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○…与論町ではヘチマの仲間のトカドヘチマ(十角糸瓜)が静かなブームになっている。文字通り果実の表面が縦に十角に分かれているのが特徴。同町では「ヘチオクラ」の愛称で呼ばれる。 ○…数年前に学校の教員が持ち込み、口コミで広がったという。大きいものは七十センチくらいになるが十センチくらいが食べごろ。ジューシーで肉厚の触感が楽しめる。○…同町朝戸の西田建一さん宅では、妻のくみ子さんが今年から栽培。いため物やみそ汁の具としてもおいしいが、表面の皮をむいて輪切りにし、生のまま三杯酢などでサラダ感覚で食べるのが最高という。くみ子さんは「短い期間で育った。来年は棚を作って本格的に栽培したい」と話した。 |
徳之島町山集落近くの天城岳=標高約五百メートル=の山中に三月、急患搬送に向かう途中の陸上自衛隊第一混成団(沖縄・那覇駐屯地)一〇一飛行隊のCH47型輸送ヘリコプターが墜落、搭乗していた機長の建村善知(たてむら・よしとも)三等佐=当時、徳之島町出身=ら隊員四人が死亡した事故で、陸上幕僚監部は七日、夜間の天候急変により視界不良になったことが原因などとする調査結果を発表した。機器の不良などは確認されなかった。事故は三月三十日午後十一時すぎに発生。鹿児島県知事からの災害派遣要請(緊急患者空輸)を受け、ヘリは同九時四十九分に那覇飛行場を離陸し同十時四十五分ごろ、患者収容点である徳之島総合グラウンドに着陸しようとしたが、天高不良のため着陸できず、徳之島空港へ向かう途中の同十一時六分ごろ、天城岳東側の山頂付近に衝突、炎上した。ボイスレコーダー(音声記録装置)が激しく損傷しており、詳しい飛行ルートは確認できなかったという。 陸幕によると、乗っていた四人は徳之島での訓練経験はなく、一〇一飛行隊には夜間暗視眼鏡が配備されていなかった。陸自は事故防止策として、訓練の充実や暗視装置の配備を図るとともに、天候情報を継続的にパイロットに伝える体制を整える。直ちに実施できるものについては処置を完了し、一〇一飛行隊は四月二十七日以降、緊急患者空輸任務を再開している。 |
正月などに欠かせない郷土料理の三献。簡略化されたところも多くなっているが、献立から高膳(ぜん)まで昔ながらに再現した試食会が七日、龍郷町の料理店「島とうふ屋」であった。三献は、二十五日、同町で行われる講演会で講演する稲盛和夫京セラ名誉会長らを歓迎する昼食メニュー。この日はリハーサルを兼ねて行われ、同実行委員会の役員や奄美スローフードの会員らが出席した。出された献立は、大分大学の田畑千秋教授が出身の龍郷町龍郷の田畑家で代々伝えてきたものを再現した。一の膳(漬け物、お茶、もち)から二の膳(もちの吸い物、杯)、三の膳(刺し身、杯)、四の膳(豚の吸い物、杯)まで配膳され、「おせりょうろ(お召し上がりください)」の言葉に合わせていただいた。四の膳に続いて、腹ごしらえの御重(ソテツのでんぷんのかゆ、タコのみそ漬け、サトイモ、コンブ、揚げ豆腐、豚肉などの煮物)も賞味した。 料理店経営者の高野裕夫さん(54)が本番通りに奄美の年越し料理や、三献の由来、献立の食材などについて解説を加えた。 同実行委員会総務部の安田荘一郎部長は、「三献は稲盛さんたちに島の歴史や文化まで味わってもらうのが狙い。西郷隆盛も奄美大島に入った二日目には田畑家で三献を味わったと思う」と話した。 |
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| 県選挙管理委員会は七日、九月定時登録(二日)現在の選挙人名簿登録者数を発表した。奄美十二市町村の有権者数は一万八百五十六人で、六月定時登録時に比べて三百六十九人減少した。県全体の有権者数は百四十一万四千二百五十四人(男六十五万千百三十人、女七十六万三千百二十四人)。 奄美を市郡別に見ると、奄美市は三万八千七百四十六人(男一万七千七百九十九人、女二万九百四十七人)で百八十二人減、大島郡は六万二千百十人(男二万九千八百六十三人、女三万二千二百四十七人)で百八十七人減となっている。 市町村別では、大和村と龍郷町で増加したが、他市町村では減少が続いている。 |
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| 関西フォークの旗手で奄美とも縁の深い加川良さん(59)がこのほど、奄美市名瀬と瀬戸内町でライブを開催した。フォーク世代が詰め掛け、加川さんとともに「青春」を共有した。 ライブは「加川良withすぎ暢」と銘打って行われた。二人は「教訓」「コスモス」といったおなじみの曲を次々と披露。軽妙なトークも聴衆を魅了した。会場には加川さんを追っかけて埼玉から来たという五十代のカップルもいた。 加川さんと奄美のかかわりは二十年以上。夏には必ず訪れるという。奄美市名瀬の男性(53)は「良さんの曲は歌詞がはっきりしているのがいい。青春時代を思い出した」と満足そうだった。 |
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任期満了に伴う与論町長選挙は九日、投票が行われた。即日開票の結果、無所属現職の南政吾氏(67)=茶花=が無所属新人で元町教育長の竹下徹氏(71)=那間、写真右=を千百六十六票差で破り、三選を果たした。前回は無投票で八年ぶりの選挙戦となった同町長選。両候補は行財政改革や産業振興などで論戦を交わし、町を二分する選挙戦を展開した。投票率は90・07%と前々回(91・67%)を1・6ポイント下回った。町長の三選は町政史上二人目。南氏は一九九九年に新人同士の一騎打ちを制して初当選し、前回は無投票で再選された。今回は三月の定例町議会で立候補を表明し、徳田毅衆議院議員や各団体の支持を受けて組織的な選挙戦を展開。二期八年間の実績とともに農漁業振興や観光活性化などの公約を掲げて町政の継続発展を訴え、広く支持を集めた。 竹下氏は告示三週間前の八月中旬に立候補を表明。地盤の那間地区を拠点に町内をくまなく回って草の根運動を展開した。「町民による活力ある豊かな島づくり」をキャッチフレーズに町民参加型の政治の必要性を強調。農漁業振興のほか育児支援や町長給与の減額などを公約に盛り込み、町政刷新を訴えたが、及ばなかった。 当日有権者数は四千五百七十一人(男二千百九十人、女二千三百八十一人)。投票総数は四千百十七人(男千九百四十九人、女二千百六十八人)で有効四千八十二票、無効三十五票だった。 |
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関西手々郷友会(園田勝儀会長)などの一行が六日から古里の徳之島町手々集落(深見公信区長)を訪問、九日には集落の海岸近くの公園で「魚なくさみ」や演芸大会などがあった。郷友会や地元の集落民に加え、島内在住の手々出身者らも合流。追い込み漁などで採れた魚に舌鼓を打ちながら、旧交を温めた。人口百四十人ほどの小さな集落だが、この日ばかりは大勢の人でにぎわった。手々集落を訪問したのは、郷友会を中心とした一歳から九十五歳までの百二十人。二世や三世のほか、出身者の友人らも加わった。 園田会長(64)によると、十三年前にも五十―六十人で訪問したが、これほどの規模は初めて。六日には手々小中学校体育館で歓迎会もあり、園田会長は「大変な歓迎を受けた。島は緑が多くとても気持ちが良い」と笑顔で話した。 中学校卒業以来五十二年ぶりという木元邦子さん(67)=京都市在住=は「行きたいと思っていたが、個人ではなかなか帰れなかった。友達以上の存在の同窓生らとも会えたし、温かく迎えられて感激」。最高齢の西元タミさん(95)=大阪市同=は「空気がきれいでぜん息もなくなる。島の魚はおいしい」と喜んでいた。 九日は早朝から地元側がテントの設営や炊き出しの準備で大忙し。午前九時ごろには手々海岸で追い込み漁も行った。当日の釣果は芳しくなかったが、地元側がこの日のために準備していた魚を使って魚汁や刺身にして「魚なくさみ」を楽しんだ。 午後からは演芸大会に入り、オープニングでは車座になって祝い歌やまくら節を合唱。島唄や舞踊、棒踊りなど二十のプログラムで盛り上がり、最後は伝統のムチタボリ、六調で締めくくった。 |
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○…奄美大島の海岸の岩場でかれんな花を咲かせたイソマツが見れる季節となった。花びらの色はピンクや白色。絶滅危ぐU類。植物愛好家によると、奄美大島では過去に薬用や盆栽目的などで多くのイソマツが採集されたことから観察できる海岸はわずかになっている。○…日本大百科全書によると、イソマツ科の低木状をなす多年草で、八―九月に葉の中心から高さ七―十五センチの花茎が直立し、多数の小穂を円すい状につける。海岸のしぶきがかかるような岩場やサンゴ礁の上などに生える。伊豆諸島、沖縄等に分布する。 ○…喜界島では台湾業者から依頼を受けた他島の人々らが訪れ、多数採集したことから数が激減した時期があるという。町は自然保護条例で種子を含めて採集禁止とした。 |
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| 民営、分社化を前に郵政公社は十日、瀬戸内町瀬相に古仁屋配達センター加計呂麻作業所を開設した。「地域の集配拠点」となり、島内の配達業務を担う。集配業務の効率化に伴う全国でも例のない施設だ。出発式ではサービス向上に期待の言葉が相次いだ。 出発式は開所したばかりのセンターで行われ、約三十人が出席した。郵便事業会社名瀬支店の吉良安弘準備室長(名瀬郵便局長)は「加計呂麻作業所は配達事務、地域特産品等の集荷拠点としてスタートする。以前にもまして高品質なサービスに努め、愛され親しまれる郵便局づくりに努めたい」と式辞を述べた。 房克臣町長と、重村洋一・特定郵便局奄美連絡会長の来賓祝辞に続いて作業所職員の祷昭哲さんが@お客の立場でサービスを提供するA信用を失う事故や犯罪をしないB交通事故防止に努める―と決意表明した。 加計呂麻作業所の開設は三月の集配業務見直しに伴うもの。実久、押角、西阿室、諸鈍の集配業務が古仁屋に集約されたため、加計呂麻に作業所を整備することにした。作業所はプレハブ鉄筋造りの平屋。延べ床面積は八十六・一二平方メートル。職員は十一人配置し、軽自動車二台とバイク五台を配備した。出発式の後、早速、配達・集荷業務が始まった。 |
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| 徳之島の野山や庭先に自生するミカンを果汁などにした「ヤマ・シークニン」の出発式が十一日、徳之島町轟木の農業法人ダイキチ食品園芸(大橋カツミ代表)の加工施設であった。「島の宝」を発掘し、全国へ発信する新たな取り組みとして期待される「ヤマ・シークニン」に対し、高岡秀規町長ら町関係者らからも期待の声が上がった。 「ヤマ・シークニン」は、大橋カツミさん(64)と吉山秀宗さん(57)が三年前から出荷を始めた製品。島ミカンの呼び名を使用した「ヤマ・シークニン」で商標登録し、加工場を建設して全国販売に向け取り組んでいる。昨夏には徳之島ヤマ・シークニン生産組合(木場友広組合長、二十三人)も発足し、大橋さんらの活動をバックアップしている。 出発式で大橋代表は「ここまで大きくなるとは思わずにただまっしぐらに取り組んできた。島興しのため、徳之島のブランドに育てたい」とあいさつ。高岡町長は「町も販売ルートなどでタイアップしていきたい」と期待した。 大橋さんらによるとヤマ・シークニンは、血糖値や血圧上昇抑制作用、ガンの予防効果があるとされるノビレチンやタンゲレチンが多く含まれいる上に、野生のため病害虫にも強く農薬を使わずに栽培できるのが強みという。大橋さんらが注目する前はその酸っぱさから「ヒヨドリの餌」になっていたという。 既に果汁やゼリー、サプリメント、キャンディーなどを商品化。果汁を除く製品の加工は島外の製薬会社など外部へ委託しているため、「製品加工まで一貫して手掛けることが課題」(吉山さん)という。今年度は三十トン(前年度二十七トン)の出荷を予定しており、販売額は二千万円を見込んでいる。 |
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| 喜界島では特産品の白ゴマの出荷作業が本格化している。ゴマは近年の健康ブームを背景に栽培熱が高まっている。島内の道路沿いや広場では収穫したゴマを天日干しする光景が見られる。 ゴマは五月ごろに種まきし、約三カ月で収穫期を迎える。サトウキビの夏植え前に収穫できることから、間作に向いた作物として生産者が増加。昨年度は栽培面積百十ヘクタール、生産量七十トンと過去最高を記録した。 喜界町産業振興課によると、今年度は四―五月の平均気温が平年より一―二度低く、台風4号の影響もあって成長にばらつきがみられ、収穫時期もずれ込んだ。栽培面積百ヘクタール、生産量五十―六十トンを見込んでいる。 十年ほど前からゴマ栽培に取り組んでいる大野善亮さん(56)小野津=は「昨年は台風も無く豊作だったが、今年は冷夏と台風、それに日照不足で収穫量は六割ぐらい。品質的にはまずまず」と話す。 |
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奄美を描き続けた日本画家・田中一村をしのぶ「第十九回一村祭」(一村会主催、奄美市共催)が命日の十一日、奄美市名瀬有屋町の一村終えん家屋前であった。今年は没後三十年の節目にも当たり、一村を慕う人々や関係者が多数出席して御霊を慰めた。心配された雨も上がったこの日、一村忌は太鼓グループ「奄美ふぬゐ」の勇壮な演奏で始まった。今年二十周年になる一村会の美佐恒七会長が「没後三十年を迎え、海外からも注目され作品がどこに流れるか分からない“危機的状況”。日本では文化的にも足元を見直す気運が目覚めてきている。奄美を世界に誇れる自然遺産にしようという動きもある中、一村会でも何か力になれたら」とあいさつ。 田中一村記念美術館の前村卓臣学芸専門員は作品「エビと魚」を紹介し「亡くなる前に描かれもので、一村にとっては世界に挑戦しようとする絵だったのではないか。今後も美術館と一村祭が両輪となり、奄美でしかできないことをやっていけたら」と語った。 かがり火が燃え盛る中、遺影へソテツ葉の献花、当原ミツヨさんの島唄、大熊青壮年団による八月踊りなどが行われ、偉大な画業を残した画家を全員でしのんだ。 一村忌を前に「ジュニア絵画大賞展」の表彰式も行われ、久保井博彦名瀬美術協会会長が「今年はバラエティに富んだ力作が見られた。大賞の福田菫さんの『ゴーヤとばあちゃんの足』は臨場感にあふれ、二つの主体が共鳴し合い愛情が伝わってくる」と講評。コ永昭雄教育長や福田さんらがチョウセンアサガオを記念植樹した。 |
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| 龍郷町戸口出身で牧主建設工業(株)の牧主利光社長=大阪府在住=がこのほど、同町の各小中学校にエラブユリの球根を寄贈した。牧主社長の出身校、戸口小学校(宇治野昭一校長)では十二日、各校を代表して贈呈式があり、牧主社長に代わり同町教育委員会の中村武司指導主事、奄美自然観察の森の宇都宮英之自然観察指導員が来校。同校児童にエラブユリの球根を手渡した。 「ふるさとの学校にユリを贈ることで、ふるさとに感謝をしたい」との牧主社長の意向で今回の寄贈に至った。寄贈された球根は六百個。同町の小中学校の子供たち全員に一個ずつ配られ、子供たちは今後、ユリを育て、記録や感想を牧主社長にお礼として届ける。 贈呈式で中村指導主事は「戸口小の先輩に当たる牧主社長からのエラブユリをよく観察してほしい。君たちにしか発見できないものがあると思う」と話した。 宇治野校長は「戸口小の校歌にも『ソテツとユリのにおう風』と歌われている。観察をしながら大事に育てていこう」と児童に呼び掛けた。 |
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| 辺留グスクの発掘調査大詰めに | |
奄美市教育委員会が同市笠利町の辺留グスクで進めている発掘調査が大詰めを迎えている。十二日には熊本大学文学部の甲元眞之教授が現場を視察し、これまでの調査で検出されていた溝状遺構は「グスクに通じる通路としての機能を持つ」と断定した。甲元教授は「沖縄は石造りの城に改築する段階で大規模な土木工事を行ったため昔の遺構が残りにくい一方、奄美は中世段階のグスクの構造が残っている。外周の発掘例自体少なく、貴重な遺構だ」と話している。市教委では調査結果を踏まえ、年度内に報告書を作成する。辺留グスクは笠利集落入り口付近にある笠利カトリック教会向かいの台地に位置し、十二―十五世紀の遺跡とされる。県道佐仁万屋赤木名線の改築事業に伴う記録保存のため二〇〇四年度から計三回にわたり調査を実施してきた。今回は七月二十三日から九月中旬までで、対象面積は約二百七十平方メートル。 奄美で初めて検出された溝状遺構は今回、グスク外周部分の二カ所を調査した。市教委の中山清美課長補佐によると、グスクを始点として北側から南方向へ緩やかな坂道を蛇行しながら下っており、全長は約六〇メートル。幅はグスク近くの一・二メートルから、最下部は二・五メートルへと広がっている。甲元教授は「南西諸島の中世城郭の特徴として通路はまっすぐ作らない傾向にあり、発想法の違い」と話す。 深く掘った溝に石を敷き詰め、さらに上から土をかぶせて突き固める「版築(はんちく)」という手法を用いた跡が見られることから、排水溝の役割を果たす「盲目暗渠(めくらあんきょ)」と推定。遺構はグスクに通じる通路としての機能を持っていた―と断定した。 このほか防御機能としてグスク周辺にはのり面(切岸=きりぎし)による二段の「帯曲輪(おびぐるわ)」も確認されている。 甲元教授は笠利町の東側の辺留グスクが在地的な構造をしているのに対し、西側の赤木名グスクは日本の影響を受けた「大和的グスク」と表現。それぞれ「日常生活の拠点」「要塞機能」とする役割の違いにも着目し「在地と九州の勢力のせめぎ合いが見られ、対比すると面白い。文献記録にないため無視されてきた本来の地元の歴史が解明されてきた」として今後の研究に期待を寄せた。 |
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奄美市名瀬の飲食店経営森田伸二さん(35)は九日、同市笠利町沖の通称・トンバラ岩に出向き、自身初となる一日六匹のクロ釣果に恵まれた。「二度とないかも」と喜び、今後に向け「次は二キロオーバーを目標にしたい」と語った。所属する釣りクラブのメンバーとともに同ポイントに渡った森田さんは一投目から本命のクロを上げ「きょうは釣れた」とひと安心。餌取りの群れを交わし、釣り続けるとさらに二匹目のクロが掛かったため、なえた集中力が戻った。 その後、食いが渋るたびにタナや浮きを変え、その読みがすべて当たった。「釣れても一日に二匹」と数釣りには縁遠かったが、この日は四七センチ、一・四七キロを筆頭に六匹の釣果。回収前までクロの引きを堪能し「たくさん釣る人はいるが、自分にできるとは」と喜びより驚きが大きかったようだ。 |
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