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3月3日(土)付 

ヨット「ゆらり号」、喜界島・早町小児童と交流
 ヨットで日本中の有人島を旅している長島快文さん(63)=東京都=、上野冨雄さん(同)=兵庫県=が二月二十日、喜界島の早町港に寄港し、翌二十一日、早町小(白田俊幸校長、児童四十一人)の児童がヨットを見学した。初めて見る船内に児童らは目を輝かせ、「大きくなったらヨットで世界一周の旅をしたい」などと夢を膨らませていた。
 ヨット仲間の二人はそれぞれの会社を退職後、記念に国内四百三十の有人島を回ろうと一念発起。今年一月十三日、長さ十メートルのヨット「ゆらり」で東京都の夢の島マリーナを出港した。一日五十―七十キロを進み、三十八日目に喜界島に到着。旅の狙いの一つに、島の小学校と東京都三鷹市の三鷹小学校の児童の交流の橋渡しをしたいとの願いもあり、同小を訪問した。
 見学には全校児童が参加。救命胴衣を身に着け、恐る恐るヨットに乗り移った後は興味深く船内を見て回り、「どうやって場所が分かるのか」「転覆したらどうするか」などと次々に質問していた。高学年はヨットに乗って、十分ほど近くを航行した。
中京女子大レスリング部の栄和人監督に中日新聞のスポーツ功労賞
 中日新聞社のスポーツ紙「中日スポーツ」は2006年度、新たにスポーツ功労賞を創設し、中部地方でスポーツ振興などに功績のあった3団体1個人に贈った。個人は中京女子大レスリング部の栄和人監督(46)=奄美市笠利町出身=が受賞した。
 栄監督は笠利町生まれ。鹿児島商工高(現・樟南高)から日本体育大を卒業。現役時代は全日本選手権5連覇を含む優勝6回を誇り、1988年ソウル五輪に出場した。2003年から中京女子大監督。アテネ五輪金メダルの吉田沙保里をはじめ伊調姉妹など多くの選手を育成したことなどが認められた。
 受賞した他の団体は全日本リトル野球協会リトルシニア東海連盟など野球関係の3団体で、レスリングでは栄監督のみだった。

3月4日(日)付 

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東京の松田さん、奄美社会運動史料約2000点を奄美教育会館に寄贈

 伊仙町出身のジャーナリスト・松田清さん(79)=東京都日野市在住=は奄美の社会運動に関する貴重な史料を含む蔵書など約二千点を奄美市名瀬の奄美大島教育会館維持財団に寄贈した。財団は教育会館内に「奄美社会運動史料室」を開設し、「松田清文庫」として六月初旬から一般開放する予定。
 松田さんは伊仙町阿権出身。一九四七年に「南潮時報」を創刊編集、翌年上京し、業界紙記者などしながら奄美大島日本復帰青年会の機関紙作りを行った。七四年には「道の島通信」を創刊、二十五年間で百五十号を発行。南海日日新聞東京支社長も務め、七九年には「奄美社会運動史」を著している。
 蔵書の寄贈は、大正時代の奄美の社会運動を調べている奄美市名瀬のジャーナリスト・原井一郎さんとの交流から実現した。原井さんが「史料を島で生かしたい」と言う松田さんの意向を知り、財団に打診し、受け入れが決まった。
 今年一月に松田清文庫開設実行委員会(薗博明委員長)を立ち上げ、奄美市役所近くの奄美大島教育会館二階に部屋を確保するなど受け入れ準備を進めてきた。二月上旬に松田氏から図書千八百点、写真・VTR三百五十六点の合計二千百五十六点が届いた。中には、笠利町出身の社会運動家・平休助の遺書のコピーなどこれまで表に出なかった史料も含まれている。
 実行委員会事務局長の原井さんは、本格的な整理はこれからとしながらも「蔵書は大きく分けると戦後の非合法時代の共産党の活動と奄美・沖縄の歴史関係の二つになる。奄美出身の無名の社会運動家が広範囲で活躍している。こうした人たちの活動歴が史料の中に含まれている。蔵書を新しい時代づくりに活用してほしい」と話す。
 現在、図書の点検やナンバーリング、松田文庫目録の作成、利用規則の作成など図書の整理を行っており、財団所蔵の史料と合わせて「奄美社会運動史料室」(通称・しまやどり)を開設し、松田清文庫として六月上旬に一般開放する。オープニングセレモニーには松田氏も出席し、シンポジウムを計画している。
 実行委員会の薗委員長は「松田さんは、生まれ育った島を拠り所として島を中心にした発想をし、庶民の立場で運動をしてきた。島の人たちに役立てると同時に今後、史料室を充実させていきたい」と言い、財団の永川仁理事長は「大きな財産を任され、責任を感じる。松田さんの蔵書を広く一般に利用してもらい、多くの人たちの学習の場として活用してほしい」と話す。

3月5日(月)付 

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渓流沿いでアマミイナモリが開花

 〇…アカネ科の常緑多年草アマミイナモリが開花期を迎えている。奄美大島の渓流沿いの岩の上など水気の多い場所で、清楚(せいそ)でかれんな白い小さな花を広げている。
 〇…奄美大島のほか徳之島、沖縄本島に分布し、鹿児島県版のレッドデータブックでは絶滅準危ぐ種に指定されている。一―一・五センチ程度の花が重なり合うように咲く。開花期は一―四月とされている。

ヨロンマラソンで中木原毅尚選手が3連覇

 第16回ヨロンマラソン(同実行委員会主催)が4日午前8時、号砲とともに男女フルマラソン、リレーチームの第1走者479人が一斉にスタートした。島をほぼ2周するフルマラソン男子は中木原毅尚選手(25)=鹿児島、知覧茶倶楽部=が2時間46分32秒で3連覇を果たした。地元1位には3時間13分15秒で奄美市の白井慎介選手(45)が入った。同女子は野村泰子選手(41)=兵庫=が3時間24分58秒で優勝した。総勢1066人が青空が広がる与論路を元気に駆け抜けた。
 前日までの曇り空から一転して青空が広がった。スタート時には若干肌寒さを感じたものの、強い日差しに加えてアップダウンの激しいコースに出場者らはこまめに給水しながら走った。
 同マラソンは日本陸連公認コース。男女フルマラソン463人、同ハーフマラソン523人、リレーマラソン80人の総勢1066人がエントリー。フルマラソンとリレーマラソン(42・195キロ、5区間)に続き、2時間後にハーフマラソン21・0975キロがスタートした。ゲストの谷川真理さんもハーフコース参加者とともに走った。

奄美市名瀬の朝仁海岸でビーチコーミング

 海岸の漂着物を拾い集めて観察する「ビーチコーミング」(NPO法人奄美野鳥の会主催)が四日、奄美市名瀬の朝仁海岸であり、三十人が波打ち際を歩いて貝殻や種子、外国製の空き缶などを拾い集め、それぞれの「お宝」を品評し合った。
 ビーチコーミングは野鳥の会会員で鹿児島森林管理署宇検森林事務所に務める茂野潤さん(30)の趣味。この日も茂野さんがコーチ役を務めた。最後の品評会は「(中国)広東省発のスプレー。ちょっといいにおいがする」「この種子は珍しいだろう」などとお宝自慢にわいた。
 茂野さんによると、ビーチコーミングは自分流のスタイルで楽しむ遊びだが、外国には学会もある。「潮の流れや環境問題など、個人や団体の興味に合わせていろんな楽しみ方ができる」とも話した。

3月6日(火)付 

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大島海峡内でイカシバを設置

 瀬戸内町の漁業者で組織する瀬戸内漁業集落(池田啓男代表、八十世帯)は四日、アオリイカの産卵場を整備して資源を増やすために大島海峡内でイカシバ二百束を設置した。
 大島海峡におけるイカシバ設置事業は、国の離島再生支援事業の一環として咋年から実施。また、それ以前も瀬戸内漁協青年部が十年ほど前から毎年設置しており、追跡調査でイカシバへの産卵が確認されている。
 イカシバには加計呂麻島の雑木が利用され、約一・五メートルの長さに切りそろえた木の束の根元に砂袋がくくりつけられた。
 作業には漁業集落のメンバーなど二十人あまりが参加。海峡内十カ所のポイント(水深三―五メートル)に五隻の船で運び、イカシバを次々と海中に投げ入れた。イカシバ設置の効果は追跡調査で実証されていることから、関係者はアオリイカの増殖に期待を寄せている。

サトウキビ生産見込み、与論島以外は上方修正

 今期操業の終盤を迎えている奄美群島の製糖会社で、原料処理見込み量の修正が相次いでいる。奄美大島の富国製糖は二度目の修正で五期ぶりの三万トン台を達成する見通しとなった。沖永良部島の南栄糖業は二月二十八日付で当初見込み量に約三千五百トン上乗せして五万三千八百四十七トンに修正した。一方、与論島製糖は大幅な下方修正となり、過去最低の二万トンという見通しを立てた。
 富国の当初見込み量は二万五千七百トン。その後二月初めまでに二万八千トンに修正。さらに三月五日付で三万四百トンに、二度目の上方修正をした。同社の原料三万トン超は二〇〇一年産の三万五千トン以来。平均糖度も一四・八五度で、品質取引が始まった一九九四年産以降では二番目の高水準で推移している。
 南栄は今期初めての修正で、二月二十三日の調査結果を受けて、前期を約一万トン上回る見通しを立てた。同社によると、収穫面積が前期を約五十ヘクタール上回ったのに加え、収穫期を控えた十月以降の気象条件に恵まれ春植え、株出しのキビの成長が好調だという。「暖冬傾向も好影響になっている」ともしている。
 一方、与論島の修正は当初見込み比四千八百トン減。会社側は操業開始直後で原料の搬入状況を見て厳しい見方をしていたが、終盤になって大幅な下方修正に踏み切った。処理見込み量は、過去最低だった前期の二万一千トンを下回る水準。十アール当たり収量も干ばつ続きで過去最低の三・八トンにとどまった前期をさらに下回る水準。九日で原料搬入を終え、操業終了も当初計画より八日早い十一日に修正した。
 群島の他の製糖会社の処理見込み量は、喜界島の生和糖業が二月初めまでに当初比三千トン増の七万四千トンに上方修正。徳之島の南西糖業は二月末までに二度目の修正をし、当初比五千トン増の二十万一千八百トンを見込んでいる。

3月7日(水)付 

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俵トンネルが開通

 県が整備を進めてきた瀬戸内町加計呂麻島の俵トンネルが六日開通した。島の東西を結ぶ県道安脚屋場実久線の改築事業の一環で、トンネル延長は百五十メートル。開通によって、島内唯一の医療機関のある瀬相集落と俵集落の道路は峠越えが解消され、距離も四百メートル短縮された。
 トンネル工事は二〇〇五年三月着工。坑内幅は十・二五メートルで、車両通行部は幅六メートル
、片側に幅二・五メートルの歩行者用通路がある。工事費はトンネルが五億五千万円。取り付け道路を含めた総事業費は七億一千万円。
 六日は現地で工事関係者や地元住民ら百二十人が出席して記念イベントがあり、トンネルを通って通学することになる俵小学校の児童らがくす玉を割るなどして開通を祝った。俵中学校体育館であった完成式で義永秀親町長は「安脚場実久線改築は地域の振興発展、住民生活の利便性向上に大いに貢献する」と述べた。

徳之島、手々小中で伝統のぶんぶんだこ揚げ

 徳之島町立手々小中学校(牧瀬忠校長、児童生徒十四人)は六日、手々集落に伝わる「ぶんぶんだこ」を深見公信区長や老人クラブ「手々若返りクラブ」などの協力を得て再現した。約三十年ぶりに再現した昨年に続き二回目のたこ作りで、北風に乗せて二メートルにもなる大たこを空高く揚げた。
 同校では昨年末から「ぶんぶんだこ」の制作を開始。昔作られたたこを参考に、地域住民の手を借りながら、たこの要となる竹(ガラ)の心棒(ナーブネィ)を使った骨組みから、紙張りまでおよそ二カ月で完成させた。それぞれのたこには「闘牛」「合格」など好きな絵や言葉を書き入れたほか、揚げた時に「ぶんぶん」となる紙を折って作る唸り(ブームィキ)の部分も苦心して作った。
 手々集落では約三十年前まで、正月にこのぶんぶんだこを揚げて遊んだ。昔は芭蕉の渋を紙の部分に塗ってたこを強くし、たこ糸も手作りだったという。
 「成功」と書かれた自作のたこを揚げた坂本宝大君(六年生)は「わらを編んでしっぽを作ったりするのが大変だった」と語り、空高く泳ぐたこを誇らしげに眺めていた。

3月8日(木)付 

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名瀬港の赤灯台を撤去
 名瀬海上保安部(久米和秀部長)は七日、「赤灯台」の愛称で親しまれてきた名瀬港本港地区・旧港の第一防波堤灯台を撤去した。赤灯台は、今年度から工事が計画されている旧港埋め立て予定地内にモニュメントとして保存活用する計画。
 高さ九・七メートルの赤灯台は一九六三年三月十日に設置され、名瀬港で一番古い灯台で四十四年近い年数が経過している。今年一月には、行政、荷役会社、港湾工事会社関係者らが消灯式を行って別れを惜しんだ。
 同保安部によると、傷つかないように丁寧にカバーされた赤灯台は、特殊な機械で基礎部分から切り離され、クレーンで移動。一時名瀬港内の一角に仮置きし、旧港埋め立て工事が完成後にモニュメントとして活用される予定。

台湾の水産養殖会社が奄美大島で事業展開の可能性調査

 台湾の水産養殖会社「朝清水産有限公司」の黄共清社長(46)が七日、奄美市名瀬の地域経済再生研究会(福沢峰洋代表)の事務所で記者会見し、奄美大島を舞台にした事業展開の可能性などを語った。
 黄社長の経営する会社は魚や貝など水産物二十六種の養殖技術を持ち、中国やインドネシア、フィリピンなどアジア数カ国で事業を展開。米国や中東とも水産物の取り引きを行っているという。
 ジャーナリストの若宮清氏の仲介を受けて、福沢代表が同社の奄美誘致に向けて尽力し、黄社長の視察のための来島が実現した。世界有数の養殖技術を持つとしている同社とタイアップする民間企業を探すほか、条件によっては資本投資する可能性もあるという。
 日本の市場をターゲットにしていると話す黄社長は会見で、奄美の海水温の高さなどを指摘。魚介類の養殖を行えば本土より早く成長することから離島ゆえの諸般のコスト高も吸収できると述べ、奄美が養殖漁業の適地との見解を示した。

3月9日(金)付 

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オランダの写真家が奄美の子供たちの撮影で来島

 異文化から見た日本を見詰める写真企画で、オランダの写真家、カニー・ヤンセンさん(32)が八日、奄美大島で撮影を始めた。ヤンセンさんは日欧文化交流団体「EU・ジャパンフェスト日本委員会」(東京)の招きで初来日。来月六日まで奄美に滞在し、奄美大島各地の子供たちの日常の風景を撮影する。
 ヤンセンさんは、世界のさまざまな国で子供たちと風景をテーマに撮影。子供たちの生き生きとした表情をとらえた作品は注目を集め、ヨーロッパ各地で数多くの個展や写真集制作を精力的に行っている。奄美には長女のカヤちゃん(六カ月)と友人一人を伴い、初来島した。
 八日は龍郷町の龍郷小学校(加納雅裕校長、児童二十九人)を訪問。子供たちと交流した後、校庭で集合写真を撮影した。奄美の印象についてヤンセンさんは、「人が笑っていて自然がいっぱい。全体の雰囲気が休日みたい」と笑顔で話し、「子供たちの普段いる空間、個性を撮りたい」と意欲を見せた。
 同委員会の企画「日本に向けられたヨーロッパ人の眼(め)・ジャパントゥデイ」は日本国内各地における写真撮影、写真集の制作、写真展の開催を通して、ヨーロッパ写真家と地域住民の対話、日欧文化交流などを目指している。第九弾となる今回は、ほかの二人の写真家がすでに鹿児島本土での撮影を終了。今年八月には三人の作品を集めた写真集が発行される予定。
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