| 3/31 | 4/1 | 4/2 | 4/3 | 4/4 | 4/5 | 4/6 | バックナンバーへ | ||||||
○…別れの季節を迎えた奄美の海、空の玄関では、進学や就職、異動で島を離れる人々を送り出そうと、連日大勢が詰め掛け、離島ならではの惜別の光景が繰り広げられた。○…学校の離任があった二十八日、名瀬新港では離島勤務を全うした恩師や同僚を送り出そうと、教え子や職場の仲間、保護者らが多数見送りに訪れた。船が入港するころ、待合室などでは横断幕やのぼりを上げ学校、職場単位で集まり、転任者を囲んで別れの言葉が交わされた。花束の贈呈や校歌斉唱に涙を浮かべる教員の姿もあった。 ○…午後九時五十分ごろ、ボーディングブリッジが外され、いよいよ出港。船がゆっくり離岸すると、甲板から扇状に広がった紙テープが夜空に舞った。「さようなら」「手紙を書くよ」などといっそう大きな声と万歳三唱が響く中、互いに手を振って別れを惜しんだ。 |
| 全国統一地方選挙の前半戦と位置付けられている県議会議員選挙は三十日告示され、九日間にわたる選挙戦がスタートした。四月八日に投開票される。奄美市区(定数二、龍郷町含む)に三人、大島郡区(定数二)に二人が立候補し、予想通りの顔ぶれが出そろった。奄美市区は、これまで二大勢力だった「自民票」「自由連合票」などが複雑に交錯して混戦模様を呈している。大島郡区は初の無投票となった。各候補は主要地盤で第一声を上げた後、精力的に遊説をこなした。 奄美市区に立候補したのは無所属で現職の栄和弘氏(63)、自民党公認で現職の永井章義氏(50)、自民党公認で現職の与力雄氏(61)=届け出順=の三人。栄氏は連合鹿児島の推薦を受けている。 奄美市区は県内でも注目の選挙区。市町村合併に伴って前回の旧名瀬市区から選挙区は四地区(旧名瀬市、旧住用村、旧笠利町、龍郷町)に拡大し、登録有権者数は一万人以上増え、定数は一増となった。栄氏、永井氏は大島郡区からくら替えし、与氏は旧名瀬市区から四地区に拡大した選挙区での選挙戦となる。現職三陣営は初めてとなる選挙区での選挙戦に臨むことになり、しのぎを削る戦いが始まった。 大きな注目点は、奄美で二大勢力だった「自民票」と「自由連合」票の行方。自由連合代表を務めていた徳田毅衆院議員が昨年末に自民党入りし、同党の鹿児島2区支部長に就任して以降、その後の選挙への影響が注目されてきた。今回の県議選奄美市区に関して徳田氏は「自民党公認の二氏の当選に向けて全力を尽くす」との考えを表明した。定数二に自民現職二人が出馬を表明したことで自民票が割れ、前回まで栄氏を推薦してきた自由連合票(徳田票)も割れ、各陣営から「読みづらい選挙」との声が出ている。 三氏が立候補表明して顔ぶれが出そろったのは二月下旬と遅くなり、前哨戦は静かに推移した。自主投票としている公明票と共産票、浮動票の行方も注目される。 三月二十九日現在の奄美地区の登録有権者数は四万三千九百六十五人(名瀬地区三万一千九百六十人、住用地区千四百三十人、笠利地区五千六百三十八人、龍郷町四千九百三十七人)。 |
| 県議選大島郡区(定数二)に立候補したのは無所属新人のT久伸一郎氏(50)と自民党現職の金子万寿夫氏(60)=届け出順。午後五時の締め切りまでに他に立候補者は無く、二氏の無投票当選が決まった。奄美での県議選無投票は現行制度では初めて。 初陣のT久氏は徳田毅衆院議員の後援会や徳田氏を支援する奄美群島市町村振興議員連盟などの要請を受けた形で、無所属で出馬。徳田氏の自民入りをめぐって後援会の一部には不満もくすぶっていたが、結果的には無投票で議席を獲得した。 金子氏は一九九一年の初当選から連続五期目。前回選挙では全県トップの二万票を獲得、その後県議会議長に就任した。〇四年県知事選、〇五年衆院選と続いた党分裂選の影響など過去の選挙に無い未知数の要素もあったが、無投票で当選回数を伸ばした。 郡区は共産党が候補者擁立を模索していたが、三月に入って「選挙態勢を整えるは難しい」として断念。自民党と徳田毅後援会という従来の二大勢力が混じり合うことなく、二議席を分け合う格好となった。 |
| 先頭へ戻る ホームへ | |
|
|
|
三十日午後十一時二十分ごろ、徳之島町山集落近くの天城岳=標高約五百三十三メートル=の山中に、陸上自衛隊西部方面隊第一混成団(沖縄県那覇市)所属のCH47型輸送ヘリコプターが墜落し、炎上した。三十一日午前、航空自衛隊の救難機が現場付近でメーンローター(回転翼)などを発見。徳之島地区消防組合の現地対策本部などが捜索したところ、大破した機体とともに乗員四人全員を発見したが、いずれも死亡が確認された。民間人にけがはなかった。西部方面隊などは事故調査委員会を設置し、委員を現地に派遣して詳しい事故原因を調べている。県警も自衛隊機墜落事故対策本部を設置し対応に追われている。墜落したヘリは、鹿児島県から急患搬送の要請を受け、那覇から徳之島に向かっている途中だった。名瀬測候所によると、徳之島周辺では事故当時、東南東の風二メートル、海上濃霧警報が出されていたという。急患搬送などに絡む自衛隊機の墜落事故は、一九六二年(昭和三十七年)九月三日に血液輸送中の海上自衛隊鹿屋基地のP2V機が旧名瀬市のらんかん山に接触、墜落炎上して以来。同事故では乗員十二人が死亡、民家二十一棟が全焼し、十人が重軽傷を負った。陸自第一混成団によると、ヘリに搭乗していたのは機長の建村善知(たてむら・よしとも)三等佐(54)=徳之島町出身=のほか、副操縦士の坂口弘一一等陸尉(53)=佐賀県出身=、いずれも整備員の岩永浩一二等陸曹(42)=長崎県出身=、藤永真司二等陸曹(33)=大分県出身=の四人。 陸自西部方面総監部や県危機管理防災課などによると、三十日午後九時八分ごろ、徳之島地区消防組合から急患搬送の要請があり、同団所属のCH47型ヘリが同四十九分、那覇空港を離陸。午後十一時ごろ、悪天候による視界不良のため、着陸を予定していた徳之島町総合運動公園から徳之島空港に針路を変更した。 午後十一時十分、ヘリから「グラウンドに着陸できないため、空港に向かう」との連絡があったあと、途絶えた。操縦者は不明だが、飛行時間は機長が四千八百五十時間、副操縦士が六千三百時間で、ともにベテランだったという。 徳之島署によると、事故当時、天城岳付近でヘリが低空飛行し、墜落したのを釣り客らが目撃。その後、住民から「徳之島山中で爆発音がした」「山が燃えている」などの通報が複数あったという。徳之島空港管理事務所によると、午後六時は霧を観測しており、視界は五キロ未満だったという。 急患搬送の要請は、徳之島在住の七十代の女性が胸部大動脈瘤(りゅう)破裂の手術を受けるため、同ヘリで徳之島徳洲会病院から沖縄県の病院へ搬送するもの。女性は三十一日午前、海上自衛隊鹿屋航空基地のヘリで救急搬送されたという。 |
|
| 先頭へ戻る ホームへ | |
|
|
|
沖縄―沖永良部間のチャーター便運航を担う(株)エアードルフィン(那覇市)が航空運送会社・(株)エアトランセ(函館市)と業務提携し、一日から同路線に十六人乗りビーチクラフト機を就航させた。機種の更新で座席数が増え、飛行時間が短縮されたことなどから利便性向上への期待が高まっている。就航したのは米国レイセオンエアクラフト社製のビーチクラフト1900D型(全長十七・六二メートル、翼長十七・六四メートル)。両社の代理店契約で運航をエアトランセ、航空券販売をエアードルフィンが担い、一日二往復四便を運航することになった。一般利用客の座席数は旧チャーター機の二倍に当たる十六席へ増加。静粛性に優れた双発ターボプロップエンジンを搭載し、飛行時間は五十分から三十五分へ短縮された。 就航初日は沖永良部空港でセレモニーがあり、関係者が高木一機長らに花束を贈った。新しいチャーター便を一目見ようと空港には多くの住民が足を運び、就航を祝った。 和泊町で航空券の委託販売を手掛ける山田海陸航空によると、同路線の利用者は年間約一万二千人。沖永良部島からは東京、大阪などへの乗り継ぎ便として利用する搭乗客も多いという。沖永良部からの一便に搭乗した同町の栄安勝さん(67)は「以前よりも安全性が高まったと聞いて喜んでいる。沖縄で住む孫に会うため利用したい」と話していた。 |
|
|
|
|
| 徳之島地域バス路線対策協議会(会長・大久保明伊仙町長)主催の代替バス出発式が一日、天城町平土野であった。代替バスの運営主体となる三町の首長や運行委託を受けた徳之島総合陸運(株)の関係者など四十人余りが出席。運行の安全と利用者拡大などを祈念した。 代替バスへの移行は、徳之島のバス事業を担う徳之島総合陸運がバス事業の赤字拡大などを理由に、一部系統(八系統中六系統)の廃止を国に申請。対応を迫られた自治体側はバス対策協を発足させ、代替バスを運行して路線を存続することを決めた。 出発式で大久保会長は「過疎化やマイカー時代の到来でバス利用者が減少し、総合陸運のバス事業の経営が困難となった。もてなしの島を作り、観光客を増やすなど知恵を絞ってバス利用を増やしていこう」などとあいさつ。三町の首長ら関係者五人でテープカットした後、犬田布経由亀津行きのバスに乗車したバス対策協の委員らを拍手で見送った。 代替バスは国庫補助対象路線を除く六系統のうち、平土野―瀬滝―西阿木名の一系統を国庫補助対象路線に統合し、亀津―犬田布―平土野線と亀津―伊仙―犬田布線などを統合して五系統で運行する。 バス対策協によると、代替バス五系統の赤字額は年間約三千万円。バス運行により生じた赤字の二分の一は補助され、さらに町が負担した赤字分の八割に特別交付税措置が講じられるという。 |
|
| 先頭へ戻る ホームへ | |
|
|
|
龍郷町出身の実業家、牧野信久さん(58)=東京在住=が、県奄美パーク・田中一村記念美術館(奄美市笠利町)に、花をテーマにした一村の天井画四十点を寄贈・寄託した。作品群は一村が千葉に住んでいた一九四九―五〇年に制作したもので二日、県庁で初公開された。これまでにも多くの一村作品を県に寄託している牧野さんには伊藤祐一郎知事から感謝状が贈られた。一村記念美術館で八月十七日から一カ月間、公開される。作品群は約三十センチ四方の杉板に顔料を使いヒマワリやユリ、フヨウ、モクレン、ボタンなど四十種類の花を一枚ずつ丁寧に描いたもので、一村らしい鋭い観察力で生き生きと表現されている。一村の支援者が手放したのを牧野さんが一括購入し、このほど県に二十点を寄贈、残る二十点を寄託した。一村の天井画は石川県の「やわらぎの郷」にある薬草を描いた四十九枚の天井画が広く知られているが、花をテーマにした天井画は今回が初公開となる。 一村記念美術館のコレクションは今回の寄贈、寄託分を含め二百六十二点。牧野さんはこのうち一村の千葉時代の代表作「秋晴れ」など五十九点を寄贈・寄託している。 知事から感謝状を贈られた牧野さんは「一村の作品との出会いで私自身も仕事の上で大きなパワーをもらった。将来は寄託している作品も寄贈しみんなの財産にしたい。美術館に多くの人が足を運ぶことで奄美の活性化にもつながるとうれしい」と語っていた。 |
|
|
|
|
○…日の当たりにくい木立の落ち葉の間から純白の花が顔をのぞかせる。そのたたずまいはまるで妖精―。日に日に暖かくなり、新緑が映え出した奄美の森の中ではギンリョウソウの花が咲きだし、ひそかに春本番を告げている。○…イチヤクソウの仲間。国内に広く分布し、腐植土の多い林床に生える。高さは十センチ前後。和名の「銀龍草」は龍の形に似ているのが由来。茎も白色。葉緑素を持たず、こうべを垂れたような容姿から「ユウレイタケ」とも呼ばれる。 |
|
| 先頭へ戻る ホームへ | |
|
|
|
| 輸入木材高騰に伴う国内産木材の見直しが進められる中、宇検村と宇検林産(株)=古川富雄代表取締役、本社同村須古=の立地協定調印式が三日、同村役場一階会議室であった。操業開始を六月に予定、新規に地元雇用五人が決まった。 宇検林産は二〇〇七年三月設立。資本金は五百万円で木材チップの生産と販売を行う。工場と事務所を同村須古の旧南栄木材大島チップ工場跡に設置。生産計画では月間千五百トンを目標に、当面は同千トンを目指し、投資予定額は約一億二千万円。 式には國馬和範村長と古川社長、立会人として県大島支庁の中野実支庁長らが出席。あいさつで國馬村長は「公約の実現の第一歩となった。若者の雇用と定住促進、地域経済の浮揚に期待したい」などとあいさつ。古川社長は「これまで奄美にはお世話になってきた。奄美の林業のために、山を持つ人が利益を得るように努力したい」と力を込めた。 立ち会った中野支庁長は「地元雇用につながり感謝したい。人と自然の共生の下、工夫を凝らした森林伐採を」などと期待を表明した。 同社に出資する中越パルプ工業(株)川内工場の楠原勝市事務部長はチップ工場の進出について「輸入木材の確保が徐々に難しくなってきており、値段的に同じ土俵に上がることができたことが大きい」などと述べた。 |
|
|
|
|
奄美大島に生息するゾウムシの仲間が新種と分かり、二〇〇七年中に学会機関誌に記載して発表されることになった。奄美市名瀬小湊に住む昆虫研究家、西真弘さん(34)が地元で採集し、東京大学大学院総合文化研究科の吉武啓博士研究員(昆虫学)が新種と確認した。体長は四ミリ前後で、色は全体的に黒っぽい。最も近いトゲカタビロサルゾウムシと違って光沢がないうえ、前羽の中央部と肩部に白紋があるのが特徴。形状と採集地にちなんだ和名を付け、二人の連名で学会に発表するという。 西さんは和歌山県出身。幼少から昆虫が好きで、近畿大学農学部昆虫研究室に進み、環境調査会社を辞めて〇五年に奄美大島にIターン。マングースの駆除に当たる傍ら、休日に昆虫を採集している。〇六年に小湊集落の神社裏手の山で採集したゾウムシの雄を「新種ではないか」と考え、出身地和歌山県の県立自然博物館の的場績学芸員を通じて吉武研究員に鑑定を依頼していた。 ゾウムシは日本に千三百種、世界中に六万種以上も知られているが、分類学的な研究が遅れているという。雌とDNA鑑定用の採集で来島した吉武研究員は「最終的には生殖器官の形状が違うことが新種の根拠となった」とした上で、「奄美大島では研究が進むともっと新種が見つかる可能性がある」と話した。西さんも「新種と記録される昆虫を採集できてうれしい。今後もゾウムシなどの研究を進めたい」と話していた。(写真は東大の吉武啓博士研究員提供) |
|
| 二〇〇七年春季全国酒類コンクール(全日本国際酒類振興会主催)の審査会がこのほど東京であり、奄美大島酒造(株)(本社奄美市、有村栄男社長)が出品した黒糖焼酎「高倉」(アルコール度数30度)が本格焼酎部門の第一位に輝いた。 民間の酒類コンクールとしては日本一の規模を誇る同コンクールに、同社は二〇〇三年から毎年出品。これまでに黒糖焼酎部門で「浜千鳥乃詩・原酒」など二銘柄が四年連続第一位に選ばれていたが、イモやムギなどを含めた本格焼酎総合部門で第一位を獲得したのはこれが初めて。 「高倉」は一九七二年(昭和四十七年)から製造されており、九〇年(平成二年)からは三年以上貯蔵した原酒をさらに樫樽で半年から一年寝かせて琥珀(こはく)色に熟成させたものを販売している。年間の製造量は五百四十キロリットル。 同社は数年間貯蔵した焼酎だけを販売する方針を持ち、原料には奄美産黒糖が約七割使われているという。 |
|
| 先頭へ戻る ホームへ | |
国際青少年協会が主催する「第三十一回ちびっこ探検学校ヨロン島」が三月二十八日からの五日間、与論町で開催された。北海道から沖縄まで全国の小学生約三百六十人が与論島の自然に親しみ、地元の子供たちと友情をはぐくんだ。探検学校は青少年が自然体験や団体生活を通じて助け合いの心を学ぶことなどが目的。沖縄県在住の米国人ら外国人が三割を占め、初日の「入島式」では各国代表のスピーチも披露された。 与論町の児童十四人を含む参加者は民宿に泊まって共同生活を送り、海水浴や与論島散策を楽しんだ。エイサーを練習したり、黒砂糖作りに挑戦したりと同島ならではの活動も体験。大金久海岸では竹を使っていかだを組み立て、青い海へ繰り出した。最終日の四月一日は与論港で解散し、再会を誓い合った。 |
|
| 先頭へ戻る ホームへ | |
|
|
|
| 本場奄美大島紬協同組合(赤崎拓郎理事長)はこのほど、二〇〇六年度大島紬生産実績をまとめた。生産反数は二万二千七百四十七反で前年より三千八百三十七反(14・4%)も減少し、減反傾向に拍車が掛かった状況。このままのペースで減反が続けば、〇七年度には二万反を割り込む可能性も出てきた。 生産反数を月別で見ると、前年度比を上回ったのは七月(101・4%)だけ。中でも二月(78・0%)、三月(78・6%)、八月(79・2%)は前年度比の80%台を割り込み、落ち込みが大きかった。 経(たて)糸の密度で表す算(よみ)別の生産反数は十五・五算が一万六千八百九十七反、十三算が五千八百五十反。十五・五算は前年度比で二千四百九反(12・5%)減、十三算は千四百二十八反(19・6%)減となった。 染色別では泥が一万四千七十一反、泥アイが三百四十五反、草木泥が五百二反、化染が七千八百二十九反。前年度比では泥19・4%、泥アイ13・1%、草木泥23・0%、化染3・0%それぞれ減少した。 男女別では男物四千十反、女物一万八千七百三十七反。男物は四百十四反(9・4%)減、女物は三千四百二十三反(15・4%)減。 赤崎理事長は大きく落ち込んだ理由として、大手呉服販売会社の倒産を受けて問屋の仕入れが鈍ったことなどが影響し、減反傾向に拍車を掛けたと指摘。「生産履歴システムや地域ブランド登録をてこに、流通や小売とも協力して現状を打開していきたい」とした。 |
|
|
|
|
○…奄美各地でギーマの花が見ごろを迎えた。つぼ状の白い花を鈴なりに咲かせ、人々の目を楽しませている。○…琉球列島に分布するツツジ科の常緑小高木。三月から五月にかけて開花し、実は秋ごろ黒紫色に熟す。方言名がそのまま和名となり、以前は実を食べる習慣もあった。 ○…沖永良部島の植物に詳しい知名町の新納忠人さん(64)は 「園芸愛好家の間では人気が高い植物の一つ。沖永良部島ではギーマやギマギと呼ばれ、庭に植栽する家庭も多い。最近は乱掘で自生数が減っているようだ」と話している。 |
|
|
|
|
瀬戸内町が古仁屋漁港大湊地区に建設を進めてきた総合ターミナルビル「海の駅せとうち」の工事がほぼ完了した。海の幸が満載の料理や自然と文化、島唄などのプログラムを内外に発信する拠点施設で、全国で八十三カ所目。五月一日にオープン予定。ターミナルビル整備事業は、一九九一年度に始まった古仁屋漁港活性化計画(コニヤ21プラン)の一環。総事業費は約五億円で、同町の大型プロジェクトの一つ。九州運輸局などによると、「海の駅」は、プレジャーボートなどが利用できる係留施設や設備、サービスなどが充実しているマリーナのことで、各「海の駅」では、地域オンリーワンの海洋資源を生かした多彩なマリンレジャーが満喫でき、歴史や文化、味覚などの豊富な観光資源が充実しているという。 「海の駅せとうち」は、敷地面積約三千七百平方メートルに、鉄筋コンクリート二階建て(延べ床面積約千五百平方メートル)を建設し、周辺には約百台分の駐車スペースと緑地帯などを整備した。 ビルの外観は、青い海と真珠をイメージ。一階部分は船舶とバスの発券所を確保。地元で水揚げされるクロマグロ、カンパチ、タイなどの水産物を扱ったレストランのほか、キビ酢、塩などの特産品販売コーナー、観光スポットの案内所、ミニコンサートや展示会などを開催するふれあい広場も設けた。 二階部分には、ビデオシアターやクロマグロをメーンに地場産食材を使った料理を提供する食事コーナーを設置する。ビル中央部分は一階から二階までを一部吹き抜けにし、太陽光を取り入れる考えだ。 同町は、これまでの日帰り観光地からの脱却を目指し、アイランドテラピー事業やタラソ健康づくり事業などと連動させて住民が主体となった人材育成やプログラムづくりに取り組んでいる。豊かな自然環境を生かし、幅広い年齢層をターゲットに体験・滞在型観光で地域活性化を図る考えだ。 |
|
| 先頭に戻る | |