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9月15日(土)付 

奄美の100歳以上は119人
 県保健福祉部は十四日、県内の百歳以上の長寿者(九月一日調査、同三十日現在)を発表した。奄美の百歳以上は前年度より十七人増え百十九人。人口十万人当たり95・37人で県平均の二倍以上。奄美最高齢は天城町の堀谷トシさんの百九歳。今年度中に百歳を迎えるのは六十三人となっている。
 県内の百歳以上は男性九十三人、女性六百四十二人の七百三十五人、前年度より七十六人の増。奄美は男性二十人、女性九十九人の百十九人。市町村別では奄美市が三十人で最多、次いで天城町十四人、徳之島町と与論町が各十三人、伊仙町十一人、知名町八人など。
 県内最高齢は、与論町の野澤マゴさん(百十一歳)だったが、九月十二日、老衰のため死去し、百十歳の・府チカヲさん(曽於市)が最高齢となった。男性最高齢は与論町の嶺島峰永さんで百九歳。
 奄美の十万人当たりの百歳以上は95・37人。県平均(42・17人)の約二倍、国平均(25・28人)の約三・七倍に達し、長寿全国一の沖縄県の57・89人も大幅に上回っている。
 今年度中に百歳を迎えるのは県内で男性五十人、女性三百二十人の計三百七十人。奄美は男性十一人、女性五十二人の計六十三人。市町村別では奄美市十二人、徳之島町十人、伊仙町九人、瀬戸内町と和泊町が各六人、喜界町五人、龍郷町と天城町が各四人、与論町三人、知名町二人、宇検村と大和村が各一人。龍郷町や和泊町、喜界町が昨年度より増えた。
 県内の新百歳三百七十人中二百二十二人が病院や特別養護老人ホームなどの施設に入所しており、自宅で暮らしているのは百四十八人。喫煙者は三人で晩酌するのは二十二人。四十二人が自立した生活を送っており、中には散歩や野菜作りなど軽い運動をこなす人もいる。
 長生きの秘けつについては@明るく前向きで、小さな事でくよくよしないA早寝・早起きや一日三食しっかり摂るなど規則正しい生活をするB好き嫌いが無く何でもバランスよく食べるCマイペースで好きなことをして過ごすD自分でできることはすべて自分でやる―などを挙げている。
日本カヌージュニア大会カナディアン単で大島北高2年の枦木翔が優勝
 第3回日本カヌーフラットウォーターレーシングジュニア・ジュニアユース小松大会(石川県小松市・社団法人日本カヌー連盟主催)は6―9日、同市の木場潟カヌーレーシング競技場であり、少年男子カナディアン単1000メートルに出場した枦木翔(はしき・かける)=大島北高2年=が記録5分7秒392で初優勝を飾った。2008年海外派遣選手1次選考会を兼ねた大会での快挙。夢のナショナルチーム入りへ大きな一歩を踏み出した。
 枦木は予選、準決勝を1位通過し、上位9艇で争うA決勝に進出。決勝ではスタートで出遅れたものの、中盤追い上げ、最後の100メートルでトップに立った。2位の田村一樹(三好Athlete)にゴール手前で競り勝ち、2秒差でゴール。枦木は同500メートルでも決勝進出を果たし、5位に入った。
 カナディアン単の選手は県内に3人。5月末に行われた県高校総体ではその双子の弟・駿(すぐる)=伊佐カヌークラブ=と坂元斉哲(県立串良商業高)の2人に敗れて3位に終わった。同小松大会では2人も決勝進出。枦木は「絶対2人の前に出たかった」と後半750メートル付近で2人を追い抜き、県大会での雪辱を果たした。
 選考会は体力測定などの2次選考を経て、来年3月に行われる3次選考が最後。枦木は「最終選考でも優勝し、来年はインターハイ、国体出場を果たしたい」と力強く語った。同高カヌー部の岩元はるみ監督は「レース後半は我慢比べになるが、それに勝つことができた」と枦木をたたえ、今後は「風、波にも対応できるよう、総合的な筋力を鍛え、水上練習もたっぷりとやらなければ」とさらなる成長を期待していた。

9月16日(日)付 

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県図画作品展で喜界町の湾幼稚園から3園児が入賞

 第五十八回県図画作品展(県教育委員会、南日本放送など主催)がこのほどあり、喜界町立湾幼稚園(英良治園長、九十二人)の園児三人が入賞し、園も優秀学園賞に選ばれた。園では「情操教育の成果が現れた」と喜んでいる。
 同幼稚園は年少、年長合わせて五クラスあり、各クラスから六点ずつ計三十点を出品、町や奄美地区の審査会を経て十八点が同展に出品された。入賞したのは吉行宏太君、重村大和君、津田海俊君の三人。プール遊びとサメ漁を描いた吉行君と重村君が特選、ハリセンボンを描いた津田君が入選した。また、園も奄美から唯一、優秀学園賞に選ばれた。
 同幼稚園は、普段から絵画や音楽、伝統芸能などを通じて情操教育に力を入れており、奄美地区の絵画展ではこれまで九回入賞している。英園長は「情操教育にかねてから取り組んでいる結果の表れ。絵を通じて心豊な子供に育ってほしい」と話した。

龍郷町で小中学生の自然研究発表会

 龍郷町の小中学生が環境や自然について研究した成果を発表する「二〇〇七年度夏休み自然研究発表会」(龍郷町環境教育プロジェクト・理数大好きモデル地域事業共催)が十五日、同町中央公民館であった。発表者は同町の五小・中学校の児童生徒。マングローブや川の水の性質、集落の危険な生き物などについて友達同士で調べ、訪れた児童・生徒、学校関係者、保護者の前で発表した。
 龍郷小学校の泉太郎君(六年)、枝元祐貴君(四年)は「イソヒヨドリの子育て」を観察。研究内容は@卵が産まれてから巣立つまでの日数A親鳥の餌選びB巣を作る材料―など。今年三月ごろから観察を始め、ひなが巣立つまで約四十日かかる、餌は昆虫の幼虫が多かった、巣の材料は松葉など曲げやすいものが多い―を結果として挙げた。また「巣の材料は自然のものがほとんど。むやみに木を切ったりせず、共に暮らしていける環境をつくることが大事」と付け加えた。
 発表を終え、泉君は「最初は緊張したが、だんだん慣れた。観察を通して身近にいる鳥について知ることができた。他の鳥にも興味がわいた」と笑顔で話した。
 龍郷町環境教育プロジェクトで同町の児童生徒を指導している前園泰徳同プロジェクト代表は「子供たちが大人の前で発表するこのような機会は大事な経験になる。それぞれのグループが子供なりの発想で分かりやすく発表していた。子供たちには今後も考える技術を伝えたい」と話した。
 同発表会は昨年に続き二回目。来場者が審査員として最優秀賞、優秀賞を決定し、デジタルカメラや体験ダイビングの利用券、奄美の自然や文化に関する音(鳥の鳴き声や機織りの音)が聞ける本「聴き歩きフィールドガイド」が贈られた。

9月17日(月)付 

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休刊日


9月18日(火)付 

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奄美市名瀬では郷友会の八月踊りシーズン

 奄美市名瀬地区は郷友会の八月踊りシーズンに入った。週末にもなると、各地の公園や広場では唄やチヂン(太鼓)の音が夜空に響き、「ワキャシマ一番」とばかりににぎやかな踊りが繰り広げられている。
 名瀬石橋町のいしばし公園では十五日夜、名瀬在住戸口郷友会(興弘志会長、約三百世帯)が八月踊りを催した。会員世帯の多さを反映し、八日から二週続けての実施。八月踊り保存会(森謙志会長)を組織するなど郷友会活動も盛んという。
 午後八時、チヂンの打ち出しとともに始まった。歌舞伎の影響を受けたとして郷里の龍郷町戸口集落に伝わる「サンマテのコッコエ」など約十曲を展開。ビールの酔いが回るころには佳境へと入り、男女の唄掛けが一層にぎやかに繰り広げられた。
 会員の団結力を高めると同時に敬老会の寄付金集めともなっている八月踊り。休憩時間にはハナも披露され、拍手と歓声が上がった。

県体で大島地区は男女総合4位

 第61回県民体育大会曽於大会(きらめき県体2007)最終日は16日、曽於市を主会場に24競技があった。大島地区は前回よりも3・85ポイント得点を上乗せし、注目の順位は一昨年と同じ男女総合4位を堅持した。女子総合は3位と前々回より一つ順位を上げる大健闘を見せた。
 競技別では相撲が節目の総合10連覇を達成し、全空連空手道が6連覇と圧倒的な強さを見せた。期待のソフトボール女子が連覇、決勝進出した軟式野球は雨天のため鹿児島と両チームが優勝となった。連覇を狙った銃剣道は惜しくも準優勝、バレーボール女子、ハンドボール男子、カヌー女子が準優勝した。
 来年の第62回県民体育大会は川辺地区で開催する。

県奄美パークで田中一村没後30年記念シンポジウム

 日本画家・田中一村の没後三十年記念シンポジウムが十六日、奄美市笠利町の県奄美パーク奄美の郷イベント広場であった。今年度から新たに四人体制となった田中一村記念美術館顧問や学芸専門員らをパネリストに「これからの田中一村を考える」と題して白熱の討論を展開。一村の作品が大衆に受け入れられ観光資源としての成功を収めた一方、美術専門家による研究の停滞や芸術的評価の不足が課題に挙げられ、同美術館を中核としたデータベースの構築、美術館主体の全国巡回展の開催、研究基金の創設などを求める意見が上がった。
 パネリストは同美術館顧問の大矢鞆音氏と、今年四月に新顧問に就任した西村康博氏(同美術館前学芸専門員)、山西健夫氏(鹿児島市立美術館学芸係長)、山本和弘氏(栃木県立美術館特別学芸員)ら三人、同美術館現学芸専門員の前村卓巨氏の計五人。宮崎緑館長がコーディネーターを務めた。
 まず前村氏が基調報告し、晩年の一村と親交のあった故宮崎鐵太郎さんや一村亡き後の動きを紹介した上で「今後の展開についてどうアピールしていくか考えていきたい」とシンポジウムの趣旨を説明した。
 没後三十年を振り返り、山本氏は「無名の一村が世に出るきっかけとして短期的な成功を収めたが、長期的に見ると研究者の不在で芸術的価値の判定ができていない。千年後を見据えると芸術を評価できる基盤をつくり上げることが課題」と指摘。
 研究の停滞の原因として前村氏が「NHK出版の著作権にからんで研究が制約されると聞いている」と主張したのに対し、長年、同出版の編集者としてかかわってきた大矢氏は「そのようなことは絶対にない。研究であればきちんと提供する。一村は独学で絵を学んだため研究が非常に難しい」などと反論した。
 今後の研究の方向性、美術館の位置付けについて山西氏は「個々の見方で一村の評価が違うからこそデータを公開しなければならない。中核施設として一村館で研究的な機能を向上していく施策を」と語り、西村氏は「美術館を主体とした研究的な全国巡回展や一村館による資料の収集」、山本氏は「データベースの構築」などを挙げた。
 大矢氏は「今この時でも遅いのではないか」と指摘した上で@スケッチ類、印鑑類の調査、落款の年代特定A調査研究の予算計上―などを挙げ、「生誕百年の来年こそ巡回展をするべき」と語った。

9月19日(水)付 

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喜界町が城久遺跡の一部を取得し、保存活用へ

 喜界町教育委員会はこのほど、古代・中世の遺物が相次いで出土し、脚光を浴びる城久遺跡群の発掘調査指導委員会を開き、遺跡の保存活用などで意見交換した。町は保存活用へ向け遺跡群の一部三千五百平方メートルの土地を取得した。
 同委員会は、発掘調査の方向性などについて専門家の指導を受けようと昨年九月発足した。委員は東京大学史料編纂所の石上英一教授、熊本大学の甲元眞之教授、ラ・サール高校の永山修一教諭、琉球大学の池田榮史教授、それに町文化財保護審議会の上原慶三郎、外内淳両氏の六人。
 町コミュニティーセンタで委員会があり、発掘調査に当たっている町教委の澄田直敏氏らが遺跡の取り扱いや概要、調査結果を説明。遺物の分類や膨大な遺構を今後、どのような形で保存活用していくべきか、などについて意見を交わした。
 同遺跡群は島中央部の城久集落を取り巻く山田中西、山田半田、半田口、小ハネ、前畑、大ウフ、赤連、半田の八遺跡の総称。二〇〇三年度から調査に着手し、現在半田口、大ウフ遺跡などの発掘を進めている。
 遺跡群の総面積は約十三万平方メートル、時代区分は九―十四世紀末。堀立柱建物跡約七十棟、火葬骨が納められた墓や土葬の墓など約二十基、中国や朝鮮半島産の陶磁器や東海地方の灰釉陶器などが出土し、中でも越州窯系青磁が注目されている。長崎産の滑石製石鍋やカムィヤキも大量に見つかっており、特徴は出土品の大部分が島外産であること。
 町は、この遺跡群の保存活用へ向け山田半田遺跡三千五百平方メートルを取得。春永清道教育長は「中世の喜界、奄美を知る貴重な財産。年度内に山田中西遺跡の報告書を刊行したい。専門家の意見を参考にしながら保存活用していきたい」と話す。

9月20日(木)付 

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龍郷町秋名でショチョガマ、平瀬マンカイ
 旧暦八月の初丙(ひのえ)に当たる十九日、龍郷町秋名に伝わる国の重要無形民俗文化財のアラセツ行事があった。奄美でも数少ない田園風景の広がる秋名集落で、琉球王朝支配下の時代から四百年以上続くと言われる稲作儀礼。未明には山の中腹で「ショチョガマ」、夕方には平瀬海岸で「平瀬マンカイ」が古式ゆかしく執り行われ、集落民たちは山と海の神々へ五穀豊穣(ほうじょう)を祈った。
 まだ夜のとばりに包まれた午前五時、田袋を見渡すショチョガマ(片屋根の小屋)で数人の男たちが祭りの始まりを告げるチヂンを打ち出した。続いて神役のグジが祭しを唱えて豊作を祈願。日の出前には約七十人の男衆が「ユラ、メラ」の掛け声に合わせて屋根を左右に揺さぶり、勢いよく北側へ崩れ落ちると見物客から歓声が上がった。
 本来は南側に倒すとされるが、二年連続で反対方向へ倒れるハプニングに関係者は苦笑いを浮かべていた。
 午後四時すぎには女性が主役の「平瀬マンカイ」。「神平瀬」「メラベ平瀬」と呼ばれる岩上にそれぞれノロ五人、男女の神役七人が立ち、歌を掛け合い悠長な手踊りを繰り返して海のかなたの神々へ豊作を祈った。浜では集落民たちが料理を囲み、焼酎を酌み交わしながらにぎやかな宴(えん)を繰り広げた。
 アラセツ行事は戦時中に一時途絶えたが、その後復活して一九六〇年に保存会(隈元吉宗会長)が発足した。

与論町で「十五夜踊」の大綱作り

 与論町に伝わる「与論十五夜踊」を九日後に控えた十六日、同町の琴平会城老人会(赤崎多紀郎会長)は祭りで使う大綱を作った。子供からお年寄りまで約五十人が協力し、伝統行事に欠かせない綱を完成させた。
 十五夜踊は国の重要無形民俗文化財。旧暦三月、八月、十月の各十五日の豊年祭で奉納し、無病息災などを祈願する。綱は旧暦八月の十五夜踊に合わせて毎年新調している。踊りの継承とともに後継者育成が指摘され、老人会が青壮年団や子供会に技術を教えてきた。
 今年も町内各地からわらを集め、鳥居のしめ縄と綱引きで使う二十五メートルの大綱を作った。綱引きは踊りの後に行い、勝者の方角が豊作に恵まれると伝えられている。
 豊年祭は二十五日午後三時から地主神社で行われる。赤崎会長(72)は「伝統行事を守るためには綱作りも重要。子供のころから親しんでほしい」と話した。

9月21日(金)付 

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自衛隊ヘリ墜落で慰霊碑建立へ

 勇敢な隊員たちに慰霊碑の建立を―。徳之島町山集落近くの天城岳の山中に陸上自衛隊第一混成団(沖縄・那覇駐屯地)一〇一飛行隊のCHe型輸送ヘリコプターが墜落、搭乗していた機長の建村善知(たてむら・よしとも)三等陸佐=当時、徳之島町出身=ら隊員四人が死亡した事故に関連し、地元徳之島三町の行政や民間団体などが実行委員会を組織し、四人の功績を後世に伝えるため慰霊碑の建立などを計画している。十月三日に初会合を開き、慰霊碑の建立計画や慰霊祭までのスケジュールなどについて協議する。
 実行委員会の名称は自衛隊ヘリコプター殉職者慰霊碑建立委員会。徳之島三町の行政や、観光、商工関係の団体など総勢百六十五人の委員が参加する予定。会長に高岡秀規町長、副会長に大久幸助天城町長と大久保明伊仙町長、三町の議会議長など五人。地元選出の国会議員や県議会議員も顧問などとして参加する予定。
 十月三日の初会合で詳細は決定するが、事務局となる徳之島町企画課によると、事故が発生した三月三十日に合わせて慰霊祭を実施。慰霊碑建立も含め予算は千二百万円を見込んでおり、募金も呼び掛けていく方針。
 慰霊碑の建立場所については、登山口にするか事故現場とするか遺族や設計者らの意見を聞いて判断していくという。
 事故は三月三十日午後十一時すぎに発生。県知事からの災害派遣要請(救急患者空輸)を受け、ヘリは同九時四十九分に那覇飛行場を離陸し同十時四十五分ごろ、患者収容点である徳之島町総合運動公園に着陸しようとしたが、天候不良で着陸できず、徳之島空港に向かう途中の同十一時六分ごろ、天城岳東側の山頂付近に衝突、炎上した。

奄美市笠利町の崎原で伝統行事「ヤサガシ」

 ○…旧暦八月に入り、奄美各地では八月踊りが繰り広げられている。奄美市笠利町の崎原地区(別府良美区長、四十三世帯百十二人)では、アラセツ(新節)を迎えた十九日、同地区伝統の「ヤサガシ」が行われ、太鼓と三味線、掛け合いする男女の歌声が深夜まで響いた。
 ○…同地区では二十日とシバサシの二十五、二十六日の四日間行われ、地区内の全家庭を回る。「昔ながらの決まりを守っているのが自慢」と別府区長。この日のために都会から帰省した出身者や同区以外からも子や孫らが駆け付けて各家庭を回りながら、五穀豊穣(ほうじょう)などを祈った。
 ○…迎える家庭ではさまざまな料理を用意し、踊り手たちに振る舞った。八月踊りとともに寄付を募る「種おろし」も同時に行われ、「○○様より集落に一万両」などと花(祝い金)の口上に続き、、九十一歳になる萩原忠重さんが六調太鼓をたたき始めると、住民らは次々と自慢の手踊りを披露。別府区長は「伝統を守るのは大変だが、何とか続けていきたい」と話した。
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