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12月1日(土)付 

奄美のキビ生産見込み44万5千トン
県大島支庁農林課が発表した奄美群島の二〇〇七年産(〇七―〇八年期)のサトウキビ生産見込み(十一月一日現在)によると、分みつ、含みつ糖合わせた奄美全体の生産量は四十四万五千八百八十二トン。収穫面積は六千九百六十一ヘクタールで前年比3%増。生産量は収穫面積の増加や気象条件にも恵まれて前年比五万百四十二トン、13%の増。六年ぶりに四十万トンの大台を回復する見通しだ。〇六年に策定した増産プロジェクトについても与論を除く四島が達成できそう。
 島別の生産見込みをみると、奄美大島が三万七千三百九十一トン、喜界は八万四千四百四十三トン、徳之島は二十三万三千二百八トン、沖永良部は六万二千三百三十トン、与論は二万八千二百十トン。各島とも前年を上回る見通しだ。
 単収(十アール当たり収量)は平均六・四〇五トン。奄美大島は六・〇一一トン、喜界島は七・三九四トン、徳之島は六・三二五トン、沖永良部は六・〇九九トントン、与論は五・八二九トン。各島とも前年を上回っている。
 生産増の要因は(1)株出しを中心とした収穫面積の増(2)株出しなど適期管理の普及(3)単収増―など。
富貴蘭が狂い咲き
 高貴な姿かたちと香りの良い花で親しまれる富貴蘭。通常は初夏に開花するが、奄美市名瀬の民家で五鉢が狂い咲きし、愛好家を驚かせている。
 日本特産のフウランの変異品種。古くは江戸時代十一代将軍、徳川家斎が愛好したとして知られ、種類は数百種に上ると言われる。
 約百鉢を栽培する富川賢一郎さん(57)宅では三週間ほど前から西出都、花衣、朱天王、天恵覆輪、黄金錦の五種類が次々と開花した。「二十年前から育てているが狂い咲きは初めて」と首をかしげる。
 六月の開花時期よりやや小ぶりに咲いているものの、夜のとばりに包まれるころには独特の甘い香りを放つ。師走へと慌ただしく移りゆくこの時期、ほっと心和ませてくれる白くかれんな花はもうしばらく楽しめそうだ。

12月2日(日)付 

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武蔵野美術大学の学生やOBが奄美市で巡回

 武蔵野美術大学(本部・東京都小平市)の「第二十四回む展 奄美巡回展」(十六日まで)と「トゥデイズ・アート・テキスタイル展」(十四日まで)が一日、それぞれ奄美市名瀬の奄美文化センターと同市笠利町の県奄美パーク田中一村記念美術館で始まった。秋深まる奄美大島を舞台に、全国の多彩な芸術家によるアートの世界が繰り広げられている。
 同大学と卒業生組織「校友会」主催の地域フォーラム「アート&デザイン 奄美・自然からの恵み」(二日、奄美パーク)の関連事業。十一月二十一日の砂像制作を皮切りに現役学生による泥染めワークショップから今回の二美術展開幕と続く。
 「む展」は主催する校友会鹿児島支部を中心に沖縄、宮崎、横浜各支部メンバー、地元作家ら五十八人の作品約百三十点を展示した。奄美初開催とあって通常より出品数が多く、絵画、デザイン、写真、染め物、立体と種類も多彩だ。
 今年の南日本美術展で海老原賞に輝いた宮薗広幸さんの彫刻や俳優榎木孝明さんの絵画など感性豊かなハイレベルの作品を堪能でき、地元からは奄美市名瀬の交友会会員、久保井博彦実行委員長の500号の大作も目を引く。
 開催に合わせ甲田洋二学長はじめ約百二十人が来島した。オープニングセレモニーで久保井実行委員長は「個性ある作品群を一堂に鑑賞できることは奄美の愛好家や子供たちに大いなる刺激と夢を与える。来島者との出会いは忘れられない思い出になるだろう」と感謝した。
 また、同大の田中秀穂教授やOB、韓国、中国の作家ら二十人が参加した「アート・テキスタイル展」では織物を用いたオブジェなどの作品を紹介している。

宇検村河内川でリュウキュウアユ保護活動

 「島の宝ヤジ(リュウキュウアユ)をみんなで育てよう」をテーマにした勉強会と産卵床づくりが一日、宇検村河内川などであった。参加者らはアユの生態などを学んだ後、石を組んで溝を作ったほか、鋤(すき)などで川床をならしながら、リュウキュウアユの産卵に適した環境を作り上げた。
 同イベントは同村子ども会育成連絡協議会主催で、二〇〇七年度宇検村文化財ウオッチングの一環。子供たちに自然環境への意識を高めてもらおうと昨年に引き続き行われ、村内の児童生徒や保護者などが参加した。
 勉強会では、あまみヤジの会や奄美リュウキュウアユ保全研究会のメンバーらが生態などについて説明。産卵場への土砂流入や水温の冷却機能を持つ干潟の消滅など、アユが減少している要因について指摘があったほか、住用村に比べて宇検村の個体数の減少が激しいことや二つの地域のアユの遺伝子が異なること、アユがすめる自然環境再生の必要性などが説明された。
 河内川中流付近で行われたイベントでは、アユの産卵に適した環境について説明があった後、参加者達は用意された道具などを手に川に入り作業を始めた。大人たちが石を組んで川の流れを止め、子供たちが川床を鋤などを使ってやわらかくすると、川の中にアユの産卵に適した環境が作られた。
 参加した子供たちは「川の中は少し寒かった。アユがいっぱい増えてほしい」などと話した。

12月3日(月)付 

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南海さわやかジョギングに230人出場

 第四回南海さわやかジョギング大会(南海日日新聞社主催)は二日、奄美市名瀬運動公園クロスカントリーコースであった。小学生から一般まで過去最多の二百三十人が参加。晴天の下、家族や友人らと思い思いのペースで走り抜き、心地よい汗を流した。
 大会はスポーツへの関心を高め、健康増進を図ることなどが目的。二キロ、三キロ、五キロ、八キロの四種目があり、参加者らはそれぞれの目的に合った種目を選択した。自己記録に挑戦する選手、親子や友人との会話を楽しむ選手など思いはさまざま。すべてのランナーが完走の喜びを感じた。

奄美大島相撲選手権大会で1部は栄が6連覇

  第12回奄美大島相撲選手権大会(県相撲連盟大島支部主催)は2日、奄美市住用町の奄美体験交流館土俵であり、最強の一般1部は栄雄誠(笠利町)がトーナメントを制し、前人未踏の6連覇で横綱に就いた。大会は未就学児から学年ごとにそれぞれ個人戦で競った。今大会から女子の部もあり、男子顔負けの取組に会場が沸いた。
 大会には奄美各地から約200人が出場し、16部門で好取組を演じた。会場には保護者や指導者、一般の相撲ファンが大勢訪れ、豆力士や社会人の白熱した勝負に声援を送っていた。
 6連覇の偉業を達成した栄(35)は「喜びはあるが、体の衰えも感じる」と苦笑い。決勝は相撲のいろはを教えた後輩・大山隆盛との一番で「回しを取られ自分の形ではなかった」と苦戦を振り返り「最後に(回しが)切れたので一気に出た」との策が功を奏した。「来週(9日)は全日本選手権。勝負勘を取り戻す大会にできた」と気合十分に話した。

奄美大島産の農産物にクロウサギのロゴマーク

 奄美大島産の農産物を「長寿野菜」と位置付け、内外へアピールしている奄美市は二日、農産物に添付するロゴマークを発表した。アマミノクロウサギが地場産野菜を担いで売り歩く、奄美大島ならではのかわいいデザインだ。野菜を入れるビニール袋やシールに使用する。
 お披露目は奄美市地方卸売市場の「野菜の日」イベントの中で行われた。デザインを発案したのは上野和夫さん(奄美市職員)。野菜かごを背負ったクロウサギが「わきゃ島ぬ野菜! 新鮮! 健康!」とアピールしている。赤近善治産業振興部長がデザイン公募の趣旨を説明し、上野さんに賞状を手渡した。
 マークは七月に公募を開始、十月に決定した。安心安全な奄美大島産をアピールするため使用する。葉野菜を入れる袋、トマトなどのパック類、果実用のシールなどを製作。名瀬中央青果やJAあまみ各支所、直売所などで取り扱う予定。
 奄美市農林振興課は「年明け後、なるべく早い時期に作る。農家が使いやすい価格を設定したい」と話している。販売開始とともに広報紙でPRする。

県奄美パークで武蔵野美大地域フォーラム

 武蔵野美術大学(本部・東京都小平市)と卒業生組織校友会共催の地域フォーラム「アート&デザイン2007鹿児島」は二日、奄美市笠利町の県県奄美パークであった。「奄美・自然からの恵み」をテーマに座談会もあり、同大OBのCMディレクター中島信也さん(東北新社取締役)らが奄美文化の背景や奄美の魅力について語り合った。奄美を売り出す切り口を問われた中島さんは「美しさだけではなく、自然との付き合い方が他と違う。奄美のためというより、日本人のこれからの生活のヒントがあるのではないか」と話した。
 地域フォーラムは一九九五年から全国で巡回開催されている。開会あいさつで甲田洋二学長は「時代の突破口を一ミリでも二ミリでも開けるためにアートはエネルギーを最大限発揮しなければならない。太り過ぎた人間の力をどう自然にお返しするか、そのヒントを奄美で感じている」と奄美フォーラムの意義を強調した。
 座談会には奄美パーク園長の宮崎緑さん、中島さん、唄者の中村瑞希さん、奄美博物館副館長の中山清美さんの四人が参加。中島さんが制作した主なCM作品の紹介を受けて、奄美を語ったり見たりする切り口を出し合った。
 中山さんは奄美の歴史の特徴、宮崎さんは奄美の島々の微妙に異なる言葉や文化のグラデーション、中村さんは島唄をはじめとする伝統文化の感性などを紹介。これらの発言を参考に中島さんは「泥染めに見られるように、にじんでいって美しいものが出てくる」「ぼかしの文化」「北でも南でもない奄美」「確信めいたものを押し付けない」などと奄美の印象を語った。

12月4日(火)付 

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奄美の11月推計人口は12万3023人

 県企画部は二十九日、推計人口調査結果(十一月一日現在)を発表した。県全体の推計人口は百七十三万一千四百五十三人(男八十万八千二百九十六人、女九十二万三千百五十七人)で、前年同月と比べ一万一千三百六十六人減少した。奄美は十二万三千二十三人(男五万八千四百六十二人、女六万四千五百六十一人)で、前年同月より千七百五十二人減少した。龍郷町のみ増えている。
 県全体の世帯数は七十三万三百八十三世帯で、前年同月と比べ二千九百十八世帯増加した。十月中の人口動態は、自然動態が二百十人の減少、社会動態は二十四人の増加。
 奄美の世帯数は五万二千八百十六世帯で、前年同月より八十九世帯の減。人口動態は、自然動態が四十人の減、社会動態は十三人の増となった。

知名町「瀬利覚芸能祭」で獅子舞やヤッコ踊りなど披露

 伝統芸能の宝庫といわれる知名町瀬利覚(西田治利区長、三百五十戸)の住民が企画した初の「瀬利覚字芸能祭」が二日夜、あしびの郷・ちなであった。町指定無形民俗文化財の獅子舞や民謡、ヤッコ踊りなど集落が誇る十二の芸能を披露。客席を埋めた観客は見応えたっぷりのステージを堪能した。
 婦人会の琉球舞踊「御前風」でオープニング。西田区長のあいさつを挟んで子供三味線クラブの民謡やはまゆう会の舞踊が続いた。青壮年団はおなじみの瀬利覚ヤッコを披露し、老人会も豊年踊で稲作の光景を再現した。
 幕あいには知名中学校三年生の瀬島早紀さんが地域の歩みを振り返った。集落のシンボル「ジッキョヌホー」(瀬利覚の川)の変遷や昭和五十年代の水田地帯、全国消防操法大会四位入賞などの写真を映し、往時をしのんだ。
 トリを飾ったのは四百年以上踊り継がれている獅子舞。芭蕉から作る長い毛が特徴で二〇〇一年、三十年ぶりに住民総出で作り替えた。現在は保存会(藤崎健一会長)を中心に後継者を育てている。
 「獅子がもーた、もーたー」の呼び出しで演目が始まり、豪快な演舞を披露した。客席を走り回るパフォーマンスが出ると、ひときわ大きな歓声が上がった。三線の名手・福山利明さん(73)は「この日のために住民が心を一つに頑張った。素人ならではの味のある芸能を楽しんでもらえたのではないか」と話していた。

瀬戸内町ごみ処理場建設訴訟で最高裁が反対派住民の上告棄却

 瀬戸内町が同町網野子に計画していた一般廃棄物処理施設(ごみ処理場)をめぐり、建設に反対する住民らが町を相手取り工事差し止めなどを求めた訴訟の上告審で、最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は三日までに、住民側の上告を退ける決定をした。最高裁は、憲法解釈の誤りなどの上告事由には該当しないと判断した。住民勝訴とした鹿児島地裁名瀬支部判決を取り消し、住民側の訴えを退ける逆転判決を言い渡した二審の判決が確定することとなる。
 原告の反対派住民は二〇〇六年五月、住民側勝訴とした一審判決を取り消し、建設差し止め請求を棄却した福岡高裁宮崎支部の控訴審判決を批判して最高裁へ上告。原告代理人が最高裁あて上告状を同高裁宮崎支部へ郵送していた。
 主な争点は@土地が網野子住民の共有の性質を有する入会地であるか否かA入会地であるとすれば、その土地を貸し付ける場合に全員の同意を必要とするか、多数決でよいかB全員の同意が必要であるならば、貸付契約の締結に全員が同意したか否か―などであった。
 鹿児島地裁名瀬支部は両当事者尋問の後、〇四年二月二十日に町と住民代表が結んだ計画地の賃貸契約について「入会地の処分には集落民全員の同意が必要」と述べ、町側へ建設差し止めを命じていた。
 一方、〇六年四月二十八日の福岡高裁宮崎支部は「個々の集落民は入会地の使用、収益権利を有するだけで、入会地の管理・処分権は集落を通じてのみ行使できる」と指摘。集落総会の多数決に基づく町と集落の計画地賃貸契約を適法と結論付け、町側勝訴の逆転判決を言い渡していた。
 最高裁が原告側の上告棄却を決定したことについて、住民の一人は「昔からの山を公害から守るために訴訟を起こした。長い間裁判を続けてきたが、棄却されたのは残念だ」などと語った。

12月5日(水)付 

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奄美大島3カ所でスジアラの稚魚放流

 県水産技術開発センター(指宿市)は四日、奄美大島内の三カ所でスジアラの稚魚約一万四千五百匹を放流した。追跡調査などをして資源の状況を把握し、放流効果などを調べる。笠利湾内であった放流作業では奄美漁協の組合員らが参加して、稚魚を放流した。
 今回放流されたのは奄美市笠利町喜瀬沖と瀬戸内町嘉鉄沖、宇検村名柄沖の三カ所。今年度は同センターがスジアラの人工種苗の量産に成功。前年度実績の二十八倍となる約四万匹を生産したため、これまでの約十倍となる一万四千五百匹の放流が可能となった。
 スジアラは国内では奄美群島から沖縄にかけて多く生息し、七キロほどまで成長する。奄美では「ハージン」などと呼ばれる高級魚。同センターや県栽培漁業協会などが群島内で地域資源保全や栽培漁業推進の一環で放流している。
 笠利湾内であった放流作業は同センターや県大島支庁商工水産課、奄美漁協の職員らが参加。喜瀬漁港から漁船で水深一―二メートルの湾内に運び、ヤガラやミノカサゴといった外敵から身を守れるようにブロックなどを組み合わせて作った魚礁の近くに放った。
 放流したスジアラは腹びれの片方を切り取っており、確認できるという。奄美漁協では「これまでにない大量の放流で期待ができる」などと話した。

宮城県から送られた奄美の島豚「キシウワー」試食会開く

  宮城県で飼育された奄美の島豚を味わおうと、このほど奄美市名瀬の小料理店で「宮城キシウワー(喜瀬豚)の奄美帰省を喜ぶ会」があり、マスコミ関係者らが鍋料理に舌鼓を打った。出席者は「うまい」と絶賛しながら地元で消えてしまった食文化を惜しんでいた。
 企画したのは、奄美市のジャーナリスト原井一郎さん。原井さんが十一月中旬、奄美の島豚関係の取材で宮城県を訪れた際、島豚の販売を手掛ける石巻市の精肉卸「リャンド・マツウラ」の松浦長三郎社長から「奄美の人々に宮城の島豚を食べてもらいたい」と言われ、その後豚肉が送られてきたのがきっかけ。
 原井さんは友人らに声を掛け、「―喜ぶ会」には六人が参加した。料理店主が腕をふるい三枚肉やロースを水炊きにして提供したが、出席者は一様においしい味に驚いた様子。島豚の歴史に詳しく、自ら飼育にもかかわったという男性は「感無量、キシウワーの子孫が伝えられていること自体、奇跡に近い」と感慨深げだった。
 原井さんによると、キシウワーの生産を手掛けるのは仙台黒豚会の六業者。昭和五十年代初めに奄美市名瀬から取り寄せて島豚を飼育していた埼玉県の畜産農家から譲り受け、繁殖に取り組んでいる。既に五百頭を飼うまでになっている。
 出荷前の三カ月間、シソ科のエゴマを与えて上品な味に仕上げている。「食材王国みやぎ」のヒトメボレ、牛タンと並ぶ目玉になっており、松浦社長は来春の同県の食材フェアでも「幻の島豚」が目玉になる、と期待しているという。
 生産者らはキシウワーの古里、奄美市笠利町喜瀬を訪ねてみたいと興味を示していたといい、原井さんは今後、仙台黒豚会との交流や取り寄せ販売などを検討していくことにしている。
 リャンド・マツウラ は電話0225・93・5101。ホームページはhttp://www.riyando.jp

12月6日(木)付 

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瀬戸内町加計呂麻島の呑之浦トンネルの貫通式行う
  瀬戸内町加計呂麻島の押角地区と呑之浦地区を結ぶ「呑之浦トンネル」(延長六百三十五メートル)の貫通式が五日、現地であった。二〇〇八年度内の供用開始を予定しており、完成すると同島では三本目で最長のトンネルとなる。
 貫通式には工事発注の県大島支庁、施工者の丸福・村上・伊東特定建設工事共同企業体、瀬戸内町の関係団体の代表らが出席。徳田毅衆議院議員(代読)や中野実県大島支庁長らのあいさつがあった発破式に続き、通り初めや鏡開きなどを行い貫通式を祝った。乾杯の音頭をとった房克臣瀬戸内町長は「安脚場実久線は加計呂麻島の重要な生活道路の役割を果たしている路線。立派なトンネルが完成することを祈念している」などと述べた。
 トンネル整備は島の基幹道路安脚場実久線の道路改築工事の一環。完成すると島中央部の押角、呑之浦両集落間の峠越えのあい路が解消され、両集落間の道路距離は約八百メートル短縮される。
 トンネルを含む事業延長は八百六十メートル。坑内は幅九・二五メートルで、車道幅は五・五メートル、片側に設けられる歩道の幅は二・〇メートル。
 同工区は〇三年度に事業着手。今年三月、トンネル掘削工事が始まった。県大島支庁瀬戸内事務所によると、〇八年度中の供用開始を目指してトンネル内の舗装や照明設備の取り付け工事などが進められる。
文英吉の遺稿集「奄美大島物語」増補版刊行へ
「奄美学の父」と呼ばれ、大著「奄美民謡大観」を著した文英吉氏(かざり・えいきち)=一八九〇―一九五七年=の遺稿集「奄美大島物語」(南方新社刊)の増補版が十二月下旬出版される。五七年の前著に未刊行の作品を加えて伝説の名著が復刻。民俗や歴史に関心のある人々にとって待望の本といえそうだ。
 「奄美大島物語」は文氏が収集した奄美の島唄、昔話、伝説を盛り込んだ一般向けの本。高い評価を受け、圧倒的な支持を集めたが、絶版になって長い年月が過ぎているため、現在では入手が困難。今年、没後五十周年を迎えるのに当たって未刊行の作品「野茶坊物語」「神父さん群像」を加えて増補版を出版することになった。
 文氏は奄美大島生まれ。大島税務署、大島支庁職員を経て「大島朝日新聞」編集長、奄美博物館主事などを歴任。戦後は奄美大島復帰協議会の副議長を務めた。ジャーナリスト、政治家としての顔を持つ奄美にとって重要な人物の一人だ。
 今、何よりも評価されているのが、民俗研究家としての業績だ。奄美各地の古老を訪ね、膨大な文献を収集して「奄美民謡大観」を著した。
 本書は五百七十ページ前後となる見通し。二十日まで先行予約を受け付ける。予約価格は二千九百円(税込み)。問い合わせは奄美の各書店または南方新社TEL099・248・5455へ。
JICAの研修生らが奄美視察
 独立行政法人国際協力機構(JICA)の青年研修生が二十日、奄美市役所を表敬訪問した。太平洋諸国の政府やNGO、WWFなどの環境保全担当者ら二十人が来島。二泊三日の日程で奄美の環境保護対策や自然を生かした観光事業などを視察する。
 開発途上国を対象にした青年研修事業の一環。環境教育NPO法人「くすの木自然館」(立山芳輝理事長、姶良郡姶良町)の研修プログラムに沿い、十一月二十九日から今月十二日まで県内各地を視察。世界自然遺産登録に向けた取り組みや持続可能なエコツアーの実状なども学んでほしいと奄美研修を盛り込んだ。
 大和村の奄美野生生物保護センター、金作原鳥獣保護区、住用町のマングローブパーク、龍郷町奄美自然観察の森を訪問するほか、市役所職員との意見交換を計画した。
 対応した朝山毅副市長は「自然保護と観光振興をはじめとした経済発展を両立させることが課題。保護の在り方や人と自然とのかかわりを学んでほしい」と激励した。研修生代表でパプアニューギニア環境保護省の技師、アンディ・ヘトラさんが「新しい冒険と経験ができると確信している。価値ある経験や教訓を国に持ち帰り、それぞれの国に合った最高のやり方で実践したい」と抱負を語った。

12月7日(金)付 

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5.72キロ筆頭にハージン3匹釣る

 龍郷町の柳原伸之介さん(37)=写真左=は十一月二十五日、瀬戸内町加計呂麻島の実久立神で自己最高の七六・七センチ、五・七二キロを含む三匹のハージン(スジアラ)を立て続けに上げた。「まるでワン(私)が来るのを待っていたよう」と最高の一日を振り返った。
 柳原さんはこの日、瀬渡し船で同ポイントに一人で降り、午前七時半ぐらいから釣り始めた。前の日に仕事で寝てなかったので、「今日のおかずを釣ったら寝よう」とあまり欲もなく、中物竿(さお)をセット。上物竿を準備しようと離れた途端にくだんの当たりがきた。
 興奮のあまりに眠気も吹き飛んだ柳原さんは自己最高サイズのハージンを難なくゲット。その後も投げるごとにハージンが食い付き、四投中三投でヒットというイチローもびっくりの高確率をマークした。
 「こんなことは二度とないからね」と友人らには冷やかされたが、魚が自分を呼んでいると感じた柳原さんは「あまり釣りには行かないようにしようと思ってたけど…」と再び意欲を燃やしていた。
 【柳原さんの仕掛け】▽竿 イシダイ竿▽道糸 30号▽ハリス ワイヤ26番▽餌 ムロアジの一匹掛け

喜界町の大ウフ遺跡から鍛冶炉跡20基以上発見

 喜界町教育委員会が城久遺跡群で進めている発掘調査で、城久集落の北側に位置する大ウフ遺跡から鉄器を作っていたとみられる鍛冶炉(かじろ)跡が見つかった。わずか二十メートル区画から二十基を超える膨大な量が発見されるのは南西諸島でもほとんど事例がない。製鉄を裏付ける遺物も多数確認されており、町教委生涯学習課埋蔵文化財係の澄田直敏氏は「鍛冶工房的な機能を果たしていたのでは」と推測する。また、土葬された成人の木棺からは副葬品が確認されるなど新発見が相次ぎ、中世の喜界島が果たした役割の解明に期待が掛かる。
 五日にあった教育文化講演会の報告会で澄田氏が明らかにした。大ウフ遺跡の時代区分は遺跡群の中心時期に当たる十一―十二世紀で、五月から十月にかけて約二千平方メートルの発掘調査が行われた。
 鍛冶炉跡は農具や武器の製作時に鉄を柔らかくする機能を持つ。精錬する際に使用する送風管「鞴(ふいご)の羽口」や製作の過程で出た鉄くずなども大量に出土している。
 隣接する前畑遺跡でも鍛冶炉跡は数基しか見つかっていないが、鞴の羽口などは大ウフ遺跡より多く確認されており、同様の性格を持っていたとされる。一方で完成品は未発見のため澄田氏は「何を作っていたのか、どこの技術者が作っていたのかは今後の検討課題」と語る。
 また、初出土した木棺のこん跡は周辺に帯(幅二センチ、長さ百四十センチ、横二十センチ)をめぐらせた長方形。専門家が人骨を分析した結果、永久歯が生え、すり減った跡もあることから成人と断定した。副葬品が子供の墓に納められた事例はあるものの、成人の墓では初めて確認された。
 内容は頭がい骨の周辺にカムィヤキの鉢、わんがそれぞれ一つ、首回りにガラス玉十五個ほど。ガラス玉はひもの繊維跡もあることから澄田氏は「首飾りのようなものだったのではないか」と推測している。
 このほか報告会では、小ハネ遺跡出土の墓のレプリカや半田遺跡の土器、石器の展示会を十二月下旬に町役場内で開くことも発表された。
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