夫」。@間接指導につなげる直接指導の充実A間接指導時の手だてB両学年の学習状況を同時に見取る指導方法の工夫―の三つを間接指導時の主体的な学習を進める工夫として挙げた点が評価された。
 校長室であった贈呈式には、海老原理事長と生命保険で提携のジブラルタ生命の担当職員田代和代さんが出席。出張で不在の中村校長に代わり上木教頭が受領した。
 海老原理事長によると、二年前にも奄美市名瀬の伊津部小が最優秀賞を受賞している。海老原理事長は「助成金は複式指導にまつわる研究に使っていただきたい」と話していた。
 奄美関係の入賞者は団体は宇宿小学校だけ、個人では同小の橋口俊一教諭と徳之島町立井之川中学校の野添誠教諭の二人が優良賞に選ばれた。
テレビ朝日本社前で「奄美まるごとフェア」開催し、奄美をPR
 【東京支社】奄美の自然、文化、産業などの情報を発信する「奄美群島まるごと体験交流フェア2006」が十−十一日、東京・六本木のテレビ朝日本社イベントスペースで開かれた。開催中、八月踊りや島唄ライブ、黒糖焼酎の試飲など多彩な催しで奄美をアピールした。
 同フェアは国、県の補助を受けた奄美ミュージアム交流ネットワーク形成推進事業の一環で奄美群島広域事務組合(管理者・平田隆義奄美市長)が主催。事業は三年目に入り、東京での開催は初めて。会場周辺は企業ビルが密集しているほか、若者の街としても知られ、フェア開始とともに多くの人が詰め掛けた。
 初日のオープニングは、地元からやって来た佐仁八月踊り保存会(前田和郎会長)メンバー二十一人による八月踊り。踊りの輪は、祝い事の喜びを表す「ヤソレノトエトエ」の歌詞などに合わせて最初はゆっくり、やがてテンポが速くなり最高潮に達し、観客を魅了した。
 この後、平田奄美市長があいさつ。イベントテーマの「アマミズム(奄美の自然や文化、産業がもたらす作用)」をアピールしたほか、朝崎郁恵さんらの島唄ライブがあった。
 会場は奄美から届いた百人の笑顔写真に包まれ、ほのぼのとした雰囲気。奄美十七蔵元の黒糖焼酎七十銘柄や健康くび木茶が展示、試飲できるコーナーのほか、加計呂麻島産の自然塩を使ったハンドマッサージや大島紬の泥染めの実演が行われた。

11月12日(日)付 

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奄美の畑地かんがいは30・7%に

 県農政部がまとめた農業農村整備事業における市町村別整備水準(二〇〇五年度末)によると、奄美の整備率は、ほ場は68・7%、畑地かんがいは30・7%、農業集落排水は18・3%となった。畑かんは喜界島と沖永良部島で急拡大していることもあって初めて30%を超えた。
 奄美全体のほ場整備は、要整備量一万六千二百三十fに対し、一万一千百四十四ヘクタールで整備済み。整備済み量は前年度末に比べ百二十七ヘクタール増加した。島別では徳之島で五十七ヘクタール、沖永良部で三十四ヘクタール、喜界で十七ヘクタール、奄美大島で十一ヘクタール、与論で八ヘクタールの各増。全体の整備率は1・7ポイントアップして68・7%となった。
 畑かんは要整備量一万二千八百六十六ヘクタールに対し、三千九百四十五ヘクタールで整備済み。整備済み量は三百五十七ヘクタール増加した。島別では沖永良部で百七十五ヘクタール、喜界で百五十九ヘクタール、奄美大島で十八ヘクタール、徳之島で四ヘクタールの各増。全体の整備率は2・9ポイントアップした。
 整備率は地下ダムの受益面積が拡大している喜界島、来年度から地下ダム工事が始まる沖永良部島での上昇が目立った。島別の整備率は喜界がA・8ポイントアップして52・9%、沖永良部が5・1ポイントアップして24・0%、奄美大島が1・2ポイントアップして56・3%など。奄美大島のうち奄美市笠利町は2・5ポイントアップして37・4%となった。
 農村の環境保全対策として進められている集落排水事業は、事業の必要な百九十七集落のうち三十六集落で整備済みとなった。 

県立図書館で島尾敏雄展

 作家島尾敏雄の没後二十年にちなんだ企画展「島尾敏雄―幼年期から初期同人誌時代」が十日に奄美市の県立図書館奄美分館で始まった。二十六日まで。小学校の卒業文集から青年期の同人誌まで島尾文学の原点をたどる貴重な資料を閲覧できる。入場無料。
 展示したのは二〇〇九年の島尾敏雄記念室開設に向けて同分館が収集した約四十点。学童期の作品をまとめた「幼年記」の草稿(複製)や神戸尋常小学校の卒業文集「あけぼの」など初期の文筆活動を振り返る資料のほか、同人誌仲間との写真や手紙も紹介し、島尾文学に影響を与えた人々にも光を当てた。
 島尾氏は一九一七年横浜市で生まれ、海軍入隊を志す二十六歳まで神戸市、長崎市などで過ごした。活字に興味を持ち始めた小学校時代から作品を発表し、青年期は同人誌活動に没頭。中でも企画展で展示した「十四世紀」(一九三八年創刊)は掲載作品「おキイの貞操とマコ」が当時の出版法に抵触し、発売禁止となったためほとんど現存していないという。
 同分館の黒江真一郎指導主事は「戦中の文学界を取り巻く厳しい環境の中で書き続け、成長していく過程が伝わるのでは」と語った。

奄美市名瀬で「まなびフェスタ」開催

 「市民が主役のまちづくり」をテーマに、第一回奄美市まなびフェスタ(奄美市、市教育委員会主催)が十一日、同市名瀬の奄美文化センターで始まった。初日は、奄美市地域女性団体連絡協議会によるまちづくり講演会があり、名瀬、住用、笠利各支部の事例発表や滋賀県でまちづくり団体「NPO法人タウンルッチ」役員を務める中川澄子さんの講演があった。同センター内では、地場産野菜の販売や子ども作品展も開催され、多くの市民でにぎわった。
 事例発表では、各支部の三人が活動内容や今後の展望などを述べた後、栄千尋さん(大浜シーサイドハウス代表)=名瀬=は「奄美の地場産を活用し、島内外に受け入れられる商品を開発したい」、重田初美さん(見里集落づくり委員会委員)=住用=は「村づくりの中心には、私たち婦人会の知恵とパワーが大事」、大山美智子さん(味の郷かさり代表)=笠利=は「健康で豊かな食生活の発信基地として、食育、食農教育にも取り組んでいきたい」などとそれぞれの抱負を述べた。
 中川さんは「行政と協働ですすめるまちづくり―主役は市民です―」と題して講演。「ユニークなまちづくり」を全国に発信してきた自身の活動を振り返り、「市民が活躍する場所づくりは行政の仕事。行政は市民サイドに立って何を求めているかを知って動くべき」などと話し、市民の力を生かしたまちづくりを訴えた。

「瀬戸内九条の会」が発足

 憲法改正問題などに反対する「瀬戸内九条の会」の結成集会が十日、瀬戸内町阿木名の老人保健施設であった。趣意書や会則の承認を行い、憲法改正反対などで全国の仲間と連帯していくことを申し合わせたほか、講演会もあった。
 「九条の会」は、憲法改正や教育基本法改正問題に反対の立場から、全国各地で結成され、奄美でも約二十団体が結成されているという。瀬戸内地区の結成集会には、同町の賛同者ら約三十人が参加。あいさつで事務局の松元幸一郎さんが「憲法改正を阻止し、全国の仲間と連携して頑張っていこう」と述べた。
 元名瀬市教育長の治井文茂さんが「二十一世紀の世界の潮流と憲法・教育基本法問題」のテーマで講話。戦争体験や四十年間の教師生活を振り返りながら持論を展開。「現代は戦争という過去を知る世代と、高度成長期の豊かな時代に慣れて現在と未来しか見ない世代、そしてバブル以降の不況時代に疲れ、未来しか見ない世代の三世代に分かれている」と指摘。「戦争を知らない世代が首相になり危惧(ぐ)している」と述べ、「二十一世紀の潮流は、市民組織の力。その力は大きい。若者がそれを支えてほしい」と訴えた。

11月13日(月)付 

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休刊日


11月14日(火)付 

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瀬戸内町でクロマグロ国際シンポジウム

 マグロの生態や養殖技術などをテーマにしたジョイント国際シンポジウム「マグロを語ろう」(近畿大学、瀬戸内町共催)が十二日、前日に引き続いて同町で開かれた。同大学による学術的なシンポジウムに続いて、町主催のシンポジウムがあり、関係者がクロマグロ養殖の現状と将来展望などについて語った。夕方からはマグロ解体ショーや島唄の夕べなどもあり、多数の住民も参加してにぎわった。
 近畿大学二十一世紀COEプログラム国際シンポジウムは「クロマグロ養殖の現状と展望」と題して二日目が同町JA会館であり、六人の研究者が研究成果を発表した。
 午後からは町主催の町制五十周年記念シンポジウムがあった。瀬戸内漁協の叶良久組合長が奄美の水産概況などを説明。クロマグロの完全養殖と奄美における展望について説明した近畿大学水産研究所の熊井英水所長は「クロマグロ養殖に国内で最も適した環境が奄美にある。この漁場を子々孫々まで持続しないといけない。瀬戸内町をマグロのメッカとして世界に発信していきたい」などと語った。
 パネルディスカッションがあり、熊井所長や叶組合長、県水産振興課の藤田正夫課長ら六人がパネリストを務め、クロマグロ養殖の現状と将来展望について語った。水産庁栽培養殖課の熊谷徹課長補佐は消費者の安全志向を指摘した上で「信頼される魚を供給することが大切」などと語った。
 夕方からはマグロの解体ショーや試食会に多数の町民が集まったほか、島唄の夕べでは島唄や八月踊りなど奄美の文化が披露された。

ロボコン県大会で笠利中学校にロボコン大賞

 第六回創造アイデアロボットコンテスト鹿児島県中学生大会(鹿児島県中学校技術・家庭科教育研究会主催)が十一日、鹿児島市であった。奄美市立笠利中学校(屋田伸仁校長)は三チームが出場し、「パッション笠利?」が優勝したほか、三位までを独占した。また、A―1部門に出場した宇検村立名柄中学校(菊地直人校長)の「おてんば2」は敢闘賞を受賞し、両校とも九州地区大会(十二月三日、大分県)への出場を決めた。
 同大会には県内から四部門に百九十一チームが出場。奄美からはB部門に一校、A―1部門に二校が参加した。笠利中の「パッション笠利?」は独創的なアイデアと優れた技術力を備えたロボットに贈られる「ロボコン大賞」も受賞し、二年連続の優勝と大賞受賞の二重の喜びを勝ち取った。
 池田浩士君(三年)、手島浩志君(同)、元龍之介君(二年)チームの「パッション笠利?」は決勝で同中の「TOY」と対戦。「いつも練習している相手なので自信はあった」と池田君。「最初は緊張したが、自分たちの操縦ができた」と力を発揮できたことに満足していた。
 昨年優勝している名柄中は全校生徒五人が三チームに分かれて出場したが、早田優さん(二年)、川上憲紀君(一年)が操縦した「おてんば2」のベスト八入りが最高。準々決勝の善戦が認められ、敢闘賞を受賞した。指導した小牟禮翼教諭は「少しのミスが勝敗を分けた。九州大会にも全校生徒五人力を合わせて取り組んでいきたい」と話した。

東京で「きものサミット」開催

 【東京支社】「きものサミットIN東京」(同開催委員会主催)が十日、本場奄美大島紬協同組合の赤崎拓郎理事長ら全国の織物産地代表約百四十人が参加して東京・有楽町の蚕糸会館であった。会では高額商品を押しつける過量販売やクレジットによる過剰与信、地域ブランド確立の現状についてパネルディスカッションを開くとともに、業界の「適正販売」などを盛り込んだサミット宣言を採択した。
 社団法人日本絹人繊織物工業会の坂根徹会長は主催者あいさつで、呉服の過量販売や過剰与信などが最近社会問題化し、織物産地が減産に追い込まれている異常事態と強調。「このままでは多くの産地業者が(業界から)退場しなければならない」と呉服業界が一丸となって健全な取引を行うよう呼び掛けた。
 パネルディスカッションでは池本誠司弁護士が「呉服の過剰与信」、本宮照久弁理士が「地域ブランド確立の現状」と題して基調発言。消費者契約法の来年見直しを控えて「行き過ぎた販売」に警鐘を鳴らすとともに、「業界全体の意識改革を望みたい」と述べた。
 同二人に加えて、宗像直子経済産業省製造産業局繊維課長、渡邉隆夫西陣織工業組合理事長ら七人のパネリストが「和装文化を考える」と題して討論。「呉服が飛ぶように売れた時代は終わったが、高級なおしゃれ用品として全体的に底上げされている」「最終的には高い価値が伝わるものが残る」「こだわりを持った一貫したモノづくりが大事」「適正販売をどうやって打ち出していくかが大きな課題」などの意見が出た。

文学碑前で「島尾忌」

 奄美を拠点に多くの文学作品を発表し、一九八六年に他界した作家・島尾敏雄氏の命日に当たる十二日、奄美市の県立図書館奄美分館敷地内の文学碑前で「第二十一回島尾忌」(島尾敏雄顕彰会主催)が行われた。多くの参列者が見守る中、ミホ夫人や顕彰会会員が島尾氏の遺徳をしのぶとともに、その功績を後世に伝えることを誓い合ったほか、藤井令一さんが「島尾敏雄と奄美」と題して講演を行った。
 主催者を代表して越間誠顕彰会会長が「島尾さんの残した功績を奄美の宝として末永く伝えていかなければならない」とあいさつ。続いて参列者全員で黙とうをささげ、ミホ夫人らが献花した。
 元野景一さんが島尾氏の作品を朗読の後、来賓あいさつで平田隆義奄美市長が「図書館の新設に伴い、文学碑を移設しないようにとの要望を受けている。即答はできないが、このままの状態を維持するように努力したい」と述べた。
 追悼歌として女声合唱団ラ・メールが「アベマリア」など二曲を披露し、楠田豊春顕彰会顧問の音頭で献杯。遺族を代表してミホ夫人は「島尾はいつも私と一緒。二十年が過ぎてもその気持ちは変わらない。皆さんが毎年しのんでくれることをうれしく思う」と謝意を伝えた。
 講演会では、島尾氏と親交のあった詩人の藤井令一さんが「島尾敏雄と奄美」と題して講話。奄美在住時代の島尾氏について振り返りながら、加計呂麻島から考察する「古事記」とのかかわりや日本の歴史に一石を投じた「ヤポネシア論」などを説明しながら島尾氏の横顔を紹介。「小説『死の棘』は奄美を離れることで完成した」と指摘し、「奄美在住が二十年という長期にわたったことで小説を執筆できなくなった島尾氏が、再び旅人となったことで復活した。しかし、奄美にかかわる文学史の仕事を完成させたいと生前語っていた」などと話した。

島バナナに不思議な実が付く

 ◇…奄美市名瀬平田町の市営住宅の庭に植えてある島バナナの一本に変わった実が付いている。
 ◇…一房の半分は斜め上方向へ向いているが、半分は折れ曲がったようになって下の地面の方向へ向いている。折れ曲がった実は小さく、成長が悪いようだ。
 ◇…一段一段ごとの実の間に空きがなく、密集しているのも特徴的。住民は「こんなバナナ見たことない」と不思議がっていた。

11月15日(水)付 

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奄美各地のバス問題は一応の決着

 奄美大島と徳之島・沖永良部のバス問題を協議する県バス対策協議会路線確保対策部会(部会長・蔵持京治県交通政策課長)が十四日、龍郷町、奄美市笠利町で相次いであった。徳之島、沖永良部合同の対策部会では徳之島五系統、沖永良部十一系統で県と地元自治体が赤字を補てんする廃止路線代替バスを運行させる計画を承認。奄美大島の対策部会でも代替バスを龍郷町戸口―同町中勝で折り返し運行することが認められた。バス路線の赤字などを理由に今夏、新たに表面化した奄美各地のバス問題は代替バスを運行する形で一応決着する。
 県奄美パークであった徳之島・沖永良部合同対策部会では両島の担当者が廃止代替バスの実施計画などを説明した。実施計画では両島とも代替バスを来年四月一日から運行する。
 徳之島ではこれまでバス事業を担っている徳之島総合陸運鰍ノ代替バスを委託。国庫補助対象路線を除く六系統のうち平土野―瀬滝―西阿木名線の一系統を国庫補助対象路線に統合し、亀津―犬田布―平土野と亀津―伊仙―犬田布などを統合して五系統で代替バスを運行する。通学路線となっている大船―平土野―与名間線などは土・日・祭日や夏休み期間など年間百六十三日を運休し経費削減を図る。
 沖永良部は現在運行している十三系統のうち、知名―フローラルパーク線を廃止、知名―和泊・西原―知名線を知名―空港線に統合して残り十一系統で代替バスを現在運行している沖永良部バス企業団に委託する。また、定員十五人の小型バスを四系統で導入して経費削減を図る。
 利用促進策として両島の自治体とも広報誌や住民説明会での周知のほか、高齢者などへの運賃補助の継続、施設などへの利用呼び掛けなどを挙げた。
 両島のバス問題は今夏、来年三月末までに赤字を理由に徳之島が八系統中六系統、沖永良部が全十三系統の廃止を申し出たため、両島とも代替バスへの移行を視野に検討してきた。

離島の首長と県知事語る会開く

 【鹿児島総局】二〇〇六年度第二回地方自治振興促進懇談会(県町村会など主催)が十四日、鹿児島市内のホテルであり、県内離島の町村長と伊藤祐一郎知事が農業振興や情報通信網整備などをテーマに意見交換した。伊藤知事は、島々の多様性を生かした地域振興が必要と指摘したほか、新型交付税の動向についても説明し、「財源確保のためには日本の国土を形成している外界離島の重要性を中央に向かって主張していかなければならない」などと述べた。
 意見交換会には大島郡や熊毛郡の十七町村から町長や助役が出席。全体テーマとして挙げた@サトウキビの経営安定対策A地上デジタル放送やブロードバンドへの対応―などについて意見交換した後、各町村から県への要望などを行った。
 糖業振興に関しては、生産基盤強化などで県の支援を要請する意見が出たほか、栽培指導に当たる県職員の派遣期間の延長やかんがい施設の早期整備を求める意見もあった。また地上デジタル放送の中継局整備について伊藤知事は「総務省の交付金を使えるようにし、それでも事業費が足らない分は奄振事業関係でカバーするというのが基本的なスタンス」と現在の国の方針を説明した。
 このほか伊藤知事は、今国会で成立する見込みの地方分権改革推進法などにも触れ、県と市町村が連携した共生・協働の地域社会づくりの重要性を訴えた。
県少年剣道大会で宇検が3位に
 県内各地区31チームが出場した第33回県下少年柔道大会(県柔道会主催)が11日、鹿児島市の鹿児島アリーナであり、奄美から出場した宇検が3位入賞を果たした。宇検は初の入賞で、奄美からの3位入賞は古仁屋、阿木名に次いで14年ぶり3度目。
 宇検は6年生が栄雄大(田検小)のみで、前川将悟(伊津部小)、保池玄大(久志小)、竹山勇太郎(奄美小)の5年生3人、栄翔大(田検小4年)の布陣で臨んだ。予選を無敗で勝ち上がると、準々決勝も4―0と圧勝。準決勝は柔心館に0―2で惜しくも敗れた。
 決勝は柔心館を代表戦の末に破った三笠(阿久根)が勝利した。
沖永良部移住史で貴重な資料見つかる
 沖永良部島の集団移住史を解明する新たな史料が見つかった。長崎県南島原市の口之津歴史資料館の原田建夫館長(63)が掘り起こした「海員申込人名録」「海員人名簿」の二冊。明治三十年代の口之津海員寄宿所が作成した。二つの冊子には名前や住所、職種、地域別の船員数などが記されている。集団移住については与論のケースはよく知られているが、沖永良部は断片的に語られることが多く、具体的な資料はなかった。一世紀を経て移住史に新たな光が当たることになりそうだ。
     
 2つの名簿を初確認

 口之津は明治期、石炭の積み出し港として栄えた地域。沖永良部や与論の集団移住は明治三十一年(一八九八年)、両島を襲った台風と、大飢饉(ききん)が発端だった。福岡・大牟田の三池炭鉱を営む三井財閥の求めに応じて翌三十二年に第一陣が口之津に出発。沖永良部側は元戸長の沖経利が団長を務めた。与論については記念誌の発行、石炭積み出しの重労働を担った人々をしのぶ「与論館」や記念碑の整備などが行われているが、沖永良部や他の島についての記録はほとんど把握されていなかった。
 二つの史料が沖永良部側で初めて確認され、解読が始まったのは九月、原田館長が和泊町教育委員会に送ったファクスがきっかけとなった。原田館長は資料館の保存資料を整理している時、二冊の名簿に目を留め、名簿の中に奄美やトカラと思われる地名が多いことに気がつき、問い合わせたところ、沖永良部郷土研究会長で和泊町歴史民俗資料館の先田光演館長が答えた。
      
 沖永良部海員、延べ188人も

 史料を作成した海員寄宿所は船員のあっせん業務を取り扱う。記述されているのは海員の名前と年齢、出身地、職種、乗船名など。出身地をみると、沖永良部が圧倒的に多く延べ人数で百八十八人。喜界島は二十四人、奄美大島十四人、徳之島も四人。移住が奄美全域に及んでいたことが分かる。職種は▽水夫▽火夫▽石炭夫―など十九種類に上る。船は二十三隻を確認できた。同時に「沖永良部長屋」「喜界長屋」の存在も明らかになった。
 沖永良部郷土研究会の前利潔さん(46)は十二日、口之津歴史資料館を訪ねた。史料の確認や原田館長からの聞き取り、意見交換の中で「沖永良部島民と与論島民の労働、職場実態が違っていたことが分かった」(前利さん)。与論の人々が主に石炭の船積み作業に従事していたのに対して沖永良部島民は船に帰属し、船内で働く人が多かったという。
      
 近代日本と向き合う口之津研究

 与論の移住者は三池港が完成した明治四十二年(一九〇九年)以後、多くが大牟田に居を移す。これに対して沖永良部の人々は島に帰った人をはじめ各地に分散していったため、不明な点が多い。前利さんは二冊の名簿は人々の足取りを追い、沖永良部の移住の実態を明らかにする上でも「第一級の史料」と位置付ける。沖永良部郷土研究会は名簿を元に今後、子孫から聞き取り調査を実施する方針だ。
 聞き取りに同行した与論二世の本山譲二・日本学術振興会特別研究員は「大牟田・荒尾与論会の『奥都城の唄』には口之津移住のことが歌われている。唄は島からヤマトへ出る経験の中で生まれた。それをつなぐのが口之津という場所。奄美にとって口之津を考えることは日本の近代史と向かい合うことである」と、研究の意義を強調した。
徳之島で黒毛和牛に真っ白の子牛が誕生
 【徳之島総局】徳之島町諸田で真っ白な雄の黒毛和牛が生まれた。遺伝子の突然変異とみられ、県肉用牛改良研究所(大隅町)によると「鹿児島の出産頭数は年間約十二万頭で全国一。研究所が把握しているのは三年前に県本土で生まれた雄一頭だけ。今回で二例目。確率は皆無に等しい」と話している。「白い牛生まれる」のニュースが島内を駆け巡っている。
 白い牛は同町諸田の会社員、稲田英樹さん(43)所有のかつひこ号から生まれた。出産予定日から二日過ぎた八日午前八時ごろに状態の変化に気づいた英樹さんの父、有良さん(71)が近所の人たち二人の応援を得て同十時半ごろに取り上げた。
 有良さんやその妻栄子さん(70)によると、「出産途中で出てきた前足が白かったが足先だけだろうとあまり気に留めなかった。でも全体が真っ白だったので、驚いてみんなで笑ってしまった」という。
 白い牛が生まれたというニュースは一気に広がり、栄子さんによると、あまりの珍しさに「ヤギの種を付けたんではないね」と語る人もいるほどで、周囲の人たちが見学に来たり写真に収めたりしているという。
 関係機関から研究のために母子を譲ってほしいとの問い合わせもあるが、有良さんらは「雄だし通常より一回り大きく生まれた。大事に育てて闘牛も」などと家族で相談中という。

11月16日(木)付 

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奄美市名瀬伊津部町で住家など10棟全半焼、2人が死亡
 十五日午前零時四十分ごろ、奄美市名瀬伊津部町の住宅密集地で出火、住家など八棟と倉庫一棟を全焼、住家一棟を半焼、住家四棟の一部を焼いて約一時間半後に鎮火した。八世帯十七人が焼け出され、焼け跡から當原与純さん(80)、松元タツさん(77)の遺体が見つかったほか、伊是名和仁さん(45)が逃げ出した際に両足を骨折する重傷を負った。當原さんと松元さんの死因は焼死とみられ、奄美署は詳しい出火原因を調べている。
 現場は旧国道58号の古見本通りやあさひ公園に近い木造住宅の密集地。奄美署と大島地区消防組合によると、午前零時四十六分ごろ付近住民から一一九番通報があり、消防車両約二十台、団員ら約百六十人が出動した。付近住民も加わって懸命の消火作業が続いたが、火は風にあおられて燃え広がり、木造住宅や店舗など計十三棟(約七百五十平方メートル)を全焼・部分焼したほか、車両六台を焼いて午前二時二十七分ごろ鎮火した。
 奄美署によると、當原さんは自宅一階の台所、松元さんは二階の寝室付近で見つかり、歯型などから身元が判明した。同署は被災地の中心部が火元とみて詳しい出火原因を調べている。
 名瀬測候所によると、出火当時、奄美市名瀬には約七メートルのやや強い風が吹いていた。現場一帯は消防関係者のほか焼け出された住民や知人の安否を確認する人々で混雑し、騒然となった。
 被災者は次の通り。
 【全焼】▽當原与純さん(80)=一人▽松元タツさん(77)=一人▽西良さん(80)=二人▽幸満輝さん(78)=二人▽宮田伸子さん(71)=四人▽伊是名和仁さん(45)=一人▽田中一彦さん(66)=一人▽松田俊仁さん(47)=五人
伊仙町も渇水対策本部を設置
 【徳之島総局】伊仙町は十四日、同町渇水対策本部(本部長・大久保明町長)を設置した。町水道課によると、町の水がめである伊仙中部ダム(有効貯水量百二十二万トン)の貯水量が十四日現在で60・8%まで落ち込んでいる。二十日から農業用の水供給を完全に停止することを決めており、再開については十二月中旬に開く町土地改良区の理事会で協議する方針。
 同町水道課は「河川からダムに入り込んでくる水が極端に減ってきている。貯水率が50%を割り込んだら、上水道の供給制限も検討する予定」としている。
県水産技術開発センターが魚場探索支援システムを開発・実用化
 【鹿児島総局】県水産技術開発センターは七日、漁船漁業の効率的な操業を支援する国内初の漁業者と研究機関との双方向の魚場探索支援システムを開発・実用化したと発表した。インターネットを利用したもので、同センターが管理するサーバーに漁業者が操業位置や漁獲量などの情報を登録・蓄積すると、センターが登録情報を基に水温や潮流などの海峡情報との関係を分析し、その結果を漁業者に還元することで効率的な操業を行うことができる。
 水産技術開発センターはこれまで、ホームページなどで人工衛星やフェリーなどから得た水温などの海況情報や特定魚種の漁場情報を一方的に情報発信していた。
 今回開発されたシステムは、従来の海況情報に@独自に調査した海底地形情報を入手できる機能A漁業者が日々の操業情報を登録・蓄積・検索できる機能B海況情報や操業情報を地図上で重ね合わせ、漁業者自ら漁場形成の要因分析や漁場の絞り込みに利用できる機能―を加え、「操業日誌」や「漁場探索・操業ナビ」として活用できるのが特徴。利用できるのは県内の漁業者で登録手続きが必要。
 このシステムは、漁業者の操業情報が蓄積されることでより精度の高いシステムとして機能することから、センターは今後、カツオ釣り漁業や瀬物一本釣り漁業、まき網・底びき網漁業など、県内の沿岸・沖合漁業を対象に普及させたいとしている。
 システムに関する問い合わせは水産技術開発センター・資源管理部TEL0993・27・9212へ。

11月17日(金)付 

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知名町大山で奄美群島植樹祭開く

 【沖永良部総局】知名町制六十周年を記念した奄美群島地区植樹祭(県大島支庁、知名町、奄美大島地区林業振興協議会など主催)が十六日、同町大山野営場であった。林業功労者表彰、スローガンの採択に続いてヒカンザクラ十三本を代表植樹。出席者約百六十人がユズリバ、ヤマモモ、ホウオウボクなど八百八十本を植樹した。参加者は資源としてはもちろん地球環境保全に欠かせない森林の役割を再認識するとともに、「私達の手で守り育てよう!ふるさとの森林」を申し合わせた。 植樹祭は五十一回を数える。県大島支庁をはじめ奄美の林業、農政関係者と田皆中学校、上城小学校の児童生徒四十三人で再結成した「大山緑の少年団」も出席。オープニングは沖永良部高校エイサー隊の勇壮な踊りで飾った。
 式典に当たり県大島支庁の中野実支庁長は「森林は木材や特養林産物の供給のみならず水源のかん養、災害の防止からも健全に維持したい。森林、林業の重要性を再認識し、豊かな郷土をつくっていただきたい」とあいさつ。
 開催町の平安正盛町長は「大正時代、わらび山だった場所に先人らが植林し、木材のほとんどが先の大戦の復興資材として使われ、大きな経済波及効果をもたらす一方、生活基盤、農業基盤整備にも不可欠であった。今後とも大山の緑を子々孫々まで大切にし、水源かん養林として保全し、水と緑のふるさと≠テくりを進めたい」と歓迎のあいさつを述べた。
 林業功労者や林業技術競技会入賞者の表彰に続いて「かごしまみどりの基金」(理事長・伊藤祐一郎県知事)の「緑のメッセージ」が紹介された。同基金は地区緑化行政推進協議会に緑化用の苗代(目録)を贈った。
 採択されたスローガンは@森林整備を推進し、地球温暖化防止に貢献しようA奄美産材のPRや利用推進に努め、林業・木材産業を振興しようB特用林産物の産地化を推進し、うるおいと活力ある山村づくりを進めようC松くい虫被害木の徹底駆除に努め、奄美の松を松くい虫から守ろうD森林環境税を活用し、県民参加の森林づくりを進めよう―の五項目。
 式典の後、会場を移して記念植樹。ユズリバ七百本、シイノキ百本、ホウオウボク五十本ヤマモモ三十本の計八百八十本を植樹した。次回は龍郷町で行われる予定。来年五月の奄美大島流域森林・林業活性化センター総会で正式決定する。
千島地震で奄美市名瀬でも最大40センチの津波観測
 千島列島で十五日夜に発生した地震で、十六日未明から同日午前にかけて奄美でも津波が観測された。気象庁は北海道太平洋沿岸東部とオホーツク海沿岸に津波警報、太平洋側の広い範囲で津波注意報を出していたが、奄美地方には注意報など出ていなかった。奄美での津波による被害は報告されていない。
 津波が観測されたのは気象庁が奄美市名瀬小湊に設置した検潮所と第十管区海上保安本部が同名瀬港に設置した検潮所の二カ所。小湊が十六日午前零時三十分から第一波を観測し、同日四時五十八分に最大波四〇センチを記録した。名瀬港は同日午前十時ごろに最大波二〇センチを観測した。
 小湊の検潮所は一九九六年四月の運用開始以来、最大の津波を観測した。各漁協などによると、被害は報告されていないが奄美市住用町や同笠利町、喜界町などの海岸で高波や海水の渦巻き、濁りなどの現象が見られたという。
 地震は十五日午後八時十五分ごろ、千島列島で発生。震源地の深さは約三〇キロ、地震の規模を示すマグニチュードは7・9。気象庁は同日午後八時二十九分に津波警報、同注意報を発令、十六日午前一時三十分までに解除した。中部地方から以南には津波注意報などは出ていなかった。
名瀬安管協青年部が飲酒運転体験教室
 飲酒運転根絶の機運が高まる中、名瀬安全運転管理協議会青年部(浜田幸之進部長)は十四日、奄美市の奄美自動車学校で「飲酒運転体験教室」を開いた。参加者は実際に飲酒した後に教習コースで車を運転し、飲酒運転の危険性を再認識していた。
 「社会問題化する飲酒運転を無くすため、若い世代から声を挙げよう」(浜田部長)と企画した初の試み。奄美地区交通安全協会や奄美署の協力を得て約三十人が参加し、飲酒が運転操作に与える影響を実感した。
 参加者は一時間にわたってビールや焼酎を飲み、検知器を使って飲酒量を測定。酔いが覚めないまま車に乗り込んでコースへ出たが、アクセルを思い切り踏んでスピードを出したり、安全確認を忘れる運転者が相次いだ。 普段とは違う感覚に戸惑う参加者も多く、「安全運転を心掛けても体が思うように反応しない」「不安定な状態で車道を運転すると思うとゾッとする」などと感想を話していた。
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