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| 瀬戸内町加計呂麻島・呑之浦にある島尾敏雄文学碑記念公園にこのほど、島尾氏(一九八六年十一月死去)、ミホ夫人(二〇〇七年三月同)、長女のマヤさん(〇二年八月同)の墓碑が建立されることが明らかになった。文学碑を制作した同町池地出身の彫刻家・栄利秋氏が墓碑のデザイン、制作を担当。現在、文学碑後ろの樹木の伐採、周辺整備を行っており、二十二日までに墓碑を設置。二十六日には除幕式、納骨式が行われる。 墓碑は文学碑の後方に整地した高さ約七―八メートルの丘に設置される。丘からは墓碑、文学碑、海岸までの小道がほぼ直線上に伸び、その先には静かな入り江を臨むことができる。墓碑は父母と子供を表す二つの庵治(あじ)石を使用。父母の石に抱き合わせるように、子供の石が前に置かれ、納骨式ではくりぬいた父母の石の空洞部分に三人の遺骨が納められる。 島尾氏、ミホ夫人の思いが深い同地への墓碑建立は、長男伸三氏の意向と、ミホ夫人の生前の希望でもあり、墓碑制作実行委員会(徳永敬次委員長)が昨年十一月から準備を進めた。同実行委員会の澤佳男瀬戸内町立図書館・郷土館長は「島尾氏、ミホさんにとっては出会いの場であり、恋愛の昇華とともに死を覚悟した聖地でもある。この地に印になるものを造りたかった」と建立への思いを語った。 |
無歯科医状態が続いている瀬戸内町加計呂麻島に、神奈川県出身の薄井康裕さん(39)と埼玉県出身の砂織さん(36)の歯科医師夫妻が歯科医院を開業することになった。医院は、伊子茂集落の町道沿いにあり、名称は「かけろま薄井歯科」。オープンは四月一日で、島内唯一の歯科医院開業に住民らは一様に安心した様子。薄井夫妻は「一日も早く島の人間になれるよう努力したい。加計呂麻島を拠点に、将来的には請島や与路島にも出向いていきたい。島民のために精いっぱい頑張りたい」と意気込みを話している。二人は大学歯学部を卒業後、勤務先の東京医科歯科大学病院で知り合い結婚。都内の病院などで勤務を経た後、インターネットで奄美大島で歯科医師を募集していることを知り二〇〇四年に移住。その後、地域医療に専念したいとして、加計呂麻島での開業を決心したという。 医院には、薄井さんが持ち込んだレントゲン装置などの最新の機器を導入したほか、ドリルなどの機器類も整えた。「人生は一度きり。骨をうずめる覚悟で取り組んでいきたい」と薄井さん。五月に出産予定の砂織さんは「皆さんとじっくり話がしたい。お茶飲みや情報交換の場として気軽に足を運んでほしい」と話していた。 薄井さんは「医院開設と子どもの誕生。未知のことで期待と不安があるが、離島に暮らす人たちのために頑張りたい。たくさんの人に協力してもらい、感謝の気持ちでいっぱい。島の人と家族のように付き合っていきたい」としている。 金曜日は休診。診療時間は午前十時―午後一時、午後三時―午後八時。 |
二〇〇七年度伝統的工芸品産業功労者褒賞=(財)伝統的工芸品産業振興協会主催=の授与式は三日、東京都内であり、本場奄美大島紬関係で奄美市笠利町笠利の田中秋吉さん(90)=元本場奄美大島紬協同組合理事=が受賞した。田中さんは笠利生まれ。旧笠利町職員として紬振興に取り組む傍ら、半世紀にわたり紬製造にも従事した。図案、染色、締めまでこなす職人。産地活性化への尽力も認められて褒賞を受けた。 役場職員時代に地元の大島北高校や笠利中学校で紬の歴史や製造工程について講義したのも思い出の一つという田中さん。「紬に支えられての生活だった。これまでの取り組みが認められての褒賞という喜びと、機の音のする家が少なくなった寂しさが交錯している」とも話した。 |
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集団越冬するチョウとして知られるリュウキュウアサギマダラだが、喜界町では住宅地に近いネットで越冬を見ることができる。自然の樹木でなく、人工物で越冬する姿が話題になっている。集団越冬しているのは、湾からすぐのメンハナ公園にある縦十五メートル、横十メートル、高さ七メートルほどの緑色のネットの外側。以前、町がオオゴマダラの飼育施設として整備したものだが、現在は使用されていない。 付近にはチョウの食草が多く、リュウキュウアサギマダラのほかオオゴマダラ、アサギマダラを見ることができる。町産業振興課は「リュウキュウアサギマダラは近年多く見られるようになった。なぜ樹木でなくネットで集団越冬するのか分からない」と話す。 |
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| 伊仙町地域女性団体連絡協議会の結成五十五周年記念式典と祝賀会が八日、同町総合体育館であった。歴代会長に感謝状を贈呈。協議会の五十五年の歴史を振り返ると同時に、今後の発展を祈念した。 式典には町内外から約四百人が参列。喜納香代子会長は「社会の波と共に私たちの活動は大きな底辺となり、地域になくてはならない組織にまで発展できた。先輩方の知恵を頂きながら、難問題を解決するために会員の英知とパワーを結集し努力しよう」と式辞。感謝状を贈呈した後、大久保明町長が「教育や文化継承、寡婦問題、ボランティアなど女性、母としてその啓発活動を実践されてきたことに感謝します」と祝辞を述べた。 祝賀会では琉球舞踊やコーラス、踊りなどを町内外の各グループが披露。全員でワイド節・六調で盛り上がった後、万歳三唱してしめくくった。 |
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第17回ヨロンマラソン(同実行委員会主催)は9日、与論町茶花を発着点に島を周回するコースでフル、リレー(42・195キロ)、ハーフ(21・0975キロ)の3種目があった。フルマラソン男子は橋本謙司(早大陸上同好会)、同女子は林田智美(東京)がともに初の栄冠を手にした。ハーフ男子は中木原毅尚(知覧茶倶楽部)、同女子は川照美(SBR=奄美市)、リレーはV・F・C(鹿児島)が優勝。奄美勢最高は男子フルで寺園美智人(奄美市)が6位、女子同で和泉和香(奄美ハナハナ)、男子ハーフで白井克昌(奄美市)が3位、リレーで地元与論町のひょうきんが2位に入った。今年は昨年を150人上回る1189人が出場した。内訳はフル491人、ハーフ593人、リレー21組105人。10代から80代まで出場者の年齢は幅広く、初出場も目立った。午前8時にフルマラソンとリレーマラソン、同10時にハーフマラソンがスタートした。 同マラソンは日本陸連公認コース。当日は快晴に恵まれ、日中の気温は二十五度まで上がった。出場者はアップダウンの激しい難コースに苦しみながらも、沿道の声援を受けてゴールを目指した。 |
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| 「琉球弧芸能祭」(奄美市開発公社、市教育委員会主催)が八日、奄美市名瀬の奄美文化センターであった。地元からベテラン唄者の森沢信弘さんら、沖縄は国指定重要無形文化財組踊り技能保持者の中村一雄さんら一流メンバーが出演。めくるめく唄や踊りの共演は三時間余りにわたり、カチャーシーから六調でフィナーレを飾った。 イベントは同センター開館二十周年を記念して九年ぶりに復活した。 カサン唄の森沢さんは同郷の塩崎サスミさんと約二十年ぶりにコンビを組んで登場。床の間の唄遊びを意識したセットに座し、老熟の味わい深く「俊良主節」「今の風雲」などを歌い上げた。阿世知幸雄さんの竪琴が優しい音色を添えた。 牧岡奈美さんや坪山豊さんら唄者四人のほか、浦上青年団は若さあふれる八月踊りを披露。客席からみちびき唄とともに入場するパフォーマンスで会場を沸かせた。 中村さんは国内外のイベントに出演する実力者で、新城始さんと共に野村流伝統音楽協会に所属する。二人の三線に琴、太鼓、笛が加わった器楽と斉唱で久米島民謡「木綿花節」などを聴かせた。王朝文化にふさわしく格調高い調べに観客は陶酔。 玉城流孝の会山元孝子琉舞道場は中村さんらの地謡で華麗な舞を、新良幸人WITHサンデーは八重山民謡を歌い上げた。 |
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天城町兼久出身で姿三四郎のモデルにもなった柔道家、徳三宝の伝記「柔道一代 徳三宝」(南方新社刊)が三月、全国発売された。著者は甥(おい)にあたる指宿英造さん(故人)。親族として接した記憶と丹念な取材で徳三宝の生涯を明らかにした。五輪イヤーにふさわしい、シマンチュに勇気を与える一冊になりそう。本書は一九九〇年、私家版として出版されたものに最新のデータを加えて復刻した。@怪童A青雲に志すB勝敗何ぞC道を求めてD回想の徳三宝―の五章で構成。徳之島で過ごした幼少時代、講道館の入門と三船久蔵氏との名勝負、破門と四国での修行、東京大空襲で死去するまでの人生が描かれている。 徳三宝(一八八六―一九四五年)の生涯について指宿さんは「生まれ故郷の徳之島を抜きにしては語れない」と記している。進取の気性に富み、情熱にあふれる土地柄が徳三宝を生んだというのだ。 指宿さんは徳之島町出身。大島郡医師会長も務めた医療界の重鎮。文化人としても知られ、著書に「徳三宝」のほか、「死闘あゝブーゲンビル」がある。九〇年に南海文化賞を受賞。九五年十二月、八十一歳で死去した。 二月にはバルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦さんが歌うCD「柔道一代 徳三宝」も発売された。奄美市を中心に「紅白歌合戦を目指そう」との運動も始まっている。「徳三宝」が北京五輪を盛り上げてくれそうだ。 本書は定価千八百九十円(税込み)。 |
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| 奄美大島でバス事業を展開している岩崎グループ(鹿児島市、岩崎芳太郎社長)傘下の奄美交通(奄美市、西村将男社長)が、地元の道の島交通(同、岩崎菊美社長)に事業を譲渡することで両社が合意し、十一日に鹿児島市で契約を結んだ。今回の契約で岩崎グループは奄美大島のバス事業から撤退、道の島交通が奄美交通の従業員全員の雇用を確保する。道の島交通は奄美交通との競合路線を整理し、四十七系統に再編して運行する予定。九州運輸局への申請などを経て五月には両社のバス事業が一本化される見込み。 両社のバス事業の規模は、奄美交通が四十八系統、車両六十五台、社員六十六人。道の島交通は、二十二系統、車両三十九台、社員三十九人。奄美市内を中心に路線が競合し、両社とも経営が悪化していたため、昨年秋ごろからバス事業の一本化について本格的に協議してきた。いわさきコーポレーションの菅井憲郎専務や道の島交通の岩崎菊美社長ら両社の関係者が十一日、県庁で会見を開き契約を締結したことを明らかにした。 道の島交通は奄美交通から譲渡された路線を整理し、四十七系統(約三千キロ)に再編し運行。奄美交通の従業員六十六人については、正社員は基本的に奄美交通の雇用条件に合わせ道の島交通が継続雇用。バスガイド三人と契約社員の運転手八人は、道の島交通の関連会社である人材派遣会社に登録した上で雇用する。車両は道の島交通が買い取り、路線の整理統合後に老朽化の進んだ車両から廃棄、売却していく予定。 |
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| 大和村西部地区は外国の電波混信でNHKラジオ第一放送(中波ラジオ放送)の難聴地域となっていたが、外国波混信対策用超短波中継局(FM局)=奄美大和局=が十一日から開局、難聴が解消された。同日、中継局開設にかかわった総務省九州総合通信局の坂本純一放送部長、NHK鹿児島放送局の藤田寛副局長ら四氏が大和村役場の永田武光村長を表敬訪問、開局を報告した。 受信範囲は戸円、名音、志戸勘、今里の四地区で対象世帯数は二百五十三世帯。FM波受信のため周波数は八三・四メガヘルツで、ラジオをFMに切り替えて受信する。 |
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九州南部から奄美、沖縄に分布する日本特産の小型ラン・オキナワチドリが開花している。加計呂麻島ではピンクの花の株に混じって白い花の株も数本開花した。白花の存在はこれまでにも知られているが、発生は極めて少ない。発見したのは長崎県出身で四年前Iターンした瀬戸内町諸鈍の柘植達雄さん(67)。群落は道路沿いにあるが、草丈が約六センチと小さいため多くの人が気付かない。 最初に発見したのは昨年三月初め。群落の広さは二畳ほどで、数百株以上のピンクの花の中に白い花の株が数本立っていた。今年は昨年より若干開花が遅れたが昨年並みの数が咲いたという。 奄美の植物に詳しい専門家によると、奄美ではオキナワチドリの白い花の株は自生地が少ないが、約四十年前から知られている。しかし、ある場所でもピンクの花に混じって少数あるだけという。 |
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JOCジュニアオリンピックカップ兼第12回全国少年少女選抜レスリング選手権大会(日本レスリング協会など主催)は8、9の両日、東京都国立オリンピック記念青少年総合センターであり、沖永良部レスリングクラブの川畑孔明(和泊小)が小学校4年45キロ超級で優勝した。大会は小学校高学年を対象に男女2部門57階級で試合を行い、81チーム334人が出場した。川畑は6年57キロ超級に出場した兄の光(和泊小)とそろって同大会初挑戦。準決勝、決勝とも判定で勝利し、初の栄冠をつかんだ。光は1回戦で今大会優勝の奥井眞生(和歌山ジュニア)に惜敗した。 川畑は「投げ技がよく決まった。目標を達成できてうれしい」と大会を振り返り、光は「技の幅を広げて次は上位を狙いたい」と次大会に闘志を見せた。 |
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| 瀬戸内町立節子中学校(内薗雄児校長、生徒数二人)が四月から休校になる。生徒の卒業や転校が主な理由で、校区内に新入生の見込みがないため、再開のめどは今のところ立っていない。昨年四月から小学校が休校となっている。 節子中は一八八六年(明治十九年)に小学校簡易科として設立。一九四一年に国民学校に改称、四八年に節子国民学校が節子小と改称され、古仁屋中節子分校が併設された。 奄美が日本復帰する前年の五二年四月に節子中として独立。七四年に体育館が落成し、八六年に創立百周年、〇六年には創立百二十周年記念事業を行った。 同校の生徒数は三〇年(昭和五年)の百六十六人をピークに、七七年に五十八人、九九年に十七人、〇三年八人、〇五年六人と激減してきた |
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知名町芦清良の畑で重さ四・五キロ、胴回り七十三センチのジャンボサツマイモが収穫され、近所の住民を驚かせている。栽培した大山秀一さん(65)は「長年育てているが、こんなに大きなものは見たことがない」と話し、特大サイズのサツマイモに目を細めている。昨年七月に友人から譲り受けた苗を植え、無肥料・無農薬で育てたもの。年末に収穫を予定していたが、都合がつかなかったため二月下旬までずれ込んだ。例年のように十五センチ程度の大きさを想像しながら掘り起こすと、カボチャのように丸々と育ったサツマイモが姿を現した。 大山さんは「八カ月も土中で眠っていたので栄養がついたのではないか。不思議でしょうがない」と笑顔で話した。 |
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| 徳之島町立神之嶺小学校下久志分校(有馬勝広校長、児童数三人)が四月から休校になる。町教育委員会によると、児童数減による保護者の本校への入学希望が主な理由。町教委では、二〇一二年度以降には新入学児童の予定もあり、再開の可能性もあるとしている。 下久志分校は、一八七七年(明治十年)に下久志分教場として、本校と同時に設置。今年で創立百三十一年を迎える。現在の児童数は小学二年生二人、同四年生一人の計三人で、教諭は一人。同分校は四年生まで。五年生からは本校に通学するシステムとなっている。 町教委によると、新年度から二人となる児童が兄弟で、保護者から本校への希望があったことや、〇九年度から一一年度まで新入学児童がゼロとなるため、新年度からの休校を決定したという。 |
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「喜念・佐弁砂丘遺跡群トマチン遺跡」の第四次発掘調査が、鹿児島大学埋蔵文化財調査室の新里貴之助教(博士)らの手によって二月二十五日から進められている。これまでに二重構造の石棺墓が見つかっており、二層目から新たに一体の頭骨のない人骨を発見した。新里助教らは今後人骨などの出土品から時期の洗い出しや当時の食生活、これまでに発掘された人骨(四体)との親族関係(DNA鑑定など)を分析する方針で、南西諸島先史時代墓制の伝播(でんぱ)プロセスの解明に期待を寄せている。調査は十六日まで。同遺跡は約二千六百年前(縄文時代晩期末から弥生時代前期)の箱式石棺墓群。これまでの調査で、側石を小口積みにした石棺墓が南西諸島で初めて発見されているほか、国内でも類を見ない石棺墓の二重構造も判明し、注目されている。 遺跡群は伊仙町佐弁トマチンの海岸部砂丘地帯(約六千四百平方メートル)。同調査室が二〇〇四年度から地元伊仙町とともに調査。今回の調査には沖縄県埋蔵文化財センターや沖縄国際大学、琉球大学などの関係者が協力している。 三次調査までに、石棺墓から四体の人骨や装飾品とみられるゴホウラ貝輪、ヒスイ玉(新潟県糸魚川産)、貝小玉、スイジガイ製利器、土器などが出土。他の墓域の存在から多様な形態の石棺墓が出土する可能性が高まっている。 新里助教は「石棺の二重構造は国内でも極めてまれで、一層目の人骨には頭骨があったが、二層目にはなかった。何を意味するかは分からないが、沖縄で頭骨のない例があるほか、山口県の土井ヶ浜遺跡でも頭骨だけを集めて埋葬したものが見つかっている」と解説。また、石棺墓が三重構造となっている可能性もあるとしつつ、「非常に貴重な遺跡。今回見つかった人骨の解析を鹿児島女子短大に依頼、骨の成分などを分析してどのようなものを主食にしていたかなどを調べたい。今後、時期が違うと見られる隣のサンゴの石蓋(ふた)のある石棺墓の調査や、西側の墓域の発掘も進めたい」と語った。 |
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