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| 県大島支庁は二十八日、二〇〇七年上半期(一―六月)の群島観光客数を発表した。入り込み客数から群島民の移動人数を差し引いた島別入り込み観光客(ビジネス客を含んだ推計)は、奄美全体は前年同期比で千九百四十七人(0・8%)減の二十四万五千六百二十一人で、徳之島以外はすべて減少した。 島別では、奄美大島が十四万四千二百七人(前年同期比1・6%減)、喜界島が一万二千二百十五人(同3・3%減)、沖永良部島が二万六千六十八人(同2・5%減)、与論島が一万八千九百九十人(同1・3%減)といずれも減少。徳之島はやや増加して四万四千百四十一人(同3・8%)だった。 減少要因について、担当者は「抜港や欠航のほか、大型観光船の入港がなかったことやゴールデンウイークの日数が昨年よりも少なかったことなどさまざまな要因が重なった」とした。 〇七年上半期に群島外から群島に入ってきた人数でとらえる入り込み客(全実数)は三十四万九千百十二人で(前年同期比2・1%減)。移動手段別では、海路が十一万九千五百四十五人、空路が二十二万九千五百六十七人で共に前年同期比2・1%の減だった。 |
農林水産省が募っている「農山漁村の郷土料理百選」の中間結果が出た。インターネットによる人気投票の結果、二十日現在、奄美の代表的郷土料理「鶏飯」が全国で十三位につけている。県内ではトップに躍り出た。投票は十月十日まで。あなたの一票で鶏飯が全国区になる可能性がある。「百選」は全国各地に伝わる郷土料理のうち、農山漁村で脈々と受け継がれ、「食べてみたい! 食べさせたい! ふるさとの味」として国民に支持される料理を選出する。十二月中旬に百選を決定する。 中間結果をみると、トップは秋田の「きりたんぽ鍋」、二位は馬刺し(熊本)、三位はいも煮(山形)。四位は海軍カレー(神奈川)、五位はブリのあつめし(大分)。沖縄のソーキソバは六位に食い込み、鶏飯は十三位につけた。 鹿児島からのエントリーは鶏飯のほか、かるかん、きびなご料理、かつおのビンタ料理など二十二点。鶏飯は「素朴な料理に見えながらも。パパイヤの漬物や島みかんの薬味など、南国ならではの味付けが加えられ、南の島の味を感じさせてくれる」とアピールしている。 鶏飯が健闘していることについて市橋保彦副知事は「奄美を全国にPRすることになり、喜ばしい。鶏飯はおいしくて、私も大好き」と話した。 インターネットの投票は財団法人・農村開発企画委員会のホームページで受け付けている。アドレスはhttp://www.rdpc.or.jp/kyoudoryouri100/ |
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〇…日中の最高気温はまだ三〇度を超えるものの、朝夕は秋の気配を感じるようになった奄美地方。野山では初秋の訪れを告げるようにハシカンボクが開花し、かれんな花びらを風に揺らしている。〇…ノボタン科の常緑低木。林縁などで見られ、九州南部から沖縄にかけて分布する。花の直径は一・五センチほどで、淡い紫色だが白色も混じる。森林伐採や林道開発などから県は絶滅の恐れがある準危ぐ種に指定している。 |
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| 県企画部は二十六日、推計人口調査結果(九月一日現在)を発表した。県全体の推計人口は百七十三万二千百六人(男八十万八千四百六十二人、女九十二万三千六百四十四人)で、前年同月と比べ一万一千二百三十二人減少した。奄美は十二万三千二十八人(男五万八千四百三十六人、六万四千五百九十二人)で、前年同月より百八十四人減少した。龍郷町だけ増えている。 県全体の世帯数は七十三万二千六百九十二世帯で、前年同月と比べ二千七百三十三世帯増加した。八月中の人口動態は、自然動態が二百五十四人の減、社会動態は百四十三人の増。 奄美の世帯数は五万二千七百六十二世帯で、前年同月より九十九世帯の減。人口動態は、自然動態が六十九人、社会動態が八十一人の各減となった。 |
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島唄と西洋楽器の共演は今では珍しいことではないが、半世紀前に米国のバイオリン奏者と共演した唄者がいる。文英吉さん(一八九〇―一九五七年)で、共演者はチャールス・ハイドンさん。当時、ハイドンさんが書いた「舟ぬそとども節」(よいすら節)のピアノ伴奏用の楽譜や公演の様子を撮影した写真が残っている。楽譜を所蔵しているのは文英吉さんの二男・秀人さん(65)=奄美市名瀬井根町=。「奄美大島民謡大観」の著者で唄者としても知られた英吉さんの膨大な遺品の中に、ハイドンさんから長男・紀雄さんに届いた手紙と楽譜、それに公演の写真があった。 文英吉さんは奄美市名瀬大熊出身のジャーナリストで一九三三年に「奄美大島民謡大観」を発刊、戦後は臨時北部南西諸島政庁、奄美博物館に勤務、奄美図書館長、奄美日米文化会館館長などを務めた。ハイドンさんについては、なぜ奄美に来たのか、など詳しいことは分かっていない。 二人の共演は、ハイドンさんの手紙の文面などから推察すると一九五四年の初頭、奄美市名瀬井根町にあった奄美琉米文化会館ホールで開催されたものらしい。演奏曲は「舟ぬそとども節」の楽譜が残っていることから同曲など披露したものと思われる。 公演の写真を見ると、会場は観客であふれんばかり。後日、ハイドンさんから紀雄さんに手紙が届き、「演奏会で最も大衆的だったのは民謡の演奏でした。貴君の父上は三味線でこれらの民謡の伴奏をしてくれました」と、公演の様子を記している。 ハイドンさんは島唄との共演に強い印象を受けた様子で、帰国の船上で「舟ぬそとども節」の楽譜を書き上げ、「奄美民謡を西洋風の伴奏符で書けるかという一つの試み以上のものではありません。この伴奏符はピアノ、オルガン、または弦楽四重奏でも弾けます」と紀雄さんに贈っている。 島唄について「奄美の民謡は非常に興味深く、特に西洋音楽を勉強している人々にとって沖縄民謡よりずっとたやすく鑑賞しやすいと感じた」と印象を記し、「最も興味深いのは三味線と声調の対位法です。この対位法がどんな風に発達したかということについて御意見を伺いたいと思います。三味線伴奏法は一世紀前のそれと同じですか。または以前とは変化したという何かの証拠がありますか」と、裏声と三味線奏法に関心を示している。 さらに「貴地の民謡のようなペンタトニック(五音階)音楽はずっと以前に西洋に存在していました。一九〇〇年以後、幾らかの作曲家(印象派のドビュッシーやラベルなど)はそのような音楽を作風の中に取り入れる実験を始めた」などと記している。 秀人さんによると、復帰前後、英吉さんが唄・三味線、紀雄さんがバイオリン、秀人さんがハーモニカを担当し親子三人で福祉施設を慰問するなど島唄と西洋楽器との融合に積極的だったという。「島唄を多くの人に聞いてもらいたいと思っていたのではないか」と話す。 |
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○…喜界島が北限で「南の島の貴婦人」の形容もあるチョウのオオゴマダラ。発生のピークはすぎているものの、今でも各地の民家庭先などで食草のホウライカガミにぶら下がった黄金色のさなぎや飛び交う成虫が見られる。○…年中、産卵、幼虫、さなぎ、成虫の各段階が見られる。チョウの愛好家は「幼虫は鳥害をど受けないと言われてきた。しかし、今年、多数 いた幼虫が一挙にいなくなり、鳥害の場面を見たとの情報もある。調査する必要があるかもしれない」と話した。○…オオゴマダラは以前は沖縄以南にしかいなかったが、喜界島では一九七一年ごろ初めて発見され、定着したという。喜界町の保護チョウになっている。 |
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| (財)かごしま産業支援センターは一日、二〇〇七年度かごしま起業家応援プログラム助成対象者を発表した。奄美市の発酵飲料製造・販売会社渇tのしずく(安田トシエ代表)など三社に対し、計千五百万円助成する。 創造性・新規性のある技術やアイデアを基に県内で起業化を図ろうというチャレンジャーを応援する制度。二〇〇二年度に創設され、採択事業は〇七年度分を含め十三件になった。全国公募制で、〇七年度は十八件の応募があり、事業可能性評価委員会で絞り込んだ。 奄美のしずく社は、奄美大島の天然植物やかんきつ類のエキスを抽出し、発酵熟成させた飲料「奄美のしずく」を製造・販売している。同制度で奄美の事業所が助成対象となったのは〇五年度の南西デジテック(奄美市)に次いで二例目。 |
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| 本場奄美大島紬協同組合(赤崎拓郎理事長)のまとめによると、九月の大島紬の生産反数は千四百六十三反で、前年同月に比べ五百六十九反(28・0%)減少した。男物は42・6%減と大きく落ち込み、女物も24・6%減少した。 九月の生産反数を経(たて)糸の密度で表す算(よみ)別でみると、十五・五算は千九十五反、十三算は三百六十八反。前年同月比で十五・五算は27・3%減、十三算は29・9%減となった。 染色別では主力の泥が八百七十二反で前年同月比27・1%減。化染は五百六反で33・4%減、草木泥は十四反増の五十三反、泥アイは五反減って三十二反だった。 製品の男女別では男物が二百十八反、女物は千二百四十五反。男物は百六十二反減、女物は四百七反減となった。 不合格は十点で不合格率は0・68%。内訳は尺不足、絣(かすり)不ぞろい、傷、汚れ各二点などだった。 |
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南アジアに分布し、ソテツの若葉を餌とするクロマダラソテツシジミが九月に入り沖永良部島で見つかった。専門家によると、今年に入って奄美各島で初確認が相次いでいる。沖永良部島ではソテツの葉を食べる幼虫や成虫が和泊町などで見つかり、関係者を驚かせている。鹿児島昆虫同好会の福田晴夫会長によると、クロマダラソテツシジミは本来日本に生息せず、迷チョウの飛来も沖縄県が北限。今年に入り奄美大島や徳之島、県本土で迷チョウが初めて確認され、石垣島では食害が問題化しているという。 沖永良部島で見つかったのは九月二十日ごろ。発見個所は和泊町国頭から知名町田皆まで広範囲に及ぶ。一部では大量の卵と幼虫がソテツの若葉に付着しているほか、付近を飛び交う成虫の姿が見られる。 和泊町は専門機関に鑑定を依頼したが、ソテツが枯れる可能性は低く、今のところ被害が深刻化していないため駆除は実施しない考えだ。福田会長は「沖縄県南部の発生地から風に乗って飛来してきたのではないか。繁殖は食草に左右されるため、越冬するかどうかは予測できない」と話している。 |
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| 県内男性最高齢の嶺島峰永(みねしま・みねえい)さんが二日午前十時十九分、老衰のため与論町茶花の自宅で死去した。百九歳だった。 嶺島さんは与論町生まれ。県内の男性最高齢は伊仙町の前河正永さん(百五歳)となり、最高齢は曽於市の別府チカヲさん(百十歳)。 |
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| 第62回国民体育大会「秋田わか杉国体」は3日、秋田県各地であり、成年男子A個人に出場した栄雄誠(大栄興建、奄美市笠利町)が準々決勝で敗れ、8強に終わった。禧久幸太(瀬戸内町役場)、栄が出場した同A団体は予選2勝1敗で並んだ鳥取と同点決勝で敗れ、決勝トーナメント進出はならなかった。 ○相撲○ (2―3日、潟上市天王総合体育館) 【成年男子A】〈団体〉▽予選リンク 鹿児島3―0宮崎、鹿児島2―1三重、青森2―1鹿児島▽同同点決勝 鳥取2―0鹿児島 〈個人〉▽決勝トーナメント2回戦 栄雄誠(鹿児島・大栄興建)=つきだし=石前辰徳(鳥取・鳥取県体協)▽準々決勝 宮本泰成(兵庫・日体大)=おしだし=栄 |
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奄美の婦人会活動の先駆者で二〇〇五年五月、九十四歳で死去した村上春子さんの「追想録」がこのほど完成し、三日、制作に携った奄美市名瀬の女性たちがあかざき公園内の「村上春子女史顕彰碑」を訪れ、追想録刊行を報告した。村上さんは瀬戸内町節子の出身。太平洋戦争で夫と子供を亡くし、満州から旧名瀬市へ引き揚げ、戦争未亡人の救済や婦人会設立、復帰運動、母子寮や金久保育所の設置、遺族会館建設に奔走するなど婦人福祉活動に足跡を残した。 当時の婦人会役員や母子会関係者らが中心になって村上さんの顕彰碑建立を計画、島内外から多くの浄財が寄せられ昨年あかざき公園の第二駐車場の一角に碑が完成した。 追想録は村上さんから母子会長を引き継いだ恒吉佳子さん(79)=奄美市名瀬=を実行委員長に刊行準備を進めてきた。村上さんの写真や年譜、顕彰碑建立の資料のほか、遺族や栄田スミさんら二十数人が思い出を記している。復帰二十五周年奄婦連記念誌(一九七九年)に掲載された「分離中の婦人会活動」と題した村上さんの原稿も収録している。 村上さんを知る女性ら十人が顕彰碑前に集まり、碑周囲を清掃した後、追想録完成を報告した。 |
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○…奄美群島では瀬戸内町の加計呂麻島と請島にしか見られないキキョウ。花期も終わりに近づいた九月末、加計呂麻島の道路脇に、ひっそりと花を咲かせていた。○…山野の日当たりの良い草地などで育つキキョウ科の多年草。沖縄を除く日本全国に分布するが、園芸採取、草地開発などで減少し、絶滅危惧(きぐ)種に選定されている。 ○…太い黄白色の根は地中深く伸び、葉は長卵形で縁にはギザギザがある。花径は四―五センチで花色は青紫、淡紫、白のものがあり、秋の七草の一つとして知られている。 |
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