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京都の西陣織工業組合と本場奄美大島紬協同組合女性部は一日、県立奄美高校(迫田孝司校長)を訪問し、平安時代からの皇室の正装とされる「十二単(ひとえ)」と「衣冠束帯」の衣装を生徒らに披露した。同様のイベントは二年前にも同校で行われた。披露された十二単と束帯は西陣織組合が制作したもの。家政科の生徒約二百人が見守る中、モデルは家政科の飯田史郎教諭(38)と中村佐利美教諭(30)が務めた。 生徒らの前で十二単の着付けが行われる間、西陣織会館の室志成子館長が西陣織の特徴や十二単の着付けの仕方などを説明。幾重にも着物を重ねて着付けが完成すると、生徒の間からは大きな歓声が沸いた。 昨年、奄美の紬会館と西陣織会館が姉妹友好会館を締結。西陣側が産地研修などのため来島し、今回の文化交流が実現した。西陣織工業組合の碇山俊光専務理事は「着物は世界に誇れる文化。大島紬を生み出し、平安時代の言葉が残る奄美の文化の素晴らしさを生徒たちに伝えられたら」などと語った。 |
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【鹿児島総局】県職業能力開発促進大会(鹿児島県など主催)が二日、鹿児島市のかごしま県民交流センターであり、本場奄美大島紬協同組合の瀧田義幸さん(65)=奄美市=と高橋冨美子さん(65)=龍郷町=が優秀技能者として県知事表彰を受けた。大会は職業能力の開発・向上と県産業の振興発展を目的に開催。今年度は県全体で十五人が優秀技能者として表彰された。優秀技能者表彰は、特に優れた技能を有し現役で活躍しているとともに後進の指導育成にも取り組んでいる技能者が対象。 奄美市名瀬の瀧田さんは大島紬特有の精巧な絣(かすり)の美を生み出す絣締め加工の優れた技能者。四十六年のキャリアを持ち各種競技会の審査員も務めて積極的に技術指導に取り組んでいる。今回の受賞について「家族をはじめ周囲の皆さんのおかげ。これからも精進して技術を高めていきたい」と喜びを語っていた。 また龍郷町の高橋さんは五十年のキャリアを誇る優秀な織り技術者。作業の速さ、正確さ、仕上がりの美しさなどその技能は他の織り技術者の模範となっている。龍郷町大島紬技能養成所の指導員として後進の指導にも取り組んでいる。表彰式後「中学校卒業後から織っているけれど、このような賞がいただけるとは夢にも思わなかった。紬が低迷している時だけに、今回の受賞は関係者にとっても励みになるのでは」と笑顔を見せていた。 |
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大和村の名音中学校(井上敏弘校長、生徒十五人)で一日、TV会議システムを使った遠隔授業があり、北海道の幌延(ほろのべ)中学校と学校紹介や方言などを通して交流した。県教育委員会は同校を含む村内の小中学校五校を「ITを活用した遠隔教育システム実践研究」協力校に指定。今回は北海道北部で、稚内に近い幌延町の幌延中との交流事業が実現した。 名音中は三年生五人が参加した。パソコンに取り付けられたカメラとマイクで自己紹介し、プロジェクターを使った画面には幌延中の様子も映し出された。 初めは硬い表情の生徒たちだったが、自己紹介や学校紹介、地域の特徴などを説明するうちに両校に笑顔が広がり、次第にリラックス。幌延中から「今も大雪が降っていて、最低気温はマイナス三〇度にもなる」と説明があると、名音中の生徒らから驚きの声が上がった。方言クイズなどもあり、約一時間の遠隔交流を楽しんだ。 司会を務めた井上有美さんは「楽しかった。北海道の中学生と交流できてよかった。大雪と聞いてあまりの違いに驚いた」などと話した。 |
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| 世界自然遺産フォーラムin奄美(松下政経塾主催)が二日、奄美市名瀬公民館であった。「奄美は世界自然遺産を目指すべきか」をテーマにパネルディスカッションがあり、自然に対する地元住民の意識向上を訴える意見が相次いだ。 最初にフォーラムを企画した奄美出身の安田壮平氏(同塾二十五期生)が発表。同氏は、自然遺産登録のキーワードは「自立」だとし、メリット、デメリットなどを挙げ「長期的な取り組みで目指すべき」と述べ、生活習慣の見直しや「自然を大切にしなければ飯が食えない」との発想転換、環境教育の実施などを提案した。 パネルディスカッションは自然遺産登録を巡って開かれ、山下弘氏(植物研究家)は「このままでは奄美の貴重な植物は滅びる」と危機感を表明、「希少植物は三十年前の十分の一に減ったが、身近な場所に貴重な植物の宝庫がある。自然に対する住民の認識度を高めることが必要」と語った。 自然再生と環境教育をライフワークとする永江直志氏(奄美自然学校代表)は「どのように自然を残し利用していくのか、実質的な保護の在り方と子供たちへどう伝えていくのか、教育が大事」と強調した。西條和久氏(観光ネットワーク奄美代表)は「大事なのは自然遺産登録に向けての過程だ。自然と人、観光が一緒になった形をつくり上げていくことが課題。将来の奄美を考えるいいきっかけになる」などと語った。 若者を代表し参加した田下友子氏(奄美看護福祉専門学校生)と高梨瑞希氏(同)は「まず、住民一人ひとりがごみ問題などに関心を持つこと」などと身近なことから取り組むことの大切さを語った。会場には環境問題に関心のある住民や行政関係者ら約二百二十人が訪れ、熱心に耳を傾けていた。 |
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【徳之島総局】任期満了に伴う天城町長選挙は三日、投票が行われた。即日開票の結果、新人の大久幸助氏(68)が二千八百十九票を獲得、二度目の挑戦で当選を果たした。返り咲きを目指した元職の寿洋一郎氏(62)は前回を大きく上回る二千四百六十八票を獲得したものの、三百五十一票の差がつき及ばなかった。激戦を反映して投票率は95・50%に達したが、三つどもえとなった前回(96・38%)を0・88ポイント下回った。今回の町長選は、三期目へ意欲を示していた現職の吉岡光一氏が今年九月に入って出馬を断念したことから一転、寿、大久両氏の一騎打ちとなった。十月ごろから後援会活動などの前哨戦が活発になり、十一月二十八日の告示後、選挙戦は過熱気味に推移した。 町選管は混乱防止で役場別館の期日前投票所周辺や開票所の町中央公民館への立ち入りを制限し、徳之島署も不測の事態に備えて県警機動隊の応援も得て警戒に当たった。両陣営が票固めにしのぎを削り、期日前投票総数は八百六十八票に上った。 投票は午前七時から午後六時まで天城小学校体育館など町内十カ所で行われた。投票率は最終的には前回に迫る高率となった。 開票は午後八時から町中央公民館で行われ、町選管は同九時から開票速報を発表。一回目の速報は両氏が同数で並んだが、午後九時半の二回目の速報で三百五十票の差がついた。 寿氏は前回より二千百四十八票も上積みし、吉岡氏が前回獲得した二千六百二票の大半に食い込んだが、前回より二百十七票上乗せした大久氏に及ばなかった。 自由連合の推薦を受けた大久氏は、「町民が主人公の政治」を強調し、行財政改革の断行、農林水産業の推進、福祉・子育て支援・教育の充実などを訴え、支持を集めた。市町村合併については「郷土の意思を最大限に尊重する」との方針を示した。 現職の吉岡氏の支持を受けた寿氏は、浪人生活から得た体験をもとに初心に立ち帰った町政運営を訴え、合併問題では町民が不利益を被らない対応を主張したが一歩及ばなかった。 当日有権者数は五千五百九十五人(男二千七百九十三人、女二千八百二人)。投票者総数五千三百四十三人(男二千六百五十九人、女二千六百八十四人)で、有効投票五千二百八十七票、無効五十三票、不足三票。 |
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| 【徳之島総局】任期満了に伴う天城町議会議員選挙は三日、同町長選と同時に投票が行われ、即日開票の結果、十四人の新しい顔ぶれが決まった。当選者の内訳は現職十人、元職二人、新人二人。 選挙には現職十二人、元職三人、新人三人の計十八人が立候補。候補が寿派八人、大久派十人に分かれ、町長選に相乗りする形で選挙戦を繰り広げた。 開票作業は町長選と同時進行であり、同日午後十一時二十分、選管確定が出た。四百四票を獲得した元職の鶴博典氏(48)=天城=がトップ当選を果たした。今回から定数が四減となったのに伴い立候補者数も前回より六人減ったため、当選ラインも二百八票から二百四十九票に上がった。現職二人、元職、新人各一人が涙をのんだ。 当選者を町長選での勢力でみると、大久氏支持と寿氏支持はともに七人で同数となった。 |
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第3回南海さわやかジョギング大会(南海日日新聞社主催)は3日、奄美市名瀬運動公園クロスカントリーコースであり、小学生から60歳代まで約120人が思い思いのペースで走り抜き、心地よい汗を流した。大会はスポーツへの関心を高め、健康増進に役立てることなどを目的に開いた。コースは2キロ、3キロ、5キロ、8キロの4種目であり、親子でゆっくり走る家族や黙々と走るジョグ愛好家などさまざまな健康づくりの姿が見られた。肌寒い天候にもめげず、子供たちをはじめ、多くのランナーが完走の喜びを得た。 |
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【沖永良部総局】知名町瀬利覚(西田治利区長)の町指定有形民俗文化財湧水(ゆうすい)施設「ジッキョ・ヌ・ホー(瀬利覚の川)」改修事業で完成式典と祝賀会が三日、現地であり、来賓や住民三百人以上が出席して、集落民の生命・財産を守ってきた“命の水”施設の完成を盛大に祝った。ホーにかかる県道改良工事は事業費一億一千五百万円。ホー改修費用は八百六十七万円(県単事業)、湧水池改修工事六百五十万円(町助成二百五十万円、篤志寄付金四百万円)など。 神事の後、碑文除幕式があり、西田区長、森和夫さん(遺族代表)、宗岡悦志建設会社社長、浜崎研県沖永良部事務所長、東ヤス子婦人会代表、宗前清和こども会代表が幕を落とし、栗尾廣美さんが碑文を紹介した。 引き続き式典があり、共有財産関係者、施工業者、篤志寄付者らに感謝状が贈られた。西田区長は「一九〇三年からの字議事録によると、九十年ぶりに改修することができた。現況を復旧し、字の守り神として君臨してきたホーの改修ができたことは万感の喜び。今後とも水の恩恵を受けながら、人々の癒やしの場として愛されることを願う」とあいさつした。 平安正盛町長らの来賓あいさつの後、祝賀会に移った。 ホーは古来から清らかな地下水がわき出て、流下の水田を潤し、住民の水くみ、洗濯場、水浴び場として親しまれてきた。三一―三二年ごろ、当時の故・森栄富区長が現在のホーの原型を整備した。丈夫な石組みの施設も老朽化が進んだため、九八年から二〇〇五年にかけて実施された県道改良工事で、集落が保存施工を要望。特に損傷の著しいハシャ(水くみ場)、洗濯、水浴び、野菜洗い場などとともに県道直下の隧道(ずいどう)に石張り工などが施された。 |
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| リュウキュウアユの産卵期を迎え、良好な産卵環境を整えようと、三日、奄美市住用町の役勝川と宇検村の河内川の二河川で産卵場作りがあった。宇検村で産卵場整備を行うのは初めて。両河川とも子供から大人まで三十人前後が参加し、くわなどを使って川床をほぐしたり、石を並べて流れを作ったりした。 奄美リュウキュウアユ保全研究会と(財)鹿児島県環境技術協会の主催。住用町ではあまみヤジの会会員や、奄美エコ探偵団の子供たちなど、宇検村では村内の子ども会と育成会、宇検村(シマ)想い(ウムイ)隊会員などが参加した。 鹿児島大学の四宮明彦教授やリユウキュウアユの命名者、東京大学海洋研究所の西田睦教授らが産卵場整備の意義や方法、産卵の方法や仕組みなどを説明。その後、産卵しそうな場所に縦に散らばり、くわやレーキなどで川床をほぐして赤土を流したり、産卵に適さない大きい石をどけたりした。 |
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奄美市が大浜海浜公園に建設を進めてきた健康体験交流施設「タラソ奄美の竜宮」は四日、落成した。海洋資源を活用した奄美二番目の公設タラソテラピー(海洋療法)施設で、温海水を満たしたプールゾーン、採暖室(サウナ)、海藻療法などを施す体験ゾーン、レストランからなる。市は市民の健康増進と観光振興への寄与を期待している。市民を対象にした無料体験開放などを挟んで十六日、営業開始する。奄美振興開発事業の非公共事業を導入して二〇〇四年度着工、総事業費十億五千万円(補助率二分の一)で整備した。鉄筋コンクリート平屋建て、延べ床面積二千二百四十七平方メートル。施設は公設民営方式で、市指定管理者の「奄美癒(いや)し体験交流機構」が独立採算で運営する。 落成式で平田隆義奄美市長は「自然と健康で癒やす島づくりの中核施設として重要な役割を担ってくれると期待している」とあいさつ。伊藤祐一郎知事(中野実県大島支庁長代読)は「癒やしの拠点として広く活用され、交流人口の拡大に寄与するものと期待している」と祝辞を贈った。 運営する機構の代表会社ウェルネスデべロップメントによると、施設にはセラピスト(治療専門家)を七人配置して利用者の目的に応じたプログラムを提供する。レストランでは島素材の薬草膳のほかゲットウ茶やグアバ茶なども提供する。初年度の入館者は五万六千人を見込む。市内巡回バス(二十六人乗り)を一日五回、自主運行する。 入館料は十三歳以上の一般は一回千円。自由に利用できる会員は一カ月会員が五千円、年会員は五万五千円。利用者は水着とバスタオルが必要。 |
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第八回創造アイデアロボットコンテスト九州地区中学生大会は三日、大分県であり、奄美市立笠利中学校(屋田伸仁校長)の「パッション笠利?」がB部門に出場し、二年連続で三位入賞を果たした。A―1部門に出場した宇検村立名柄中学校(菊地直人校長)の「おてんば2」は鹿児島勢で唯一ベスト八に入った。同大会には九州内各県の代表チームが参加し、鹿児島県からは県大会の各部門で上位入賞した二十八チームが出場した。 B部門「The Robot笠地蔵」は百五十秒以内に五体の地蔵に笠や手ぬぐいをかぶせてほこらに運び、得点を競う競技。四十八チームが出場し、トーナメントで争った。「パッション笠利?」は池田浩士君(三年)、手島浩志君(同)、元龍之介君(二年)、新納仙一君(同)チームで編成。準決勝では途中の失敗が焦りにつながり、四―二で惜しくも敗れた。指導した本村安弘教頭は「力を発揮してよくやった。子供たちも満足している」と話した。 A―1部門「どきどきタワー2006 A―1」は九十秒以内に、自陣コートに置かれたタワーを崩さずにアイテムを取り出して移動し、得点を争う競技で四十八チームが出場。名柄中は全校生徒五人で大会に臨み、早田優さん(二年)が操縦、保浦聖士君(三年)がアシスタントを務めた。準々決勝で準優勝チームに敗れたが、「力を出し切った」と指導した小牟禮翼教諭は子供たちをたたえた。 |
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| 本場奄美大島紬協同組合(赤崎拓郎理事長)のまとめによると、十一月の大島紬の生産反数は前年同月比16・2%減の千九百二十七反だった。男物は4・8%増加したが、女物が落ち込んで20・3%の減となった。 十一月の生産反数を経(たて)糸の密度で表す算(よみ)別でみると、十五・五算は千四百七十四反、十三算は四百五十三反。前年同月比で十五・五算は11・4%、十三算は28・9%それぞれ減少した。 染色別では主力の泥が千百三十四反で26・1%減、化染は七百五反で1・7%増、草木泥は二十二反増の五十四反、泥アイは六反減の三十四反だった。 製品の男女別では男物が三百九十六反、女物は千五百三十一反。男物は十八反増え、女物は三百九十一反減った。 不合格は二十九点で不合格率は1・50%。内訳は絣(かすり)不ぞろいと傷が各七点、尺不足と汚れが各四点、地合不良三点などだった。 |
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| 気象庁はこのほど、十一月と秋(九―十一月)の天候をまとめた。十一月の奄美地方の天候は平均気温がかなり高く、平年値を一度余り上回った。秋の三カ月平均気温は沖永良部で二五・四度と一九九八年に次ぐ高さ。降水量は少雨傾向が続き、奄美市名瀬で平年の44%、沖永良部で62%だった。 秋の天候は寒気の南下が一時的で移動性高気圧に覆われ晴れて暖かい日が多く、全国的に平均気温が高かった。特に九月下旬から十一月上旬にかけて西日本と南西諸島は高気圧に覆われ、降水量の少ない状態が続いた。三カ月間の奄美市名瀬の降水量は三三〇・五ミリ、沖永良部は二八四ミリと平年値を大きく下回った。 十一月に限ると、奄美市名瀬は二〇八・五ミリ(平年比118%)、沖永良部で一六二・五ミリ(同120%)と平年より多い。 三カ月の平均気温は名瀬が平年より〇・八度高い二四・一度、沖永良部が〇・九度高い二五・四度。沖永良部では一九六九年の観測開始以来、一九九八年の二五・六度に次ぐ歴代二位の高温だった。十一月は、名瀬は平年より一・一度高い二一・一度、沖永良部は一度高い二二・五度と高かった。 |
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【徳之島総局】「すも〜う、すも〜う」―大相撲徳之島巡業が六日、天城町総合運動公園野球場の特設テントで始まった。巡業に先立ち徳之島町井之川出身で第四十六代横綱「朝潮太郎(本名・米川文敏)」の記念碑前で横綱朝青龍が奉納土俵入り。横綱を一目見ようと多くの住民らが集まり、迫力ある生の土俵入りに歓声を上げた。土俵入りは午前十一時ごろからあり、地元の井之川集落などから島民ら七百―八百人ほどが集まった。勝重藏町長の歓迎あいさつなどに続き、朝潮の実の妹で井之川在住の松本トシさん(76)といとこの作元義重さん(79)が記念碑に献花。朝青龍が露払いに朝赤龍、太刀持ちに高見盛を伴って登場すると、大歓声が沸き起こった。 横綱の動きに合わせて観衆が「どっこいしょ!」「どっこいしょ!」と掛け声。横綱はおなじみの眼光鋭いにらみも交えながら、力強い土俵入りを披露した。土俵入り後には横綱のもち投げもあり、子供たちとたわむれるなどファンサービスも満点だった。 井之川の聖地とされる場所に建つ記念碑。集落を見下ろす朝潮像は、朝青龍の心のこもった奉納土俵入りにどこか誇らしげ。妹のトシさんは「感激で胸いっぱい。兄も喜んでいることでしょう」と目を潤ませていた。 |
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植物研究家の山下弘さん(55)=奄美市名瀬在住=が三十年間にわたって撮影した奄美の希少植物を紹介する「奄美の絶滅危惧植物」(A5判、158ページ、南方新社)が十二月中旬から全国発売される。六日、会見した山下さんは「多くの人に希少な植物のことを知ってほしい。保護や世界自然遺産の気運を盛り上げたい」と話した。山下さんは奄美の野生ランに魅了され、約三十年前に撮影を開始。会社勤めの傍ら奄美各地へ足を運び、植物をカメラに収めてきた。二〇〇三年から〇六年六月まで南海日日新聞社に「奄美の絶滅危惧(きぐ)植物たち」を連載し、百三十三種を紹介。今回出版された本には十七種を加えた百五十種が掲載されている。 山下さんによると、環境庁が奄美で絶滅危惧(きぐ)種に指定しているのは二百十三種。希少種の中には「アマミカジカエデ」や「アマミアワゴケ」など山下さんが発見した新種もある。希少性の高さが脚光を集める一方で、乱獲や酸性雨など、保護対策の必要が急務だという。 「好きなことだから苦労はない」と話す山下さんだが、撮影する植物の開花期を調べるために、五年も要することや、一種類の植物に費やす撮影時間も、光の具合や風などを待って半日がかりも珍しくないという。 山下さんは「まだまだ新しい植物が発見される可能性は高い。今後も続けていきたい。本の出版が植物の希少性を知らせ、乱獲を止める気運につながってほしい」などと話した。 問い合わせ先は、TEL099・248・5455(南方新社)。 |
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【沖永良部総局】旧暦十月十五日に当たる五日、与論町立長の地主(とこぬし)神社境内で今年最後の豊年祭があり、「与論十五夜踊」が奉納された。琉球風の踊りを取り入れた二番組と室町時代の狂言などを参考にした一番組に分かれ、南北の踊りが交わる個性豊かな伝統芸能が披露された。小学生から一般までの相撲も奉納された。与論十五夜踊は国の重要無形民俗文化財。島の安穏、無病息災を祈願する。「与論町誌」には「永禄四年(一五六一年)に創設され、以後踊り継がれてきた」と記される。旧暦三月、八月、十月の各十五日に奉納される。 与論十五夜踊保存会(徳田泰之会長)会員らが二番組の「一度いふて」「この庭」「今日(きゅう)ぬぷくらしゃ」と一番組の「三者囃子(さんばすう)」「二四孝」「町奉行」のそれぞれ三題ずつを演じた。 この日は曇り空ながら、暖かく、約二百人の観客が最後まで一重一瓶を楽しんだ。 |
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旧暦十月十六日の六日夜、大和村湯湾釜集落の伝統行事・ムチムレ踊りがあった。頭から風呂敷などをかぶった男女が家(ヤー)回り。ムチムレ唄に合わせ自由奔放な踊りを披露し、火災予防と家庭繁栄を祈願した。百年以上前のこの日、集落の半数が被災する大火があり、以来、火災予防を目的に毎年実施している。風呂敷は消防服、カシャモチは大火の際に使ったという泥団子を表しているといわれる。 午後七時すぎにスタート。「もちをもらいに来ます。起きて家の戸を開けていてください」という意味のムチムレ唄とともに踊り手たちが入場。各家庭では焼酎など飲み物やお菓子、それにカシャモチ二個を用意し迎えた。もちを包むカシャ(ゲットウ)はそれぞれ畑などで栽培しこの日に備えた。 カシャモチが差し出されると「ムチモラター、ムチムラター」と声を張り上げ、踊り手たちは「ヨイヤー、ヨイヤー」の掛け声とともに三味線やチヂンに合わせて軽快に踊った。途中、休憩を挟み五時間近くかけて四十数軒を回った。 |
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○…瀬戸内町の与路島と請島で特産のナリ(ソテツの実)の出荷が始まった。真っ赤に実ったソテツの実は、観葉植物として人気が高く、国内のほか、商社などを通じて海外にも出荷される。価格はキロ二百円。正月を前に、住民の貴重な収入源となっている。○…ソテツ科の常緑低木。現生の種子植物中、最も原始的な群。初夏に開花し、実は晩秋から冬にかけて赤熟する。近世から一九四五年代まで救荒食物として珍重された。「鉄樹」とも書かれるように台風や干ばつ、塩害に強く、耕作不適地の海岸や原野の岩壁などにも生える。 ○…町農林課によると昨年度は与路島で十六・五d、請島で二d出荷した。いずれも町森林組合の買い上げ分。他に民間業者による買い上げもあり、実数はこの数字を上回るものと見られる。現在の価格は五十`入りの袋で一万円。与路集落の保島豊区長(69)は「ナリは、この島に適しています。収入も栽培もサトウキビよりいい。台風にも強く、本当に貴重な産物です」と話している。出荷は来年一月ごろまで続く。 |
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大正末期から踊られているといわれる舞踊の「ションマイカ」。伊仙町上面縄のションマイカ保存会(富岡英会長、四十四人)が結成十周年を迎え、このほど後半の活動を記録した記念誌「あゆみ―続・上面縄ションマイカ保存会の記録」を発行するとともに、徳之島町内のホテルで祝賀会を開き、盛大に節目を祝った。祝賀会では、物故会員への黙とう、大島地区文化協会からの表彰状伝達などの後、富岡会長があいさつし、「一口で十年と言うが、長い年月を感じさせる。その間に仲間が一人二人と天国へと旅立たれた。本日はおそろいで祝っていることだろう」と活動を振り返りながら協力を呼び掛けた。 栄忠弘副会長が経過を報告、同町文化協会の重村功会長と関西ションマイカ保存会の中富喜代子代表がそれぞれ祝辞を述べ、川村善良前面縄小校長の音頭で乾杯した。 余興では、民謡日本一の松山京子さんの島唄、保存会の有志で組織したさわやか一座(徳永光子座長、八人)による歌と踊りのほか、重村会長と中富代表による琉球舞踊なども披露され、祝賀会に花を添えた。 富岡会長によると、ションマイカの歌と踊りは、出稼ぎで大阪に渡った上面縄の女性が帰郷した際に集落民に伝えた。面縄小百周年記念運動会で演じた一九九六年十月一日を保存会結成の日としている。毎月十、二十日に集落内の生活館で例会を開催するほか、町文化祭での発表、老人ホーム慰問、学校での伝承など活動を続けている。 「あゆみ」は四年前に発行した記録に続くもので、富岡会長を中心に手作りした。二〇〇二年七月から今年六月までの活動を写真とともに振り返っている。 |
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