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3月24日(土)付 

県奄美パークで田中一村の作品「白い花」を特別展示
 奄美市笠利町の県奄美パーク田中一村記念美術館(宮崎緑館長)で二十三日、一村の千葉時代の代表作「白い花」(一九四七年)の特別常設展が始まった。初公開の屏風(びょうぶ)絵で、一村にとっては唯一の公募展入選作品。他の初公開作品「軍鶏図」「花譜図」などとともに六月十九日まで展示する。
 初公開の屏風絵は、一村作品の海外流出を止める目的で購入していた実業家らの寄託作品群。このうち白い花は、三十九歳の一村が雅号を田中米邨から柳一村に改め、第十九回青龍社展に出品して入選した作品。以降、公募展で入選することがなかったことから、一村の画業を語る上で極めて貴重な作品とされている。
 公開に当ってのセレモニーで宮崎館長と岬眞晃・一村会会長は、白い花について「その後、中央画壇と決別し、奄美大島に移り住むことになる一村のターニングポイントになった作品」と紹介。同館の前村卓巨学芸専門員は「戦後、画壇が混とんとしていた中で大変な意気込みを持って描いた作品」と解説した。
2月のハブ咬傷者は1人
 ハブ対策推進協議会(事務局・県大島支庁総務課)が二十三日発表したハブ情報によると、二月の咬傷(こうしょう)者数は前年同月比二人減の一人だった。一月からの累計は二人。
 内訳は奄美大島が前年同月比二人減の一人、徳之島が前年と同じゼロ。市町村別は宇検村一人。
 ハブ買い上げ数は奄美大島百七十六匹、徳之島百二十三匹の計二百九十九匹で前年同月比二十九匹減。一月からの累計は奄美大島三百二十七匹、徳之島二百三十七匹の計五百六十四匹で前年同月比七十八匹減。
 同協議会は「今年に入ってからの咬傷者は、前年より減少傾向にあるが、昨年の一月以降は毎月継続して咬傷被害者が発生した。これからの季節はハブの活動が活発になるため、対策に心掛けて」と呼び掛けている。

3月25日(日)付 

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森にエビネ類花開く

 〇…柔らかな新緑の季節を迎えた奄美大島。清澄な大気に包まれた深い森の中では、ランの仲間のアマミエビネやレンギョウエビネが咲き誇っている。
 〇…アマミエビネは奄美大島の固有種で、レンギョウエビネは南西諸島の一部や台湾などに分布。森林伐採や園芸採取などにより個体数が激減しており、鹿児島県はどちらも絶滅危惧T類に指定している。

与論港コースタルリゾートがこのほど完工

 県が与論町茶花地区の砂浜侵食や背後への越波被害解消などを目的に一九九六年から十一年、約六十一億円かけて建設を進めてきた与論港コースタルリゾートがこのほど完工した。供用開始の式典が二十三日、同地であり、国土交通省鹿児島港湾・空港整備事務所の田原眞吾所長、仮屋基美県副知事や中野実県大島支庁長、南政吾与論町長ら国、県、町の関係者ら約六十人が出席してテープカットなどで海洋レクリエーション基地の供用を祝った。
 神事の後、式典で南町長が「多様なマリンレジャーに対応した施設の整備で、地元住民と訪れる観光客とのコミュニティーを図り、地域振興につなげたい」とあいさつ。伊藤祐一郎県知事(代読)祝辞に続いて与論小学校の久野成美さん(三年)が利用者を代表してあいさつした。関係者九人がテープカットし、施設の供用を祝った。
 コースタルリゾートは与論港改修、港湾環境整備、海岸環境整備、港湾機能施設整備の四事業を柱に(1)緑地・広場六万八千平方メートル(2)人工ビーチ一万四千平方メートル(3)マリーナ(小型船舶船だまり)百八十七メートル―を整備。シャワー・トイレ複合施設やイベント広場、遊歩道などからなる。物揚げ場はダイビング船四十三隻収容、陸上で二十六隻が保管可能。干潮時のバリアフリー対策として浮き桟橋も備える。

「奄美のきょら浜20」決まる

 奄美の自然を考える会(田畑満大会長)が創立二十周年記念で昨年四月から選定作業を進めていた「奄美のきょら浜20」が二十三日の最終理事会で決まった。きょら浜20は四月発行予定の機関誌「きょらじま」に掲載する。
 同事業は、奄美の白砂青松の海岸を誇りにし、さらに保護、活用する機運を盛り上げるのが狙い。同会はこれまでに六回の理事会を開催し、@サンゴ礁、礁池、砂浜の三点ができるだけそろっているA人工物が少なく、自然度が高いB集落に近く、住民によく利用されている―の三点を基準に作業を進めてきた。
 提案者の作田裕恒理事は「奄美の浜の多くはサンゴ礁の海岸で、美しい浜が多いが、自然の暮らしが長寿と関係するとして見直されており、もっと海や砂浜とのかかわりを意識しないといけない」との理由で人々の利用度も基準にしたという。
 田畑会長は「二十周年に合わせて二十カ所選んだが、今後も選定基準に沿って詳しい調査をし、選に漏れた所を逐次追加していきたい」と話す。
 20選に選ばれた砂浜は次の通り。
 ▽奄美市笠利町 用岬、土盛、打田原▽龍郷町 手広、鯨浜▽奄美市名瀬 大浜、朝仁=写真=▽奄美市住用町 青久、小和瀬▽大和村 国直▽宇検村 屋鈍▽瀬戸内町 嘉徳、諸鈍、ヤドリ浜▽伊仙町 喜念▽徳之島町 神嶺▽天城町 与名間▽和泊町 笠石▽知名町 屋子母▽与論町 百合ケ浜

エアトランセが沖縄―沖永良部にビーチクラフト機を就航

 北海道を中心に航空輸送業務を展開する(株)エアトランセ(江村林香社長)が四月一日から沖縄―沖永良部間に十八人乗りビーチクラフト機を就航させる。これまで同路線を担ってきた(株)エアードルフィン(那覇市、半田貞次郎社長)と業務提携が決まった。両者間で販売にかかる航空運送代理店契約を締結。運航をエアトランセが担い、販売をエアードルフィンが手がける。同機の試乗会が二十四日、沖永良部空港であり、島内招待客十八人が高度五百メートルで約十分間、空の散歩を楽しんだ。
 就航するのは米国レイセオンエアクラフト社製ビーチクラフト1900D型。全長十七・六二メートル、翼長十七・六四メートル。双発ターボプロップエンジンで、静粛性に優れている。最大座席数はこれまで就航していた航空機の二倍の十八席。乗務員が常時添乗するため十六人分を販売する。
 エアードルフィンの三松達哉副社長によると、同社ブランド「アイランドシャトル便」として、これまで沖縄本島と慶良間島や伊是名島、伊江島などと旅客運送事業を手掛けてきた。県内市町村の貨物輸送の要望の高まりと、RAC(琉球エアコミューター)の運休が決定している石垣―波照間路線就航に向けて準備を始めており、「エアトランセさんと組むことで貨物事業を早期に開始できるほか、旅客事業も路線を増やすことができるようになる」(三松副社長)と説明した。

3月26日(月)付 

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奄美市が誕生1周年記念行事

 旧名瀬市と旧住用村、旧笠利町が合併して新「奄美市」が誕生して丸一年を迎えて二十五日、同市内で記念祭や記念式典、祝賀会などが開かれた。奄美観光ホテルで開かれた記念式典には合併協議会委員や近隣町村の首長、議員、国会・県議会議員、市民ら約三百五十人が出席し、新市の満一歳を盛大に祝った。また、児童生徒などの代表五人が市民憲章を発表したほか、市花の「シャリンバイ」「ハイビスカス」、市木の「リュウキュウマツ」「ガジュマル」などの紹介があった。
 平田隆義市長はあいさつで「未来を見据えた奄美市の骨組みを構築する年であり、土台を築くことで、揺るぎない骨組みに支えられた奄美市が築けるものと確信している」と強調。「積極的な市政参画と共生、協働の意識を持つことが大切であり、ユイの精神に学び、助け合うことが必要」と市民に呼び掛けた。
 伊藤祐一郎知事は「奄美は観光や農業、自然などを利用した産業などで発展が可能。日本の将来が南西諸島にある。県も努力するし、市民も一生懸命に努力してほしい。よりよい島づくりに頑張ってほしい」などと激励した。
 さらに合併に功労のあった合併協委員ら三十四人に総務大臣表彰、市長特別表彰が贈られた。引き続き行われた祝賀会では、伝統芸能や島唄などが披露され、出席者全員の万歳三唱でセレモニーは終了した。
 奄美市の二月末現在の人口は、名瀬地区四万九百三十二人、住用地区千七百六十五人、笠利地区六千八百六十四人の計四万九千五百六十一人。

笠利出身力士・里山が十両優勝

  大相撲春場所千秋楽は二十五日、大阪府立体育館であり、東十両四枚目の里山=奄美市笠利町出身、尾上部屋=が十一勝で並んでいた豪栄道(境川部屋)との直接対決を制し優勝、来場所の入幕を確実にした。
 奄美群島では旭道山(徳之島町)以来十八年ぶり、奄美大島では朝ノ海(宇検村)以来四十四年ぶり、奄美市出身では旧名瀬市、旧住用村を含め初の新入幕となる。

今年初の黄砂現象

 ○…奄美地方で二十五日、春の使者・黄砂が見られ、奄美市名瀬の市街地などは薄いベール包まれた。名瀬測候所によると、黄砂の観測は今年初めてで昨年より八日遅い。
 ○…黄砂は中国大陸の砂が強風で舞い上がり、上空の偏西風に乗って日本まで飛んでくる現象。春先によく見られることから「春の使者」とも呼ばれる。九州各地では先月二十三日に観測していた。
 ○…奄美市ではこの日朝から昨夜の雨による「もや」と「黄砂」で遠くがかすんで見えた。同測候所と沖永良部測候所によると、正午からの視程は両地域とも七キロほどに下がった。

3月28日(水)付 

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龍郷町が環境教育を本格化

二〇〇六年度から環境教育を進めている龍郷町教育委員会などは二十七日、県大島支庁記者クラブで会見し、〇七年度の環境教育プログラムを説明した。四月から町内の全小中学校の児童生徒を対象に「総合的な学習の時間」を利用して本格的に環境教育をスタートさせる。会見で同町環境教育プロジェクトの前園泰徳代表は「子どもの感性を磨き、子どもから奄美を変えていきたい」などと話した。
 同町の環境教育プロジェクトは二〇〇六年六月から試験的に実施。〇七年度は町内の全小中学校(小学は五年生以上)の児童生徒約四百人が対象。専用教材とネットサポート、〇五年度から実施している「子ども博物学士講座」を活用して環境教育プロジェクトを進める。
 環境教育プロジェクトと町教委、京都大学が連携して専用教材を作成。専用教材は教師用と子ども用のテキストを作成し、奄美に赴任したばかりの教師でも奄美の自然について教えることができるように工夫する。
 ネットサポートは各学校とプロジェクトメンバーらをインターネットでつなぎ、情報の共有化や児童生徒らの質問に対して京都大学などの専門家が答えるシステムなどを四月に構築する。
 総合的な学習の時間を使った環境教育は奄美の自然を通して命の大切さや感性、解決力をはぐくむことを目的に年間十一時間―十六時間のカリキュラムを計画している。

大島紬専門学院で修了式

 本場奄美大島紬技術専門学院(赤崎拓郎校長)の二〇〇六年度修了式が十五日、奄美市名瀬の紬会館であり、大島紬の製織技術を一年間学んだ二十七期生七人が修了証書を手にした。紬業界関係者などが出席し、修了生が産地を支える技術者に成長するよう期待と激励の言葉を寄せた。
 赤崎校長が「皆さんは一番大事な織りを習得された。これを基礎に技術の向上に努め、産地活性化に役立つことを期待している」などとあいさつ。修了生一人ひとりに修了証書と技能照査合格証書を手渡した。
 優秀学院生表彰があり、森千晶さんが県知事賞、塚本紀子さんが奄美市長賞、才光子さんが県職業能力開発協会会長賞、東郷良子さんが本場奄美大島紬協同組合理事長賞を受けた。
 県大島支庁の中野実支庁長などが来賓祝辞を述べ、「伝統の知識と技術を身に付けた皆さんは業界はもとより、地域社会からも大きな期待が寄せられている。さらに研さんを積み、紬業界の発展に貢献してほしい」と修了生を激励した。
 修了生を代表して謝辞を述べた森千晶さんは、関係各位に感謝の意を表した上で「紬に携われることの喜びと誇りを感じる。早く一人前の織り子になり、次の世代につなげる織りができるよう日々精進したい」などと述べた。
 同学院の修了生は二十七期生を含め四百五人。二十七期生は二十代から五十代の女性七人で、うち県外からの受講生は愛知県や石川県からの三人だった。七人は次年度も研修生として同学院に通い、織り技術の向上に努める。

3月29日(木)付 

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島尾ミホさんが死去
 作家・島尾敏雄さんの妻で短編小説集「海辺の生と死」で知られる島尾ミホさんが二十五日午後十時ごろ、奄美市名瀬浦上町の自宅で急性脳出血のため死去した。八十七歳だった。
 ミホさんは瀬戸内町加計呂麻島で幼少期を過ごし、東京・日出高等女学校を卒業、戦時中、同島・呑之浦に駐屯していた第十八震洋隊長だった島尾敏雄と知り合い、一九四六年に結婚した。
 神戸や東京での生活を経て五五年に名瀬市へ移住。敏雄さんは、県立図書館奄美分館長を務めながら数多くの作品を残した。七五年には指宿市へ転居、八三年には鹿児島市へ移り、八六年に敏雄さんが死去すると、九二年に長女・マヤさんと名瀬市へ移住。マヤさんが亡くなった後は一人で暮らしていた。
 七四年には加計呂麻島での少女時代を描いた短編小説集「海辺の生と死」を発刊、翌年田村俊子賞と南日本文学賞を受賞している。そのほか、「祭り裏」や共著として「奄美の伝説」「ヤポネシアの浜辺から」などがあり、九六年には南海文化賞を受賞している。
 幼少期を過ごし、敏雄さんと出会った加計呂麻島への思いは深く、〇五年には、島尾敏雄研究会のメンバーらと呑之浦の島尾敏雄文学碑などを訪問している。昨年十一月の島尾忌にも出席し「島尾はいつも一緒。二十年が過ぎても気持ちは変わらない」と謝意を述べるなど元気な姿を見せていた。

ノエビアがサキシマフヨウに美容効果確認

 化粧品メーカーのノエビア(本社・東京都中央区)は、奄美にも数多く自生しているサキシマフヨウの葉の成分に女性ホルモンの生成を促す効果が含まれていることを突き止めた。研究成果は二十九日、富山県で開催中の日本薬学会第百二十七年会で発表。同社は今夏にもサキシマフヨウ葉エキスを配合したエイジングケア化粧品を発売する計画だ。
 研究に使ったサキシマフヨウは、瀬戸内町請島にある同社研究施設の請島亜熱帯植物パイロットファーム敷地内にある自生株。同社神戸研究所の吉田浩子研究員をキャップとする五人のスタッフが行った。
 吉田研究員らはサキシマフヨウの葉を乾燥、粉砕し、50%エタノールに漬け、エキスを取り出して人間の皮膚細胞に対する作用を評価した。この結果、抗老化、抗炎症、抗酸化作用が認められ、さらに男性ホルモンを女性ホルモンに置換する酵素のアロマターゼを活性化する効果があることも分かった。
 同社によると、女性ホルモンは二十―三十代でピークを迎え、四十代後半から急激に減少。過度のダイエットやストレスなどでも女性ホルモンの分泌が低下し、皮膚のコラーゲンや皮下脂肪が減少してシワやたるみ、色素沈着などが起こると考えられている。少なくなった女性ホルモンを増やすことで潤いや弾力を守り、若々しい肌に導く効果が期待できるとしている。
 同社は「自然を科学する」をポリシーとし、身近にある植物を使って、美と健康に役立つ機能性を見いだす研究を行っている。特に南方系植物に注目し、研究、商品化を進めるために二〇〇二年、請島の研究施設(敷地面積約一万平方メートル)を設けた。これまでに請島産のゲットウの葉使用の保湿美容液、南大東島産のクチナシの実使用の美白美容液などを開発している。

十両優勝の里山が帰郷

  大相撲春場所で十両優勝した奄美市笠利町出身の里山=本名・里山浩作、尾上部屋=が28日、帰郷した。里山は亡き父・博昭さんが眠る墓前で優勝報告。幕内昇進がほぼ確実となった来場所へ向け「まずは勝ち越すこと。常に前に出る相撲を心掛けたい」と意気込んだ。後援会は新番付発表後の4月29日、奄美市名瀬で祝賀会、パレードなどを予定している。
 里山の帰郷に合わせ、奄美空港到着ロビーには大勢のファン、後援会関係者が詰め掛けた。「祝 里山関十両優勝」と書かれた横断幕が広げられ、がい旋を祝った。花束贈呈後は写真撮影や子供たちからのサイン攻めなどに遭い、高い人気ぶりをうかがわせた。
 里山は空港から同町用安にある実家に立ち寄り、すぐに集落の墓地へ向かった。母の常子さん、姉の弘美さんら家族とともに念入りに墓を掃除。線香を供え目を閉じ、手を合わせた。その後「優勝できました。いつも見守ってください」と語り掛けた。
 「まさか自分でも優勝できるとは思わなかった。まだ実感がわかない」と心境を語る里山は、父へ「まず無事にけがなく場所を終えたこと、そして十両優勝を報告した」と明かし、里山ファンを自認していた博昭さんが「一番喜んでくれていると思う」と笑顔で話した。来場所は横綱、三役をはじめ大型、強豪力士がひしめく幕内での取組が待つ。「これからなので気を引き締めたい。いいけいこをして、さらに上を」と語気を強めた。新入幕が決まってもしこ名は「里山」のままで通す。

3月30日(金)付 

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故島尾ミホさんの葬儀ミサ・告別式行われる

 作家・島尾敏雄さんの妻で短編小説集「海辺の生と死」で知られ、二十五日に八十七歳で死去した故島尾ミホさんの葬儀ミサ・告別式が二十九日、奄美市名瀬幸町のカトリック名瀬聖心教会でしめやかに執り行われ、約二百人が参列してミホさんの大きな業績をしのび、めい福を祈った。
 葬儀ミサ・告別式は島尾敏雄顕彰会と島尾敏雄研究会の両会員で実行委員会を組織して行われた。正午すぎには奄美内外の各界から弔問客が次々と訪れた。祭壇にはミホさん自身が気に入っていたという戦時中の写真が遺影として飾られた。
 葬儀ミサに続き、義永秀親瀬戸内町長と楠田豊春葬儀委員長が在りし日の思い出や遺徳をしのびながら弔辞。義永町長が「喪服を紫の衣に替え、天国で敏雄先生と再会して」、楠田豊春委員長が「二人が残された薫り高い文学の数々や愛のきずなは私たちの教訓。天上から見守って」などとそれぞれ声を詰まらせながら別れを惜しんだ。
 詩人仲川文子さんがミホさんの短編小説集『海辺の生と死』から「茜雲」の一節を朗読した後、喪主で長男の島尾伸三さん(58)が遺族を代表して「親不幸で悔いることばかりだが、皆さんの優しい心遣いのおかげで母は楽しい島の生活を送ることができた」と謝辞を述べた。
 最後に参列者が一人ずつ白菊を献花し、ミホさんとの別れを惜しんだ。
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