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心の健康づくりを推進しようと和泊町保健福祉課が主催するリフレッシュ教室が十一日、町保健センターで始まった。初回は二十代から七十代までの男女約二十人が参加。プリザーブドフラワーを使った小物作りを楽しむとともに、ストレス対処法について理解を深めた。同課によると、和泊町の中年層の死亡原因はがんに次いで自殺が多く、心の病が一要因に考えられるという。行政対策として「こころの電話」開設や健康相談に取り組む一方、ストレスへの対処法を紹介する場として教室を企画した。 参加者はオリエンテーションで早世の現状について説明を受け、ストレスが招く病気や対処法を学んだ。続いて日本プリザーブドフラワー協会講師の中江育子さんの指導を受け、プリザーブドフラワーを小物に飾り付ける作業に取り組んだ。 教室を担当する保健師の西村明子さんは「趣味や運動などリフレッシュの方法は人それぞれ。ストレスと向き合う手だてを紹介する一方、町の現状も伝えていきたい」と語った。第二回以降は茶道体験やパン作りなどを計画している。 |
与論町の伝統行事「与論十五夜踊」で使用される面をモチーフにしたお守りが同町立長のサザンクロスセンターに登場した。「家内安穏」や「交通安全」が祈願され、土産品として購入する人も多いという。お守りは踊り手の一人として継承に取り組む基俊文さん(同町麦屋)が製作した。手のひらサイズのざるを和紙で包み、貝殻やソテツの実で飾りを付けた。表面に描いたのは十五夜踊の中で最も大きな仮面「朝伊名」。朝伊名は室町時代の狂言を取り入れた一番組の演目「町奉行」に登場する。 お守りは一晩神棚に供えて同センターに並べる。大サイズは九百円、小サイズは五百円で販売している。 |
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| 文理融合型で包括的に奄美をとらえようと先月、「奄美研究班」を立ち上げた琉球大学アジア太平洋島嶼(とうしょ)研究センター(センター長・大城肇法文学部教授)は十一日、奄美市の奄美会館で「第一回出前講座in奄美」を開いた。同大の教授らが島嶼や健康保養など各分野の立場から研究成果を報告し、奄美の発展に向けて提言した。今秋にも第二回講座を予定している。 大城センター長はあいさつで研究班発足の趣旨を説明しながら「成果を市民に還元するため出前講座を開いた。可能な限り継続していきたい。自由に提案、提言を」と呼び掛けた。 荒川雅志法文学部准教授は「地域資源を活かした観光〜奄美・健康保養観光への期待」と題して講義した。 二〇〇七年問題で健康や長寿が国民の最大の関心事になることから「健康プラス保養型観光は時代の要請」と指摘。奄美や沖縄は国内で唯一亜熱帯・海洋性環境要素を生かしたタラソテラピーなどの観光、地域振興策が実現可能とした。さらに他との差別化や高付加価値化を図るためにもエビデンス(科学的根拠)に基づいたデータ提供が必要不可欠―と強調した。 このほか大城センター長、上江洲榮子教育学部教授も研究報告した。会場には市民や高校生らが多数訪れ、興味深く聴き入っていた。 |
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| 第二十八回奄美民謡大賞が十二日、奄美市の奄美文化センターで開かれ、初日は少年、青年の二部門を審査した。チビッ子たちの伸びやかな歌声に始まり、成長著しい若手までそれぞれが鍛え抜かれたのどを披露。部門最優秀賞は古仁屋中二年の里歩寿さん(少年)、笠利町の山下聖子さん(青年)が選ばれた。 初日は界眞子さん(湾小三年)の「むちゃかな節」に始まり、少年の部四十二人、青年の部五十人がステージで歌声を競った。喜界島、奄美大島、徳之島のほか鹿児島、大阪、東京、富山、愛媛からのエントリーも。ゲストに西和美さんら歴代の大賞受賞者が登場して花を添えた。 大会は各部門ごとに最優秀賞を選出後、最終日に最高賞の奄美民謡大賞を審査する。七月八日に鹿児島市である県民謡王座決定戦の予選も兼ねており、各部門の最優秀賞と優秀賞の中から各一人の計八人を奄美代表として選出する。 |
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第二十八回奄美民謡大賞の最終日は十三日、奄美市の奄美文化センターであり、高年、壮年の部が行われた。部門最優秀賞は高年の部が西俊子さん(笠利町)、壮年の部は上原京子さん(瀬戸内町)がそれぞれ選ばれた。奄美民謡大賞は青年の部の山下聖子さん(笠利町)が獲得した。同日も午前十時に始まり、高年の部四十人、壮年の部は四部門で最も多い五十八人が出場。高年はベテランらしく円熟味を増した歌声で“ワキャシマ”の一曲をじっくりと聴かせた。実力者ひしめく壮年は磨きのかかったのどを披露し、審査員をうならせた。長時間にもかかわらず会場には朝から熱心な島唄ファンが詰め掛け盛んな拍手を送っていた。 審査員代表の築地俊造さんは「本土に住む出身者や奄美以外の出身者がいい成績を取っている。奄美の唄者も触発されて努力してほしい」とさらなる成長を促した。 七月八日に鹿児島市である県民謡王座決定戦の奄美地区代表者として県内在住の入賞者から各部門二人ずつ計八人を選出した。 |
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神奈川大学日本常民文化研究所が所蔵する約七十年前の喜界島の写真が十二日夕、喜界町中央公民館で一般公開された。撮影者は同町阿伝出身の民俗学者・岩倉市郎。同大の香月洋一郎教授の解説で当時の日常生活を撮った約九十点がスライドで紹介された。岩倉は阿伝の小学校を卒業、県立志布志中学時代に民話などに興味を持ち、上京後、伊波普猷の勧めで南島語を研究、澁澤敬三が設立したアチックミューゼアム(後の日本常民文化研究所)に参加、柳田国男や宮本常一らと共に活躍した。「喜界島方言集」や「喜界島昔話集」など著したが、一九四三年に四十歳の若さで死去した。 日本常民文化研究所 の資料の中に澁澤が昭和初期、日本各地で撮影させた写真(澁澤写真)約八千枚が残されており、岩倉が撮影した喜界島の写真約二百五十点もその中に含まれていた。香月教授によると、澁澤写真が公開されるのは全国で初めてだと言う。写真は同町図書館(瀧正毅館長)のセミナーで公開された。岩倉が三六年に教え子の拵嘉一郎(こしらえ・かいちろう)をアシスタントに撮影したもの。澁澤写真を追跡調査している香月教授の解説で農作業や魚売り、夏の畳干し、神社の「六月燈」、潮干狩り、砂糖づくりなどの写真が紹介された。 阿伝集落の住民ら約九十人が来場し、熱心に見入っていた。岩倉のいとこの長岡トシさん(86)と夫・茂治さん(81)さんも訪れ「地元で七十年ぶりに地元で写真が公開され感動した。今は亡き人も写っており懐かしかった。昔の生活を知ることも必要」などと感想を語った。 香月教授は「当時の南西諸島であのレベルの資料を残した人は岩倉以外いない。ごくありふれた当時の日常生活を撮っている。今振り返ると貴重なもの、変わらないものもある。写真は地元で存分に活用してほしい。今年度中に写真集を刊行したい」と話す。 |
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| 徳洲会グループの社会福祉法人陵風会(徳田恵子理事長)が龍郷町嘉渡に建設した特別養護老人ホーム「龍郷の里」(下町勝幸施設長)の開所式が十三日あり、地域住民ら百二十人が出席して、新たな老人福祉施設のオープンを祝った。同施設は、全室個室で定員は入居五十人、ショートステイ十人。奄美大島では初の小規模単位型介護システム(ユニットケア)を取り入れた。 龍郷町内で二施設目の特養。敷地三千三百六十五平方メートル、建物は鉄筋コンクリート五階建てで延べ床面積三千五百八十八平方メートル。ユニットケアで入居者は個室でプライバシーを確保しつつ、十室(十人)を一単位のコミュニティーとして食事や入浴といった日常生活を送る。 開所式で陵風会の徳田秀子理事(徳洲会副理事長)は「地域の役に立つ老人ホームとして育ててほしい」とあいさつ。田畑茂光町長は「町内でも特に過疎化、高齢化の進む東シナ海に面した荒場地区の活性化につながる施設」と開所効果に期待した。 |
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県大島支庁で十四日、新作紬ウェアを紹介する記者会見があった。大島紬を素材にしたことが分かるよう胸に「紬Amami」の文字が入った男性用シャツの販売戦略について、製造した服飾デザイナーの本田涼子さんと提案者の中野実支庁長が説明した。文字を入れた目的は、一目で大島紬素材のシャツと分かることで着用者の満足度を高めること。既存概念にとらわれずに済むことから、現在十種類ほどの色目の幅も広がって明るい色調の製品も製造できるという。 新しい反物を素材にしており、価格は最低でも四万円。高級化路線をとり、高価格で販売することで関係者が潤うことを目指した。同様の取り組みが広がり、ゆくゆくは統一したブランドマークができるのが理想だという。 「取り組む業者が増えることで、紬の生産反数が増えれば良い」と本田さん。モデルも務めた中野支庁長は「大島紬のブランド戦略に一石を投じたと受け止めてもらいたい」などと話していた。 製品は本田さんが奄美市名瀬で経営する「クチュール蘭」で販売している。 |
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| 奄美を代表する若手唄者の一人・牧岡奈美(マキオカ・ナミ)さんの新作アルバム「シツルシマ」がジャバラレコードから十三日発売された。全十三曲中、故郷・喜界島の八月踊り唄が二曲収められている。 牧岡さんは一九八三年同町赤連生まれ。小学三年生のころから島唄を歌い始め、九九年に県民謡王座決定戦で名人位、二〇〇一年の奄美民謡大賞で新人賞、翌年には十八歳で大賞を獲得した。現在、奄美看護福祉専門学校に勤務しながら歌い続けている。 アルバムは一九九九年にセントラル楽器から選曲集、ジャバラレコードから〇一年に喜界島の方言で「ありがとう」を意味する「うふくんでーた」、〇五年に三味線を使わないでロックやレゲエミュージシャンらをバックに録音した「南柯」(なんか)を出している。 新作のアルバムタイトルは喜界町上嘉鉄集落の古名「しつる」にちなんで付けた。前作と同様、島唄には欠かせない三味線を多用せず、ピアノやフルート、ベース、ギターなど洋楽器をバックにしている。 「曲がりょ高頂」や「あさばな」「正月着物」「行きょうれ」など十三曲が収められており、「上嘉鉄の祖母から教えてもらった」(牧岡さん)という同集落の八月踊り唄「厄介なほめやべー」「やんぐらさ」が異彩を放っている。 二年ぶりの新作アルバムに牧岡さんは「二月に東京で録音した。三味線以外の楽器とのセッションは大変だったが、気持ちよく歌えた」と話す。 |
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六調太鼓に新兵器が登場した。その名も「ベンリー太鼓台」―。太鼓の取り外しが可能で、高さや角度の調節も簡単。何よりもコンパクトに収納できる逸品だ。奄美市笠利町の平田博三さん(64)が試行錯誤の末、考案した。一人で六調太鼓がたたけるとあって、口コミで本土出身者にも広がり喜ばれている。これまで約二百台を製作。唄と三味線、太鼓の一人三役をこなす島唄の第一人者築地俊造さんが各地のステージで使用して広がった。平田さん自身も島唄を歌い、三味線や太鼓は得意。太鼓台は太鼓を持つ人がいなければ演奏できないことを知る六調太鼓の奏者だからこそ生まれた製品だ。 完成したのは十年前。その数年前から試行錯誤の連続だったという。最初は木製でスタートしたが、装着や安定性、収納性に納得がいかず断念。最終的にビデオカメラ用の三脚に落ち着いた。きっかけは、築地さんとイベントに参加した時のこと。ステージ上にあったスピーカーに三脚が付いており、収納性がある三脚ならとひらめいた。 しかし、それからも試練は続く。問題は三脚の上部に取り付ける太鼓の装着。奄美の太鼓の最大の特徴は、胴回りをクサビとひもで締めてあること。クサビをたたいて音の調節をするため、太鼓を固定すると調節が難しく、太鼓台の装着は簡易性が求められる。太鼓奏者ならではのこだわりだ。そのためにあらゆる部品が試された。 太鼓を装着する三本の支柱にも試練は続いた。結局、水道用のビニールパイプに落ち着いたが、角度を決めるのにとまどった。あたためてカーブを付けるが、何度も試して今の角度に落ち着いた。 平田さんは「失敗の連続だった。完成品を作ることが容易でないことがしみじみ分かった。けれど、新しいものを作る、挑戦することは面白かった。完成の喜びは大きかった」と目を輝かした。 太鼓台の価格は一万五千円。製作日数は二日で、材料代に一万円かかるため、商売にはならない。平田さんは「太鼓台は六調を行う奄美ならではのもの。奄美の人が喜んでくれたらそれでいい」と淡々と話す。島唄が、シマが大好きなのだ。平田さんの太鼓台には六調太鼓への思いがあふれている。 太鼓台への問い合わせはtel090・4587・7059平田さんへ。 |
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| 奄美市の県立奄美少年自然の家(新留泰典所長)の延べ研修人員が十五日、七十万人を突破した。同所では職員や宿泊学習で同所を訪れている奄美市の金久中学校(喜島義郎校長、生徒四百八十人)の一年生百六十七人が正面玄関前に集い、七十万人達成を祝った。同日午前九時現在、七十万百四十一人。 同所は一九七九年六月にオープン。海洋・海浜活動を中心に、天体観測、野外研修を通して、たくましく心豊かに生き抜く気概のある青少年の育成を図るとともに、生涯学習の拠点施設として学習意欲に対応できるプログラムの開発などに努めている。近年の年間利用者数は二万三千人前後で、二〇〇六年十月に延べ利用者数が六十九万人を突破。七十万人突破は秒読みとなった。 記念セレモニーでは新留所長と金久中生徒代表の美佐雅史君(12)がくす玉割りをし、新留所長から記念証と記念品が授与された。 |
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あまみ農協が奄美市笠利町和野に建設した大島事業本部北部地区畜産活性化施設(笠利子牛セリ市場)の落成式が十六日あり、関係者三十人が出席して、奄美大島北部の新たな畜産振興拠点の開場を祝った。祝賀行事に続き、五月セリがあり、約百四十頭の子牛が購買者らによって次々に競り落とされた。あまみ農協が畜産基盤再編総合整備事業を導入して建設した。事業費二億一千九百万円。負担割合は国三分の二、県四分の一で、残り一割は農協と笠利市場を利用する奄美市、龍郷町、大和村が負担した。 敷地七千七百平方メートル。建物は生産者用係留棟、セリ市場棟、購買者用係留棟などからなり、延べ床面積は千五百六十平方メートル。計量を含めセリは電子システムで、牛誘導のためセリ場を挟んで係留棟を結ぶレールも設けられている。 県農協経済連によると、鹿児島の子牛生産は全国一。県内で奄美は曽於、肝属に次ぐ産地で、二〇〇六年度の売上高は七市場で計五十九億四千六百万円。奄美七市場の中で笠利市場の売り上げ高は六番目の水準だが、最近五年間で出荷頭数が倍増するなど著しい伸びを見せている。 |
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| 日本が太平洋戦争前の一九三二年から国策で推進した満州(中国東北地区)開拓団として満州へ渡った龍郷村(現在の龍郷町)からの移民の集合写真が四月、奄美市名瀬の竹山栄光さん(88)=芦徳出身、会社役員=宅で見つかった。六十四年前の一九四三年に撮影されたもので子供を含む三十七家族百八十四人が写っている。満州開拓移民が一同に写っている写真が残っているのは珍しく、戦争中の混乱した時代の一ページを示す貴重な史料。竹山さんは複製写真を八日、龍郷町へ寄贈した。 竹山さんによると、義兄で芦徳出身の三原武造さん(故人)が保管していたもの。満州開拓団龍郷班の一員で撮影当時は三十歳ぐらい。終戦後に写真を持ち帰り、高齢になったことから義妹に当たる竹山さんの妻・カノさん(83)に写真を預けたらしい。カノさんらが昔の家族写真などを整理しているときに偶然に「開拓団龍郷班」の写真を見つけた。 写真は縦三十八センチ、横五十三センチと大きく拡大してあり、古い割に顔は識別しやすい。赤ちゃんを抱く母親や子供も多数写っており、上段中央付近に日の丸と文字が書かれたのぼりが見える。左上に「第九次伊漢通開拓團本隊龍郷班 昭和十八年四月十八日」の文字がある。写真を見た開拓団龍郷班関係者によると、撮影場所は鹿児島市の照国神社だという。 芦徳出身者も数家族写っている。「問い合わせの電話が数件入り、写真を見に訪れた人もいる」(竹山さん)。芦徳集落へも複製写真を寄贈する予定。 |
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奄美市名瀬の奄美博物館生まれのイシカワガエルがすくすく成長している。オタマジャクシから体長二センチほどの子ガエルに変身。水槽の中の岩場に上陸するなど元気に動き回っている。博物館は二十日夜、カエルの観察会を開催する。博物館のカエルが産卵したのは二月。三月下旬にふ化した。四月になってオタマジャクシたちに後ろ足が出始め、五月十一日には前足が出ている個体を確認。十四日ついに子ガエルとなり、上陸を開始したという。 子ガエルはイシカワガエル特有の緑色に、赤褐色の斑紋(はんもん)と円すいのいぼが確認できる。「野生の個体よりも大きく、特徴がはっきりしている。敵がいないので保護色になる必要がないのだろう」(博物館)。 野生のイシカワガエルの変身や幼体を見ることは極めて難しい。 |
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| 約百三十年前に沖永良部島から沖縄県与那国島へ渡った祖先のルーツを訪ねて与那国島の一行が十六日、初来島した。和泊町皆川出身の故市成秀悦氏の子孫に当たる十三人。皆川集落(中屋吉右区長)の歓迎を受けた一行は「距離は遠いが、通じ合うものがあった。先祖代々の夢がかなってホッとしている」と語り、新たな交流を誓った。 市成家や和泊町誌によると、秀悦氏は薩摩藩の役人として一八一五年(文政十二年)から十六年間、沖永良部島に赴任した市成直左衛門の孫に当たる人物。西南戦争が起きた一八七七年ごろ、何らかの理由で皆川から与那国島へ移り住んだという。 沖永良部から約八百キロ離れた与那国島は台湾と接する日本最西端の島で、農業やカジキ漁が盛んだ。秀悦氏はカツオ漁を島に伝え、市成家も代々漁を営んでいる。 念願だった沖永良部行きは昨年話がまとまり、知人の協力を得て実現した。滞在初日は墓参りし、皆川在住の親せきや住民と懇親会を開いた。 互いに初対面を喜び、民謡を披露して交流を深めた面々。秀悦氏のやしゃごに当たる米城由美子さん(50)は「言葉や文化も近く懐かしい気持ち。交流を重ねるうちに移住の経緯を明らかにできたら」と話し、中屋区長は「歴史のロマンの一端に触れ、感動した。いずれは有志を募って与那国ツアーを企画したい」と語った。 |
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| 県観光交流局かごしまPR課がまとめた四月の県内大島紬生産状況によると、生産反数は前年比23・4%減の五千五百十一反で、生産額は24・7%減の二億六千六百二十四万二千円だった。 県内大島紬の生産反数は二〇〇五年九月に前年同月を上回って以降は減少に転じており、十九カ月連続で前年同月を下回った。生産額は〇四年十一月以降、二十九カ月連続で下回っている。 |
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