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4月21日(土)付 

奄美市でビアガーデンがオープン
○…冷たいビールで初夏の香りを満喫―。名瀬市のホテルでは二十日夕からビアガーデンがオープンした。仕事を終えた職場のグループや気の合った仲間同士がなみなみと注がれたジョッキで乾杯。夏気分を先取りした。
 ○…名瀬湾や市街地を一望できる七階屋上のビアガーデンは、日の傾きかけた午後七時前には満員状態。職場の同僚らで訪れた男性客らは「まだ少し肌寒いが見晴らしもよく最高」と、ほろ酔いで上機嫌だった。
 ○…トップを切ったのは同市長浜町のホテルビッグマリン奄美。好天に恵まれオープンを待ちわびた団体の予約客らが次々に訪れた。鹿児島地方気象台の六月までの三カ月予報は「天候、気温とも平年並みの確率が高い見込み」とビール党にとってはまずまずの気候になりそう。
関西奄美会の奄美大島大自然探訪ツアーで出身者らが磯遊び
 関西奄美会(植村映三郎会長)が呼び掛けた奄美大島大自然探訪ツアーが十八―二十日、奄美大島一帯であった。出身者と奄美ファン十九人が参加。サンガツサンチ(旧暦三月三日)の潮干狩り(磯歩き)を楽しみ、ヒラメを放流。海の魅力を満喫した。
 探訪ツアーは今回二度目。得本嘉三顧問(喜界島出身)や旅行会社役員の久保秀基さん=奄美市名瀬出身=らが島の「サンガツサンチ」に注目。「大潮の干潮時に顔を出すリーフを活用したツアー」を企画した。
 初日は鶏飯を味わい、奄美パーク、ハブとマングースのショーを見学した。メーンの潮干狩りは二日目。宇検村宇検の浜に下り、磯の香りの中、海岸を歩き、水たまりにいる小魚、貝類を見つけると歓声を上げた。関西奄美会は今回、ヒラメの稚魚一万匹を放流、豊かな海づくりに一役買った。
 ツアーに参加した山中貴大さん(36)=兵庫県西宮市=は「島の人は食べられる貝やそうでないものをよく知っている。大自然と一体となった島の暮らしに感動した」と話した。

4月22日(日)付 

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リュウキュウアユ再生へシンポジウム開く

 奄美多自然型川作り実行委員会主催のシンポジウム「奄美の地域づくりとヤジの再生〜リュウキュウアユの未来と子供たちに奄美をどう引き継ぐか」が二十一日、奄美市名瀬のホテルで開かれ、専門家二人による基調講演や、リュウキュウアユ保全活動に取り組む地元代表三人の報告、七人が参加したパネルディスカッションがあった。この中ではアユを生かした地域活性化、養殖技術確立による食文化の継承、こもりを作って川の再生化を図るなどさまざまな提案が出た。水温上昇による天然アユへの影響を懸念する指摘があった。
 「リュウキュウアユの魅力」と題して基調講演した鹿児島大学水産学部の四宮明彦教授は「世界中で奄美にしかいない貴重な生物。アユは太平洋側から東シナ海側へ回っては行けず、住用のアユと宇検村河内川のアユは遺伝的性質がかなり違い、どちらの集団も大事。河内川には一万匹いたが、ここ数年の調査では千―二千匹ぐらいしか確認できず心配だ。砂をため、マングローブを植えて干潟を再生できれば生息状況はかなり改善すると思う」と述べた。
 また、@リュウキュウアユは元々はサケの仲間であり、水温が高くなると弱い魚で地球温暖化による水温上昇の影響を懸念している。一時的に保険的な措置としてダム湖に移し、絶滅回避することも必要Aアユ養殖技術を確立し、将来、食べれる状況をつくり食文化を継承することも大事B自然再生プロジェクト、地域ブランド確立、エコツーリズム、グリーンツーリズムを推進して世界自然遺産登録を実現して地域活性化につなげてほしい―と指摘した。

明治期の三方法運動の重要史料見つかる

 明治二十年前後に鹿児島など本土の黒糖商人らに食い物にされていた奄美の住民(黒糖生産者)を救済する立場で、当時の金久支庁長(現大島支庁長)・新納中三の要請によって大阪から進出してきた商社・阿部組(阿部彦太郎)と住民側が交わした「約定證」(契約書)が、このほど大和村大棚の旧家で見つかった。
約定證には、黒糖を担保にした貸付金の年利を8・4%とすることや、黒糖の取引と販売までの管理の具体的な取り決めなどが盛り込まれている。このほど調査した大和村誌編纂(さん)委員の弓削政己さんは「約定證は、新納の意を受けて阿部が進めた黒糖の流通改革の実態がわかる重要な史料」と位置付ける。
 約定證を保存していたのは大和村大棚の時善富さん(58)。寺子屋を開校し、村議会議員もしていた祖先が所有していたもので、時家が大事に保管してきた古文書の一つ。内容は分からず、村誌編纂委員の平瀬達郎さんや弓削さんらに調査を依頼し、存在が確認された。
 約定證は三十三条からなり、奄美の黒糖生産者代表としての島役人・大島直佐登と阿部彦太郎が明治二十年二月に大阪で締結。その内容は、大阪黒糖市場での販売を阿部組に委託する場合の取り決め(委託販売契約)を中心に、@金品の借用に関する取り決めA島民への穀物・生活用品売却に関する取り決めBムラの代表の惣代人(そうだいにん)や事務員の配置と職務に関するもの―の四項目に大別できる。
 弓削さんは「知られている鹿児島商人側の約定書や島民側の『議決録』『申合規約』に加え、新たに阿部組との契約書が見つかったことで、黒糖を本土商人の収奪から解放しようとする島民の三方法運動に関する基礎史料が出そろったことになり、非常に貴重だ」と話す。

4月23日(月)付 

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伊仙町・川嶺辻遺跡で中世の水田跡らしき遺構見つかる

  伊仙町目手久の「川嶺辻遺跡」の埋蔵文化財確認調査が終了し、二十二日に現地説明会があった。中世(千年から五百年前)の水田跡とみられる遺構が見つかっており、同町教育委員会は「琉球列島での確認例は少ない。当時の島民の生活を知る上で貴重」と話している。
 同教委は二〇〇六年十一月から今年三月にかけて発掘調査を実施。水田跡は約二十五メートル四方で、地表から四層(深さ約二メートルにわたって水田跡を確認した。
 水田跡は水が流れ込む谷地の地形をそのまま利用。稲作時に沈殿するマンガン層などが確認されており、同時にカムィヤキや中国製の陶磁器など約一千点が出土した。
 現地説明会には約七十人が参加。発掘調査に当たった同町歴史民俗資料館の新里亮人学芸員(30)は、地層の見分け方などを説明した上で「まだ田んぼの形が分かっただけ。今後、土のサンプル分析なども進めたい」と語った。
 説明会の会場横には発掘調査の流れなどを紹介するパネルのほか、出土品も展示。参加者は祖先の暮らしを知る貴重な資料を熱心に見学していた。

沖永良部ジョギングに650人

 「第二十六回花の島沖えらぶジョギング大会」(同実行委員会主催)は二十二日、和泊町の笠石海浜公園を発着点にあり、約六百五十人が初夏のエラブ路を駆け抜けた。町内を一周するハーフコース(二十一・〇九七五キロ)で谷口功さん(32)=和泊町=が連覇を飾り、大会に花を添えた。
 開会式で伊地知実利町長は「大会は走るあなたが主役。思い思いのペースで走り、さわやかな汗を流そう」と選手を激励。城ヶ丘中二年の山下綾音さんが選手宣誓し、コース別にスタートした。
 大会はファミリーコース(三キロ)に三百十八人、ソフトコース(五キロ)に百三人、ハーフコースに百一人、ハーフリレー(二十一・〇九七五キロ)に二十二組百三十二人がエントリーし、全国各地のランナーが集った。
 沿道にはテッポウユリやグラジオラスなど季節の花が咲き誇り、町民の声援とともに選手の力走を後押し。ファミリーコースでは大会最年長の松本正治さん(91)=和泊町=ら高齢者の元気な姿や、家族連れが子供を抱いて走る光景が見られた。

4月24日(火)付 

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野イチゴが実り始める

 ○…野イチゴが実り始めた。中でも実が大きく人々の食気を誘うのがホウロクイチゴ(バラ科)。奄美市笠利町の農道脇の土手ではほとんどがつぼみ状だったが、数個だけ二センチ前後の実を付けていた。
 ○…和名は大きな葉を焙烙(ほうろく)にたとえたとも、空洞状の実の形に由来するともいわれる。熟した実は甘味があり、かつては子供たちのおやつ代わりにもなった。林道などでは大きな葉の間で赤い実が誘うが、くれぐれもハブには気をつけてほしい。

薩摩軍奄美侵攻の古戦場で慰霊祭

 一六〇九年の薩摩軍の奄美・琉球侵攻時、最初に上陸したとされる奄美市笠利町手花部の津代古戦場跡で二十二日、地元住民ら約二十人が出席した慰霊祭があった。また、「しまぬゆ1」が南方新社より発刊され、奄美・琉球侵攻の背景や経過を検証している。
 慰霊祭は、民間団体「三七(みな)の会」が主催し、津代での戦闘を「奄美の歴史を見詰め直す原点」と位置付け、薩摩軍が津代港に姿を見せた旧暦三月七日前後に開催しており、今年で十一回目。二〇〇九年には四百年祭を計画している。
 「しまぬゆ」編集委員の森本眞一郎さんと薗博明さんらが、慰霊祭を開催した経緯などを説明し、「先祖の生き方を検証し、今を見詰め未来を展望することが自分たちで生きていくための条件。その一つのよすが古戦場跡。次世代へ伝えていくために地元住民らと相談しながら石碑建立を考えていきたい」と語り、参加者らがソテツ葉を献花した。
 「しまぬゆ1」は刊行委員会が編集、鹿児島国際大学の山下欣一名誉教授と瀬戸内町出身の郷土史家・義富弘氏が執筆している。義氏は「1609年、奄美・琉球侵略」のタイトルで、古代から一六〇九年の薩摩軍侵攻までを@南島と大和A琉球王国B奄美・琉球侵略の背景C奄美・琉球侵略経過D戦後処理―の五章で綿密に検証している。

障害者支援施設あしたば園製造のパン販売始まる

 障害者の就労や自立を支援する多機能型施設・あしたば園(奄美市名瀬西仲勝、向井扶美施設長)は二十三日、パンの製造販売を開始した。同所のパン工房で焼かれた約三十種類の菓子パンや惣菜パンは、同市小浜町の店舗あしたば村で販売され、市内の主婦などが焼きたてパンを買い求めていた。
 同園を利用する障害者は二十五人。現在は熊本県から招かれた職人がパンの焼き方を園の職員に指導している段階で、ゆくゆくは利用者がパンの製造にも携わっていく。売り上げから原材料費や光熱費を引いた利益分が工賃として利用者に支払われる。
 パン販売が始まったこの日、あしたば村のショーケースにはチョココロネやシュガートースト、マフィンなどの菓子パンのほか、ハムチーズパンやフランクロールといった惣菜パンが並んだ。モモの果肉などが入った「もものパン」と「ヨモギもちアンパン」などが人気商品だという。
 同園は、売れ行きを見ながら商品の入れ替えも行う予定。販売は土日定休(祭日はオープン)の週五日。パンは午前十一時半ごろから午後六時まで販売される。

4月25日(水)付 

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住用・マングローブパークでリュウキュウアユの稚魚展示

 奄美市住用町の「黒潮の森マングローブパーク」の水槽では今月中旬からリュウキュウアユの稚魚を展示している。ゴールデンウイークに合わせたお客さまサービスの一環で、毎年この時期から展示を始めている。
 飼育係の寿浩義さん(49)によると、稚魚は昨年十二月二十五日にふ化したもので、ウロコが見え始めるふ化後百十日―百二十日ぐらいをめどに水槽に移しており、体長三―四センチに成長している。体色は銀色でキビナゴに似ている。
 水槽では体長一四―一五センチほどの成魚二十数匹も観察できる。成魚の体色は茶色、ひれは黄色がかっている。稚魚は夏ごろには一〇センチほどの大きさになるという。

和泊町歴史民俗資料館で「YS―11」のプロペラ展示

 四十一年間にわたって鹿児島県の離島路線などを担い、昨年九月に退役した国産旅客機「YS―11」のプロペラが和泊町歴史民俗資料館で展示されている。日本エアコミューター(JAC)が寄贈したもので、長年「離島の翼」として親しまれた姿を間近で見ることができる。
 YS機は唯一の国産旅客機として一九六五年に初就航し、昨年九月の鹿児島―沖永良部線を最後に運航を終えた。同路線はJACが七二年に初めてYS機を導入した定期路線で、沖永良部島の人々の愛着も深い。
 寄贈されたプロペラは長さ約二メートル、最大幅約三十二センチ。霧島市のJAC本社や与論町のサザンクロスセンター、鹿児島空港にも展示されている。和泊町歴民館はラストフライトの模様を伝えるDVDを放映しているほか、五月末まで沖永良部島の空撮写真展などを開いている。
 開館は午前九時から午後五時まで(水曜日休館)。同館職員の伊地知裕仁さんは「県本土と沖永良部を結ぶ飛行機として身近な存在だった。島の生活を支えてくれたYS機に触れてほしい」と来館を呼び掛けた。

4月26日(木)付 

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笠利出身力士、里山が新入幕
日本相撲協会は二十五日、大相撲夏場所(東京・両国国技館)の番付発表を行い、里山(25)=本名・里山浩作、奄美市笠利町出身、尾上部屋=の幕内昇進が正式に決まった。里山は西前頭十二枚目。五月十三日に初日を迎える。
 幕内力士誕生は奄美群島では旭道山(徳之島町)以来十八年ぶり、奄美大島では初代朝ノ海(宇検村)以来四十四年ぶり。奄美市出身では旧名瀬市、旧住用村を含め初の新入幕を果たし、尾上部屋の力士でも初入幕となった。
 一七六センチ、一一七キロの小さな体で取る粘り強い相撲は、十両でも大きな拍手を集めていた。
 東京都大田区の同部屋で記者会見した里山は「すごくうれしい。まず勝ち越し、そして二ケタを目指したい」と喜びを語った。今年一月六日、父博昭さんが六十六歳で死去。翌日からの初場所は負け越したが、春場所は出足の良さで初の十両優勝を遂げた。「(新入幕は)父が一番楽しみにしていた。夏場所ではいい相撲を父に見せたい」と改めて健闘を誓った。

紬原図展製品化コンテストで畠山紬工場が最優秀賞

 (財)奄美群島地域産業振興基金協会(赤崎拓郎理事長)が主催する「第十八回本場奄美大島紬原図展製品コンテスト」の審査会が二十五日、奄美市名瀬の紬会館であり、最優秀賞一点と優秀賞三点を決めた。最優秀賞は畠山紬工場=奄美市=が製品化した「奄美の朝霧」(原図作者・高橋弘則氏=京都府)が受賞した。
 コンテストは新しいデザインの導入や大島紬の需要拡大などを目的に毎年開催されている。昨年七月の原図製品化抽選会で二十六点(応募数百六十七点)の入賞作を決め、地元の製造業者が製品化した十六点が出品された。製品化された作品はリード商品として販売促進などに活用される。
 赤崎理事長や本場奄美大島紬協同組合伝統工芸士会の田中茂樹会長など五人が審査員を務め、原図と製品の斬新(ざんしん)性や市場性、色彩性、デザイン性、仕上がりなどを総合的に勘案して選考した。
 審査後、赤崎理事長は「素晴らしい技術を駆使した優秀な作品が多く出品されて、甲乙付け難かった。最優秀作品は奄美のソテツを表現したもので、地域性などが出ていて良かった」などと講評した。
 優秀賞は次の通り。(敬称略)
 ▽有村絹織物梶♂t市=作品名・花のリズム、原図作者・尾崎潤子▽(有)前田紬工芸=龍郷町=作品名・平安への想い、原図作者・中広祐之▽古山工房=奄美市=作品名・砂紋、原図作者・小林かよ子

4月27日(金)付 

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奄美市立奄美博物館で塔原(とうばる)遺跡の遺物展

 天城町兼久の塔原(とうばる)遺跡の遺物展「向井一雄氏収集考古資料展」が二十五日から、奄美市立奄美博物館で常設されている。同遺跡は現在確認されている南西諸島唯一の石器製作跡として研究者の注目を集める。発見者の向井さん(77)=天城町文化財保護審議会委員=の膨大なコレクションから、黒曜石を中心に貴重な寄託資料三百点を展示している。遺物展は年末まで。
 塔原遺跡は縄文時代終末期から弥生時代初頭期の集落遺跡。向井さんは農業の傍ら約四十年かけて収集してきた。
 中でも矢じりなどに使われる黒曜石(佐賀県・腰岳産)の砕片が琉球弧最大の収集量を誇り、チャート石(徳之島産)の石器や破片も多数出土していることから、「石器製作工場」の機能を持っていたと位置付けられている。
 展示コーナーではこれらをはじめ、磨製石斧や擦り石、千間遺跡、喜治貝塚の遺物も紹介した。向井さんは「普段から農業で土に触れているので出土品の場所は土が教えてくれる。奄美でも多くの人に資料を見てもらいたい」と呼び掛けた。
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