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8月18日(土)付 

与論町教委が「猿渡文書」を刊行
 与論町教育委員会はこのほど、「与論島岩村家に残る猿渡文書」を刊行した。文書は近世の与論と鹿児島間の手紙、物資のやりとりを詳細に記述した、当時の暮らしを知る貴重な史料だ。原文と意訳を対比しており、古文書学習のテキストとしても重宝されそう。
 猿渡文書は嘉永六年(一八五三年)から明治六年(一八七三年)の記録。沖永良部島の代官を務めた猿渡彦左衛門が与論に残した子孫と、本家の間で交わした書簡や贈答品を詳細に書き記されている。与論町の岩村康弘さんが大切に保管しており、奄美市文化財保護審議会長の山下文武さん=歴史学=が解読、執筆した。
 文書によると、与論からは干した魚や塩豚、芭蕉布などを送り、鹿児島の本家からは葉煙草や針、墨などが入り、龍舌蘭(りゅうぜつらん)で作った貴重なトンビャン(織物)が与論から送られていることも分かる。社会情勢では干ばつや台風で決められた量の砂糖を納めることができず、島役人が罰を受けたり、蘇鉄(そてつ)で命をつないだ記述もある。
 同書では@原文A解読B読み下しC意訳―を同時に読める。原文や解読と、意訳を対比することで難解な古文書も身近に感じられそうだ。
 同町の田中國重教育長は「百五十年ほど前の与論の社会状況や先人の生活を知る手掛かりとして広く活用されることを切望する」と話す。本書は二千円で頒布しており、希望が多ければ増刷も考えているという。
 問い合わせ先は与論町教委TEL0997・97・2441。
奄美パークで田中一村の「天井画の花々展」
 奄美市笠利町の県奄美パーク田中一村記念美術館企画展示室で十七日、「一村が描いた天井画の花々展」が始まった。一村の没後三十年記念イベントの一環。千葉時代の一九四九年から五〇年にかけて花をテーマに制作したもので、龍郷町出身者から寄贈、寄託された四十枚を初公開した。関係者は「季節の花をこれほど描いたということは普段からきちんとスケッチしていた証拠。花を最高の形で見せる技術が素晴らしい」と話している。九月十七日まで(常設展の入館料が必要)。
 作品群はもともと支援者宅の仏間天井を飾るために制作され、これらを一括購入した東京在住の実業家、牧野信久さんが今年三月に二十点ずつ寄贈、寄託した。天井画はこのほか石川県の「やわらぎの郷」の聖徳太子殿でも確認されている。
 企画展では一点ずつ額装で展示した。約三十センチ四方の杉板に顔料を使って八重桜、ヒマワリ、ヒガンバナ、キクなど四季折々の四十六種が描かれており、一村らしい鋭い観察眼で花びらや葉脈の一つひとつまで精巧に表現されている。
 同美術館の学芸専門員、前村卓臣さんは「あくまで生活資金を得るための絵だったが一村は手を抜くことをしなかった。本来のように四十枚を一つの作品として天井に展示してみるのも面白いかもしれない」と語った。
 九月十六日には一村研究者らを迎えてシンポジウムを予定している。

8月19日(日)付 

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アリモドキゾウムシの根絶事業の赴任中放飼を大幅拡大

 県大島支庁はサツマイモの大害虫・アリモドキゾウムシの根絶事業を喜界島で進めているが、事業は今年度、新たな段階に入った。奄美市名瀬の不妊虫増殖施設が増強されたことに伴い、不妊虫の放飼数を一週間五十万匹から二百六十万匹に大幅増。第二防除地区(中西部)でもテックス板(誘殺板)を使った密度抑圧が始まった。来年度は北部に第三防除地域を設定し、発生状況調査を実施する計画だ。
 根絶事業は「密度抑圧」「不妊虫放飼」が二本柱。喜界島を数ブロックに分割し、一ブロックずつ密度抑圧した後、不妊虫を放飼。根絶に近い状態になったら、次のブロックに移るという取り組みを繰り返し、島全体での根絶を図る。
 不妊虫放飼は虫を放して虫を滅ぼす防除方法。放射線を照射した雄の成虫は不妊化する。交尾しても卵はふ化しない。大量の不妊虫を放飼することで根絶させる。増殖施設は一週間三百万匹のアリモドキゾウムシをふ化させ、二百六十万匹を放飼用、四十万匹を親虫として確保する。
 不妊虫放飼は上嘉鉄地区の実証区(八十二ヘクタール)で行われていたが、今年度から島の南部に設置した第一防除地区(荒木、手久津久など千六百ヘクタール)に拡大した。実証区は第一地区に吸収した。
 第二地区(伊砂、池治など千二百ヘクタール)は前年度までトラップや寄主植物調査など発生状況の確認が中心だが、今年度はテックス板による密度抑圧がスタートした。テックス板は殺虫剤と合成性フェロモンをファイバーボードに染み込ませたもので、虫をおびき寄せる。一ヘクタールに三枚程度、設置する。
 県側は事業と合わせて啓発も重視。小中学生の標語・ポスターコンクールや展示ほの設置、産業祭での啓発などを継続する方針。支庁特殊病害虫係の徳永大蔵係長は「奄美群島はこれまでミカンコミバエ、ウリミバエなど海外の害虫が侵入し、農業に大きなダメージを受けたが、いずれの害虫も防除に成功した。アリモドキゾウムシも住民と協力しながら根絶を進めていきたい」と話した。

沖永良部郷土研究会が発足10周年記念講演会開く

 沖永良部郷土研究会(先田光演会長)の発足十周年記念講演会が十八日、和泊町の和泊中学校あかね文化ホールであった。歴史や文化、経済史などさまざまな分野で六人が発表し、研究の成果を披露した。
 歴史研究家の弓削政巳さんは「エラブ島」の名称について語り、地図や文献から「沖之永良部島」「永良部島」といった時代ごとの呼称を紹介。変遷の背景には東アジアの冊封(さくほう)体制下に置かれていた近隣地域の政治事情が関係すると説明した。
 鹿児島県立短期大学の西村富明準教授は「沖永良部島農業経済の発展過程」をテーマに講演。町村制が始まった明治期から現代にかけた統計資料を基に和泊、知名両町と奄美の自治体を比較した。この上で「日本の農業が衰退している中、沖永良部農業は発展し続けてきた。島嶼(とうしょ)経済の在り方として島の自律、ブランド化のモデルケースになるのではないか」と力説した。
 沖永良部のわらべ歌を調査している鹿児島大学女子短期大学の前原隆鋼教授は音階の特徴を説き、方言と併せた伝承の必要性を指摘した。このほか、川上忠志さん(南日本新聞和泊販売所長)は「沖永良部島の戦争の歴史」、高橋孝代さん(芝浦工業大学非常勤講師)は「沖永良部島―芸能の文化史」、前利潔さん(知名町中央公民館主査)は「長崎県口之津で発見された会員名簿の意義」をテーマに発表した。

8月20日(月)付 

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徳之島町井之川で県の無形民俗文化財「夏目踊り」

 徳之島町井之川集落(加島俊彦区長)で十八日夕から十九日朝にかけて、浜下りと県の無形民俗文化財に指定されている「夏目踊り」と浜下りがあった。集落内の家々を回り、男女の掛け合い歌とチヂン、指笛の音を響かせながら五穀豊穣(ほうじょう)を祈願した。
 二〇〇一年四月に県の無形民俗文化財指定を受けた行事。十八日夕方から浜下りがあり、一重一瓶を持ち寄り帰省客も交えながら酒を酌み交わし、和やかなひとときを過ごした。
 踊りは同日午後十一時ごろから家回りがスタート。チヂンを持った数人を老若男女の輪が取り囲み、過ぎ行く七月を惜しむ「アッタラ七月」などの曲を歌い踊った。
 踊り連を迎える家では焼酎やビール、タオルなどを配って歓迎。集落は伝統行事を楽しむ住民や観光客らで一晩中にぎわった。

徳之島町亀徳では伝統行事「ネィンケ」

 徳之島町亀徳集落(坂元政美区長)で十九日、ネィンケ(水掛け)が行われた。無病息災を祈る浜下り行事の一環。住民らはバケツや洗面器などを使って水を掛け合い厄を払った。
 毎年お盆明けの日曜日に行われている恒例行事。午前十一時から始まり、老若男女を問わず水を掛け合ったほか、県道を通過する車にも水を浴びせた。正午までの約一時間、人々の笑いと歓声でにぎわった。
 町誌によると、かつては三日間行われていた浜下り行事の最終日に、集落中で場所や人を問わず水を掛けた。現在は厄払いの行事とされるが、本来の意味合いは農耕儀礼にあるとするものや潮浴みの変形とするものなど諸説ある。若い男女の恋の意思表示にも利用された。

「あまみヤジの会」でリュウキュウアユを語る

 リュウキュウアユを生かした島づくりを考える「第三回あまみヤジの会」が十八日、奄美市住用町のマングローブパーク研修室であった。この中で鹿児島大学の四宮明彦教授は、リュウキュウアユの緊急避難先として考えられている住用ダム湖から上流の河川環境が良好であることを明らかにした。(財)鹿児島県環境技術協会の田中健次郎常務理事は地域振興と関連づけてリュウキュウアユの保護・利用のタイムスケジュールを示した。
 四宮教授は、近年の奄美大島主要河川でのリュウキュウアユの生息状況や従来の保全活動に対する見解を述べるとともに住用ダムから上流側で現地調査の結果を写真で示しながら説明。コイなどの外来種の生息を問題としながらもダム湖から上流側五百メートルは利用でき、「まさにうってつけの場所。避難場所として有望」と評価した。
 (独)水産総合研究センター中央水産研究所の井口恵一朗生態系保全研究室長は、マイクロサテライトと呼ばれるDNA分析による結果として@リュウキュウアユは大きく住用と宇検の二つのグループに分けられるA本土アユと比べて奄美、沖縄のアユはが遺伝的に多様性が低い―などと指摘した上で住用のアユを宇検村に放流することなどを戒めた。
 琉球大学理学部の立原一憲助教授は、沖縄で放された奄美生まれのリュウキュウアユの生息状況と試行販売などを説明しながら、「奄美で売り出す場合には一定以上の値段でないとうまくいかない。食文化を絶やさずリュウキュアユを増やしてほしい」と提言した。
 田中常務理事は、リュウキュウアユ保護・利用のロードマップなどを示した。計画では今年後半から〇九年前半までリュウキュウアユの養殖試験、それ以降に施設での本格養殖に着手。〇八年末にヤジ利用促進協議会を立ち上げ、試食会や料理コンテスト・加工法研究、市場調査などを行う、としている。

8月21日(火)付 

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家庭菜園で自然生育した カボチャが種無しに

 伊仙町で種の無い不思議なカボチャが収穫された。同町目手久の幸山忠蔵さん(75)の家庭菜園で採れたもので、農政関係者らを驚かせている。栽培に成功したら貴重な財産ともなる種無しカボチャ。県農業開発総合センター徳之島支場の担当者は「極めて珍しい。国の機関と調査したい」と話している。
 種無しカボチャは、幸山さんが自宅前に所有する十メートル四方ほどの家庭菜園内で採れた。幸山さんによると、今年はカボチャを植えていないにもかかわらず、五月ごろから自然にカボチャが成育。今月五日に一部を収穫したところ、全く種が無かったため驚いたという。一株から二十個ほどが育っており、唯一交配させた一個にだけ小さな種があった。幸山さんは同地で、一昨年、一般的な品種の「エビス」を植え、収穫している。
 種無しカボチャは直径十四―十五センチとやや小ぶりながら、化学肥料などは一切与えておらず、味も「甘くておいしい」(幸山さん)という。
 調査した県農業開発総合センター徳之島支場野菜花き研究室の満留克俊研究員は「極めて珍しく、初めて見た。種が無いだけでなく、種の周囲の空洞さえない。わずかな可能性で幾つか要因が考えられるが、自然な条件の下で種が入らずに実が肥大することは考えにくい」と首をひねり、「国の研究機関である北海道農業開発センターと一緒に調査して原因を探りたい」と話している。

喜界町の長島さん、花良治ミカンをテーマに作曲、CDを自主制作

 喜界町赤連の長島稔さん(29)は、同町の特産品・花良治ミカンをテーマにしたCD「けらじみかんのうた」を自主制作した。夏祭りのステージで大勢の町民に同曲を披露し、覚えやすいと好評だった。
 長島さんは五年前、東京から帰郷。実家の工務店を手伝いながらコーラスグループの指揮や仲間とのバンド活動などに取り組んでいる。昨年の奄美歌謡選手権大会にオリジナル曲「喜びの島で」で初出場し、奨励賞に輝いている。
 「けらじみかんのうた」は、花良治集落在住の同級生との交流から生まれた。「喜界島の特産品を全国にアピールしたい」との同級生の声に応えて作詞作曲した。「喜界島の片隅に花良治というところがある そこで生まれた果物はとっても素敵なみかんです…」という詞に付けられたメロディーは覚えやすい。
 同曲とピアノの弾き語りの「星空」を収録したCDを今年四月に制作した。CDは喜界島空港売店や同町花良治の宮本商店が運営するインターネットショップ「けらじ屋」などで販売している。価格は千円(税込み)。
 湾小、第一中、喜界高校と一貫して音楽に親しんできた長島さんは、これまで約五十曲作っている。「音楽を通じて島のいいところを伝えたい」と話し、「喜界は喜びの世界の島、住んでいるとその意識も薄れがち。島をテーマにした曲をたくさん作り、内地に住む出身者にも島を強く感じられるような楽曲を作っていきたい」と、故郷に根を張った音楽活動に意欲を見せる。

映画監督・山田洋次さんが瀬戸内町の観光大使に

 「武士の一分」や「男はつらいよ」などの映画監督として知られる山田洋次さん(75)が十九日、瀬戸内町の観光大使に委嘱された。同町の魅力を多くの人に知ってもらおうと依頼したもので、山田さんは「寅は柴又で生まれ、晩年はこの地で落ち着いた。私にとっては秘密の土地でもある。お役に立てればと思う。本当にありがとう」と抱負を述べた。また、奄美加計呂麻山田会(加藤和正会長)が結成され、山田さんの記念講演などを通して地域活性化を目指すことを申し合わせた。
 同町によると、山田さんは映画「男はつらいよ」シリーズ最終作・寅次郎紅の花のロケ地が加計呂麻島だったことが縁で一九九五年の撮影以来、毎年一度はスタッフらと訪れているという。
 房克臣町長は「お帰りなさい。監督にはこの地の自然や人情が素晴らしいと言われ、とてもうれしく思っている。瀬戸内町の素晴らしさを全国に、世界にPRしてほしい」とあいさつ。山田さんに委嘱状を手渡し、記念品として名刺をプレゼントした。
 引き続き開かれた観光大使任命・奄美山田会発足記念祝賀会で山田さんは、「男はつらいよ」の主役を務めた故渥美清さんとの思い出などを紹介しつつ、瀬戸内町への愛着ぶりなどを語った。

8月22日(水)付 

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イセエビ漁が解禁に

 イセエビ漁が二十一日、約四カ月ぶりに解禁(五月一日―八月二十日までが禁漁期間)され、奄美市の名瀬漁協では早朝から新鮮なイセエビが水揚げされた。量には恵まれたが、せりの高値は三千円台後半と相場は踊らなかった。
 同漁協所属の漁船など十二隻が水揚げした。魚類のせりに続き、エビ類のせりは午前七時過ぎにスタート。入荷量は赤エビ(カノコイセエビ)五十六キロ、青エビ(シマイセエビ)百八十八キロ、テゴサ(ゾウリエビ)六キロ。キロ当たりの最高値はセデエビ(脱皮直後のイセエビ)の三千七百七十七円だった。
 奄美地区では素潜り漁でエビを漁獲する。漁業関係者によると、イセエビが小振りになってきたことに加え、不景気で値も上がらなかったという。漁業者からは「キロ一万円の時代が懐かしい」との声も聞かれた。

全国中学校相撲選手権で個人戦で坂元元規(赤木名3年)が準優勝、団体戦で古仁屋が3位入賞

 2007年度全国中学校体育大会第37回全国中学校相撲選手権大会(日本中学校体育連盟など主催)は18、19の両日、青森県の十和田市相撲場であった。個人戦で坂元元規(赤木名3年)が準優勝、団体戦で古仁屋が3位入賞を果たした。
 大会には全国から団体48校、個人142人が出場。予選3回戦の後、個人は75人、団体は32校が決勝トーナメントに進出した。個人戦には坂元のほか、蘇堅太(古仁屋3年)、永井達幸(同)が出場し、いずれも決勝トーナメントに進出したが、蘇は3回戦、永井は2回戦で敗退した。
 坂元は身長180センチ、体重145キロの恵まれた体格を生かし、安定した取組で予選、決勝トーナメントとも順調に勝ち上がった。準決勝では九州大会で敗れた中村(熊本・八代四)を寄り切り、決勝進出。「勝ちを焦ってしまった」(坂元)という決勝では網谷(鳥取・鳥取西)に一瞬のすきに「上手投げ」を決められ、惜敗した。
 古仁屋は九州中学総体同様、先ぽう・蘇、中堅・永井、大将・福島京介(2年)で試合に臨んだ。準決勝では善通寺東(香川)を相手に蘇が1勝を挙げたものの、永井が「よりたおし」、福島が「つきだし」で敗れ、決勝進出を果たせなかった。
 赤木名は一九九九年に団体優勝を果たしているが、個人で2位入賞はそれに次ぐ快挙。佐藤勲顧問は「体調も万全で自分の力を出し切っていた。地域の応援、コーチに支えられてよく頑張った」と坂元をたたえた。
 古仁屋は3年連続の3位入賞。永吉浩幸顧問は「準決勝では体格の大きい相手に正面からぶつかっていた。プレッシャーの中、よく力を出せていた」と選手の戦いぶりに満足し、「全国を経験した福島を中心に、来年に向けてチームをつくり、優勝を目指したい」と力を込めた。

8月23日(木)付 

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瀬戸内町諸鈍の柘植さんが熱帯のチョウ・ツマムラサキマダラの北上の背景を論文に
 近年、奄美各地で観察、発生も確認されている熱帯のチョウ、ツマムラサキマダラ(マダラチョウ科)の北上の背景を探った研究結果がまとまった。まとめたのは瀬戸内町諸鈍の柘植(つげ)達雄さん。北上を可能にしている鍵として幼虫期の幅広い食性などを挙げている。
 柘植さんによると、ツマムラサキマダラは五十年前までは台湾までしか分布していなかったが、約四十年前から移動開始。沖縄県八重山で一九六〇年代後半から記録が増加、九二年に沖縄本島、九五年に奄美大島、九七年に沖永良部島、九八年に喜界島、九一年に鹿児島本土、二〇〇四年には宮崎市でも発見されている。
 柘植さんは、二〇〇四年十月二十二日に諸鈍集落の林道でシロノセンダングサで吸みつする雄のツマムラサキマダラを発見したのを最初に観察を続け、〇七年春までの記録や食草との関係などを基に論文にまとめた。
 論文で柘植さんが北上を可能にしている鍵として考えているのが飛来先での食餌植物の種の数と量、分布域、幼虫期の食域。「日本産蝶類幼虫食草一覧」ではツマムラサキマダラが幼虫期に摂食可能な植物はクワ科、ガガイモ科、キョウチクトウ科の三科二十一種に上り、広食性はアサギマダラに次ぐという。
 広食性については「熱帯から極東の日本に進出する途上、世代を重ねて適宜取り込んだ食餌植物への広範な適応力」と見解を述べ、「ふ化すればすぐに摂食可能な多種類の植物が奄美には周年自生している」ことを挙げている。
 柘植さんは、「ツマムラサキマダラは本土をうかがっている。こんなに短期間でしかもかなりの数が定着している例はない。冬の寒冷期の温暖化も助けになっているかもしれないが、ベースは広い食域を持っていること。このチョウの生活史や天敵などを第二弾としてまとめたい」と意気込んでいる。
 研究結果は所属する長崎県生物学会の機関誌「長崎生物学会誌」に「基産地インドの蝶・ツマムラサキマダラの北上について」と題して発表される。
 柘植さんは長崎県出身。NHK報道局、NHK出版局を経て退職。定年後、三年前から諸鈍に移り住んでいる。昆虫の分類と生態観察をはじめ、動植物の生態写真撮影や渡り鳥の観察などをライフワークとしている。

8月24日(金)付 

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本場奄美大島紬グランプリで最優秀賞に(有)興紬商店の作品

 本場奄美大島紬協同組合(赤崎拓郎理事長)主催の「2007本場奄美大島紬グランプリ」の審査会が二十三日、奄美市名瀬の紬会館であった。産地業者の出品した新作紬が審査され、最優秀賞には(有)興紬商店(龍郷町)の作品が選ばれた。
 同イベントは、大島紬の品質向上と多様化する消費者ニーズにあった製品作りを推進し、生産意欲の高揚と活力ある産地づくりに役立てようと開催されている。
 今回は九マルキ以上、七マルキ、五マルキ・十三算(よみ)、男物、復元・特殊・新商品の五部門で計百三十六点の出品があった。
 審査員は伝統工芸士会や同組合女性部会の会員、流通関係者など二十人余り。斬新性、市場性、色彩性、デザイン性などを総合勘案し、最優秀賞のほか優秀賞と大会賞を選んだ。
 審査員を務めた本場奄美大島紬販売協同組合の池島隆二理事長は「市場が悪くて値が通りにくい中、色使いや絣(かすり)使いに変化を持たせるなど工夫しながら作っている」などと感想を述べた。
 最優秀賞以外の受賞者は次の通り。(敬称略)
 【優秀賞】▽九マルキ以上 (有)興紬商店▽七マルキ (有)興紬商店▽五マルキ・十三算 (有)興紬商店▽男物 屋井和久▽復元・特殊・新商品 (株)夢おりの郷
 【大会賞】拒O田紬工芸=三点、たけがわ織物、田畑絹織物(有)
、牧絹織物=以上各二点、古山工房、有村絹織物(株)、(有)興紬商店、(株)夢おりの郷、平田絹織物(株)、水間輝利=以上各一点

「奄美ミュージアム・ジュニア環境体験スクール」で本土の小中学生ら十三人が奄美大島に来島

 二十一世紀を担う子供たちに奄美の自然とのふれあいを通じて環境問題への意識を高めさせることを目的に「奄美ミュージアム・ジュニア環境体験スクールIN奄美・ヨロン(ジュニア環境体験スクール実行委員会主催)」が二十二日から実施されている。関東、関西に住む小中学生から作文選考で選ばれた十三人が来島。二十八日まで奄美・与論に滞在し、自然体験を通して自然の大切さを学ぶとともに八月踊りなどで地元の子供たちと交流を深める。
 同事業は(財)日航財団が推進する環境教育事業の一環。二〇〇二年から与論島で実施されていたが、奄美群島の生態系を含む環境を学ぼうと今回初めて奄美に訪れた。奄美では県立奄美少年自然の家に宿泊しながら金作原原生林散策やカヌーを体験。二十二日には宇宙航空研究開発機構宇宙教育センター長、的川泰宣氏の「地球人講座」があり、宇宙から見た地球を通して、環境や命の大切さを学んだ。
 二十三日は奄美市名瀬の奄美海洋展示館を見学。奄美の子供たち十一人を交え、間近で子ガメにえさを与える体験をした。大阪から参加した竹内健太君(12)は「子ガメを間近で見るのは初めて。小さくてかわいかった。与論では海で泳ぐのが楽しみ」と笑顔で話した
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