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奄美市農林振興課は今年度、野菜の栽培相談会を始めた。営農指導員が地域に出向き、野菜の作り方を指導する出前講座。初めての相談会は十八日、芦花部地区で開催され、農家や主婦がキュウリやトマトなどの作り方を学んだ。相談は営農指導係の伊集院兼卯(かねしげ)さんが担当した。伊集院さんは栽培カレンダーを基に、作る時期や種類を説明。「栽培計画を作ろう」と提唱した上で、@同じ作物を続けて植え付けない(連作障害を避ける)A栽培する場所を選ぶB土づくりをする―などよい野菜を作るポイントを分かりやすく解説、ほ場でも指導した。 住民からは「キャベツの枯れた葉は落とした方がいいのか」との声やキュウリ、トマトの栽培についての質問があり、伊集院さんは「キャベツの葉は自然と落ちる。人の手でちぎるとそこから病気が入る恐れがある」「キュウリ、トマトの葉は枯れ上がったら落とし、風通しをよくしてほしい」などとアドバイスした。 野菜の栽培相談会は前年度の農業塾に続くもの。地区や団体で受講できる。問い合わせ先は奄美市農林振興課(電話52・1111内線409)へ。 |
国の文化審議会(石澤良昭会長)は十八日、知名町住吉の「住吉貝塚」を国の史跡に指定するよう伊吹文明文部科学相に答申した。鹿児島県の国指定史跡は二十三件目。奄美では奄美市笠利町の「宇宿貝塚」、伊仙町の「カムィヤキ陶器窯跡」に続いて三件目となる。知名町教育委員会は「国や県、町民の協力に感謝している。貴重な遺産を後世に残せるよう、文化財の学習拠点として周辺を整備したい」としている。住吉貝塚は沖永良部島の西側に位置し、縄文時代後期から弥生時代初期にかけた集落遺跡(一万三千七百六平方メートル)。一九五七年の九学会調査で琉球石灰岩を壁面に組み上げた竪穴住居跡を確認した。知名町は二〇〇〇年に町文化財に指定し、〇一年から〇五年まで発掘調査を実施。縄文後期と弥生初期にまたがる竪穴住居跡(東西百二十メートル、南北百メートル)をはじめ、住居跡の一部から貝塚を発見した。 中でも腕輪など南海産の大型貝で作られた装身具が多数見つかり、縄文土器や黒曜石片から九州本土との交流が明らかになった。出土品の特徴から、琉球列島中部文化圏の生活様式を知る上で重要な遺跡とされている。 知名町教委は遺跡整備検討委員会を立ち上げ、保存計画を策定する考え。今年度中にシンポジウムや体験学習会などを開き、島内外に遺跡の魅力を発信する。 今回、県関係では「旧島津氏玉里邸庭園」(鹿児島市)など二件を名勝に指定し、「清水氏庭園」(志布志市)など二件が登録記念物とするよう答申された。 |
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瀬戸内町加計呂麻島芝出身の昇曙夢の「歿(ぼつ)後五十年を偲(しの)ぶシンポジウム」(同実行委員会主催)が十九日、奄美市内のホテルであった。ロシア文学者、日本復帰運動家、民俗学者の三つの側面から昇の歩みを顕彰するとともに、奄美や日本に影響を与えた功績を見直す声が相次いだ。昇(本名・直隆)は一八七八年旧実久村生まれ。東京の神学校でロシア語を学び、ロシア文学研究の傍ら翻訳集などを出版。奄美の日本復帰運動に尽力するとともに「大奄美史」を著した。一九五八年に享年八十歳で没した。 シンポジウムは昇研究家の和田芳英氏=奄美市名瀬出身、奈良県平群町在住=を中心に民間による実行委員会を組織して開催された。 二部構成であり、T部は「ロシア文学者(ロシア学全般)としての功績」をテーマに沼野充義東京大学教授、中本信幸神奈川大学名誉教授、加藤百合筑波大学准教授が研究報告し、和田氏が司会を務めた。 沼野教授は昇が@日本最初のロシア文学者A時代の最先端のロシア文学紹介者B最も本格的なロシア文学の著者―であるとして「重厚でありながら、驚くべき感度の良さでロシア文学を紹介した」と高く評価。和田氏は昇が研究に使用した原書が行方不明であり、またその生涯が真に理解されてないとして顕彰の必要性を強く訴えた。 U部は富不二友、楠田豊春両氏が奄美と日本本土での復帰運動を振り返りながらリーダー的な役割を果たした昇の活動を証言。 林蘇喜男氏は「大奄美史」について「五十年以上の歳月をかけて編さんした。奄美だけでなく日本、世界の偉人」と強調した。津波高志琉球大学教授は「大奄美史」の記述をヒントに奄美諸島における相撲文化の変遷を分析しつつ内容の正確性に敬意を表した。 会場からは「復帰運動は成功したとされているが沖縄の問題などを見ても必ずしも解決されていない。大奄美史を含めて検討しながら本当の意味での自立に向かっていくべきでは」などの意見が出た。 |
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| 日本社会文学会九州・沖縄ブロック〇七春季大会「島尾敏雄シンポジウム」は十九日、奄美市内のホテルであり、登壇した研究者らが島尾の生きた時代背景を探りながら島尾文学の世界をひもといた。 日本社会文学会は「グローバル・ローカリズム(地域に密着しながら世界的な問題を研究する)」を掲げ、九州各県で研究会を不定期開催している。鹿児島県は二回目で奄美では初めて開かれた。 浦田義和佐賀大学教授は「島の果て」(一九四八年出版)と、その翌年に出された「出孤島記」の二作品を題材にトエ(女性)の描写、島の住民との関係性、部隊内での関係性の三つの視点から比較。心理の底にある生々しい感情や明らかなべっ視へと変化していった内容をたどりながら「理想化して逃れていたものを今の私の問題としてとらえることこそ記録文学。出孤島記は前の作品のヘドを吐くようにして生み出していった」と分析した。 横手一彦長崎総合科学大学教授は島尾の「単独旅行者」や吉田満の「戦艦大和ノ最期」について、敗戦ですべてを失った日本人が戦争犠牲者の思いをくみ取り、生きていかなければならなかった時代背景から「敗戦記文学」と位置付け「二作品はずば抜けて優れた文学」と評した。 奄美・島尾敏雄研究会の越間誠氏は顕彰集「追想 島尾敏雄」の発刊や文学散歩、例会など研究会の活動を紹介するとともに会員の加入促進による研究活動の盛り上がりに期待。三月に亡くなったミホ夫人を追悼した。 |
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発展途上国の自立支援・地球環境保全を目的に、バナナなどの繊維を使った織物作りやデザイン開発に取り組んでいる多摩美術大学生産デザイン学科(東京都八王子市、橋本京子学科長)でこのほど、奄美市の織物創造作家、南修郎さん(55)らが糸芭蕉を使った商品開発の特別講義と実演を行った。同大学では二〇〇〇年より、「バナナ・テキスタイル・プロジェクト」と題して、中南米諸国などで廃棄処分されているバナナの茎から取った糸による織物技術の開発と普及を学生主体で取り組んでいる。〇六年度からは文部科学省の支援も受け、オープン講座を開講している。 同講座二年目の今年度は「未利用繊維とデザインワーク」などをテーマに、奄美の糸芭蕉で商品開発している南さんと鹿児島県紬技術指導センターの今村順光デザイン研究室長を招き、特別講義を開いた。 講義には同大の学生が多数参加。今村室長は糸芭蕉を使った商品の技術開発の現況や、手間ひまがかかる糸生産の機械化やコスト減、デザイン開発などの課題を話した。 一方、南さんは芭蕉の木の伐採から精錬、機織り、自社商品の「芭蕉糸手織り袋帯」ができるまでの工程をきめ細かに説明。「帯一本に対して奄美の山に自生している糸芭蕉の木を二十四、五本使用している」などと述べた。質疑では生徒から「本土の土を使って泥染めはできませんか」などの質問があった。 この後、奄美から持って来た糸芭蕉を使って煮立て、皮はぎ、ぬめり取り、繊維の取り出しなどの作業を実演。生徒らも熱心に作業に取り組んでいた。 |
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〇…快晴に恵まれた二十日、奄美市笠利町では多くの集落で浜下り(ハマオレ)行事が行われ、舟こぎ競争などでにぎわった。佐仁集落では十五年程前から始まった恒例のヤギレースが砂浜であり、砂を蹴立てて疾走するヤギと人の姿が見物人を沸かせた。〇…笠利町の浜下れはかつて、田畑の害虫をはらう祭事として行われていた。集落ごとに舟こぎ競争などがあり、住民らは浜辺で飲食を共にしながら親ぼくを深めた。 〇…佐仁集落ではこの日、ヤギレースの合間に親子俵運搬レースなどもあり、夕方からは一重一瓶を浜辺に持ち寄って酒宴を楽しんだ。 |
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| ロシア文学者・昇曙夢と作家・島尾敏雄のゆかりの地を巡る文学散歩が二十日、瀬戸内町加計呂麻島であった。前日のシンポジウムに参加した全国の学者や地元研究者らが両氏の原点をたどり、業績を後世へ伝えていくことを再確認した。 奄美市であった「昇曙夢歿(ぼつ)後五十年を偲(しの)ぶシンポジウム」と「日本社会文学会九州・沖縄ブロック〇七春季大会 島尾敏雄シンポジウム」から二十五人が参加した。 一行は太平洋戦争中に島尾が旧日本海軍の指揮官として駐屯し、ミホ夫人と出会った地でもある呑之浦を訪問。文学碑のある記念公園周辺を歩いて島尾文学の原点に思いをはせた。 続いて昇が幼少時代を過ごした芝集落で氏の生家や胸像を見学した。落成したばかりの公民館では集落民の歓待を受け、昇作詞の新民謡「月の白浜」「磯の松風」に合わせ婦人会が代々受け継いできた踊りを堪能。 新鮮なカツオの刺身に舌鼓を打つとともに八月踊りが繰り広げられ、参加者も輪に加わって奄美の伝統行事に触れた。 豊島良夫区長は「厳しい生活の中から世に出て行った曙夢先生は集落の誇り。研究していただいてうれしい」と感謝。シンポジウムを企画した昇研究家の和田芳英大会会長は「無事成功してほっとしている。今後は曙夢の論文の復刻も目指していきたい」と話した。 |
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奄美市名瀬の奄美博物館(重久春光館長)は二十日、博物館ワークショップ(市民学芸員養成講座)をスタートさせた。初回はイシカワガエルの観察会。親子連れなど三十五人が受講した。受講者は博物館生まれの子ガエル、オタマジャクシを観察し、奄美の森の豊かさ、自然の神秘に思いを巡らした。博物館のイシカワガエルは今年二月にふ化した。二百匹以上のオタマジャクシが誕生し、今月中旬から子ガエルに変身し始めた。カエルは体長二aほどに成長。水槽の中の岩場に上がるなど元気に動き回っている。野生のイシカワガエルの幼生や変身を見ることは極めて難しい。 この日は奄美両生類研究会の大海正平さん(51)が講師を務め、イシカワガエルの生態や特徴のほか、オットンガエル、アマミアオガエルなど奄美にすむ九種類のカエルについて説明。子供たちからは「なぜ、奄美にはたくさんのカエルがすんでいるの?」「ツボカビ病は大丈夫か」など質問が相次いだ。 イシカワガエルは奄美大島と沖縄北部にのみ生息する。緑色の斑紋と円すい形のいぼが特徴で「日本一美しいカエル」と言われている。県指定の天然記念物で捕獲は禁止されている。博物館のカエルは指定前、奄美両生類研究会の会員がオタマジャクシの状態で保護し、飼育したものと、その子供たち。 |
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| 第三回奄美歌謡選手権大会(セントラル楽器主催)は二十日、奄美市名瀬の奄美文化センターであり、初出場で「峠の一本松」を歌った遠藤ひずるさん=奄美市名瀬=が最優秀賞を獲得した。大会は島唄に隠れがちな新民謡の歌い手発掘と新民謡を含んだ「奄美歌謡」の普及を目的に開催している。四月二十九日の予選を突破した二十―六十歳台の男女二十四人がこの日の舞台に登場した。 今回は「夜明け船」や「そてつの実」など新民謡の名曲、「加計呂麻慕情」以降の新歌謡のほか、フォーク調のさわやかな新曲も披露された。近年の新民謡ブームを反映し、会場には約千二百人の観客が詰め掛け、「奄美歌謡」の多彩な世界を楽しんでいた。 審査委員長の村田正男さんは「回を重ね確実に上手になっている。新しいジャンルの曲も出てきており、どんどん新しいことに挑戦してほしい。新民謡の出発点である曲もしっかり歌えるようになって」などと講評した。 最優秀賞以外の入賞者は次の通り。(敬称略) ▽優秀賞 作まゆみ(奄美市名瀬)福永則雄(大和村)▽奨励賞 長島稔(喜界町)▽努力賞 川畑順子(奄美市名瀬) |
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知名町正名の上野富實さん(69)の庭でトックリキワタが実り、綿に包まれた種が姿を現した。上野さんは「二十九年間育てているが、初めての出来事。実物を見て感動した」と喜んでいる。トックリキワタは幹がとっくりの形に似た南米原産の落葉高木。日本では晩秋にピンク色の花を咲かせ、種に付いた綿はブラジルなどで枕やクッションの詰め物に利用されている。 自宅で五十種以上の花木を育てる園芸愛好家の上野さん。鉢植えから育てたトックリキワタは二十九年間で六メートル近くに成長した。開花は毎年見られるが、沖永良部での結実は珍しいという。 年末に実った三個の様子を見守り、今月二十一日にこの中の一個が弾けているのを確認した。亜熱帯性植物を研究する海洋博覧会記念公園管理財団(沖縄県本部町)は「暖冬傾向が続くなど気象条件が要因の一つではないか」としている。 |
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〇…カタツムリの一種のオキナワウスカワマイマイの黒色個体が二十二日、奄美市名瀬平田町で整体院を経営する竹田初男さん宅で見つかった。殻の大きさは約一センチで、真っ黒い体色のため空の半分ほどが黒くなっている。庭に植えられたツワブキの葉についていたという。〇…日本貝類学会会員で陸産貝の研究を三十数年間行っている名瀬真名津町の重田弘雄さん(71)によると「琉球列島の平地で普通に生息する種だが、これほど黒い個体は初めて見た。黒色化した理由はよく分からない」と話した。 |
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| 奄美市の笠利町商工会(山田賢三会長、会員二百三十七人)は二十三日の総会で住用、大和両地区商工会との合併に向けて協議会設置を承認した。来年四月一日、新商工会の発足を目指す。。 合併協議会の設置は笠利、住用、大和の三商工会の基本合意に基づくもの。今後、新商工会の名称や具体的な項目を調整する。笠利側は早ければ来年四月、遅くても来年度中の発足を目指している。本所は笠利に置き、住用、大和は支所を配置する予定。 質疑では「行政は名瀬、住用との合併だったが、大和を加える理由は」との声があり、事務局は「名瀬には商工会議所があり、商工会とは法律が異なる。県内でも商工会の合併が進んでいる」などと回答。今回、行政区が異なる大和村を加えたのは指導員配置の問題があり、大和側の運営が難しくなる可能性もあるため。ただ、大和には累積赤字の問題もあり、商工会は村側に支援を要請しているという。 このほか、空席となっていた副会長に奥篤次理事を補充。県商工会連合会長表彰の伝達、大島紬を長年支えてきた高齢の織り技術者を表彰した。 |
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| 県大島支庁は二十二日、二〇〇六年の奄美群島の観光客数を発表した。入り込み客数から群島民の移動人数を差し引いた島別入り込み観光客(ビジネス客を含んだ推計)は、奄美全体で前年よりやや少ない四十万五百三十人。島別で喜界島が7・2%減った。 全体の入り込み観光客は前年比1・4%減。島別でも奄美大島が微減の二十三万二千三百十五人、喜界島が二万四千五百五十六人、徳之島が六万五千七百九十二人(前年比0・9%減)、沖永良部島が四万七百九十四人(同1・1%減)、与論島が三万七千七十三人(同3・1%減)といずれも前年より減少した。 喜界島の減少要因について、担当者は「防衛庁の通信傍受施設整備が完成するなどビジネス客の減少が影響しているのではないか」と話したほか、与論島については「修学旅行の減少が響いている」とした。 〇六年に群島外から群島に入ってきた人数でとらえる入域客(全実数)は五十三万七千五十人で前年比1・4%減。移動手段別では、海路が十二万七千八百九十六人(3・7%減)、空路が四十万九千百五十四人(0・7%減)だった。 |
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名瀬測候所の気象台への格上げと沖永良部測候所の継続を求める「奄美の未来を考える共同の会」のメンバーが二十四日、県選出の国会議員、衆参院の国土交通委員・災害対策特別委員、各政党に対し、測候所継続などを訴える国会請願活動を行った。「状況的に厳しい」との反応が多い中、一部の紹介議員は同日午後、衆参両院に請願書名簿を提出した。政府は二〇〇六年六月に行政改革の一環として「測候所の原則廃止」を閣議決定。気象庁は一〇年までに全国四十六カ所の測候所の原則廃止、職員三百三十八人の削減を検討している。 今回、請願活動を行ったメンバーは奄美地区労連、連合奄美、全気象名瀬分会、奄美地区平和運動センターなど、〇六年十月に発足した同会加盟四団体の代表ら六人。 一行は@奄美群島民の生命と財産を守るために測候所の廃止を行わないことA台風常襲地帯の防災情報の拠点である名瀬測候所を気象台に格上げすることB危機管理と住民サービスをしっかり維持し、地方の一方的切り捨てを行わないこと―を請願内容に、住民九千五百三十七人の請願署名を添えて、国会議員や各政党に協力を求めた。また、請願後に衆参院国土交通委員会で採択されるよう要請した。 同請願の紹介議員の一人になった地元選出の徳田毅代議士(自民党)は「既に(測候所廃止が)閣議決定されている段階では(存続は)大変厳しい状況」との見解を示した。これに対し、一行は「奄美は本土と沖縄の中間にあるので、むしろ気象観測の機能充実が必要」「沖永良部台風後、名瀬測候所の予報官が増員された経緯がある」「名瀬と帯広の測候所は高層気象観測など特別の業務を行っている」「沖縄は四つの気象台がある」などと訴えるとともに、現状が「原則廃止」の方針であることを強調、協力を求めた。 これを受けて、同代議士は「できるだけ頑張る」と答え、同日午後、要請された分の請願署名簿を衆院に提出した。 |
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奄美群島の日本復帰前に録音され、一九五四年に米国で制作された島唄のLP盤レコードがある。録音の中心となった文英吉さん(故人)の二男・秀人さん(65)=奄美市名瀬=が保管している。島唄のほか八月踊り唄やわらべ唄、モチモレ唄などが収められており、当時の民俗芸能を知る上で貴重な資料となりそうだ。タイトルは「Folk Music of the Amami Islands」。制作したのはフォークウェイズレコード。「朝花はやり節」や「塩道長浜」「今ぬ風雲」「らんかん橋」などよく知られた島唄のほか、「いちきゃ節」など沖永良部民謡、新民謡の「島育ち」、名瀬の根瀬部集落住民による棒踊り唄と八月踊り唄など十八曲が収められている。 唄者は瀬戸内町出身の福島幸義さん(故人)や元和泊町長の武田恵喜光さん(同)、それに女性唄者の「ウメノ・タジマ」「ヨシ・サカエ」ら。福島さんは島唄と珍しい詩吟を披露し、武田さんは沖永良部島民謡の三味線伴奏と「海のささくさ」を歌っている。 文英吉さんは「奄美民謡大観」の著者で当時、奄美博物館に勤めていた。三味線伴奏やはやしのほか、自ら「糸繰り節」を歌っている。秀人さんによると、レコードは採音したシラキュース大学教授で文化人類学者のダグラス・G・ハーリング博士からプレゼントされたものだという。 レコードについて英吉さんは「遠く太平洋の波を超えてアメリカまで行った自らの声を聞いて何ともいえぬ感懐にうたれました」と書き残している。秀人さんは「父の声を聞くと、子供のころ家に大勢の人たちが集まり唄遊びをしていたことを思い出す」と話す。 ハーリング博士をよく知るのは文英吉さんと同僚だった山下文武さん(80)=奄美市名瀬。山下さんによると、同博士は五一年九月、太平洋科学研究所調査団員として奄美の民俗調査を目的に来島した。約半年間滞在し、山下さんをアシスタントに名瀬を中心に笠利や住用まで出掛け、写真撮影や住民から聞き取り調査を行った。 レコードに収められている根瀬部集落住民の棒踊り唄と八月踊り唄の録音は同集落前海岸で行い、島唄は五二年二月、同博士が宿泊していた群島政府宿舎に唄者らを招いて行ったという。山下さんは「博士は親日家で日本語もできた。大学に奄美を含めた琉球ライブラリーをつくるのが夢だと言っていた。奄美の人はユーモアがあり、島唄は中世のヨーロッパ民謡と似ており、とても感激したと話していた」と、録音当時を振り返る。 |
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