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4月12日(土)付 

グリーンツーリズム 沖永良部で始まる
 農山漁村で自然や文化、人々との交流を楽しむ「グリーン・ツーリズム」が十日から沖永良部島で始まった。関東在住の十五人がバレイショ収穫などを体験し、農業と島暮らしの魅力に触れている。主催した(社)全国農協観光協会(東京都)の担当者は「沖永良部島は素材の宝庫。実践を重ねてグリーン・ツーリズムを定着させたい」と話し、今後の事業展開に意欲を見せた。
 グリーン・ツーリズムは農林水産省が一九九二年に提唱した滞在型の余暇活動。都市と農村の交流促進を図り、普及に力を入れている。
 同協会が手掛ける沖永良部島ツアーは昨年に続いて二度目。「エラブユリのルーツを訪ねるふるさと探訪隊」と銘打ち、抽選で選ばれた十五人が参加した。ツアーは十四日までの五日間。農業体験を中心に磯遊びやタラソテラピー体験、島唄交流会などを計画している。
 日程二日目の十一日は農産物直売所「ゆうゆう市」(和泊町大城、谷山せい子代表)の協力でバレイショ収穫と野菜の手入れを体験した。
 「都会暮らしの長い私たちにとって農業は貴重な体験。心地よい汗を流せた」(六十代男性)「農家の苦労を知ることで食べ物のありがたさを実感できた」(五十代女性)と参加者の感想もさまざま。作業の合間には畑を提供した谷山常保さん(67)と懇談し、親ぼくを深めた。十二日はサトウキビの収穫を予定している。
徳之島町で富山丸慰霊祭
 第二次世界大戦中に米軍潜水艦の魚雷攻撃を受け徳之島町亀徳の沖合に沈んだ輸送船「富山丸」の第四十五回戦没者慰霊祭(遺族会主催)が十一日、同町なごみの岬公園で厳かに執り行われた。本土からの参拝団や町の関係者らが参列。非業の死を遂げた三千七百人余りのみ霊の平安を祈るとともに、恒久平和への誓いを新たにした。
 全国各地から遺族百二十人が来島。全員で黙とうした後、遺族を代表して牛島ハルさん(93)が開会を宣言した。高岡秀規徳之島町長が「愛する人を亡くす苦しみと悲しみ、そして尊い犠牲の上に今の平和がある。そのことを決して忘れてはならない。語り継いでいくことが私たちの責務」と追悼の言葉。遺族会鹿児島県会長で参拝団長の益山博美(68)は「私たち遺族は『悲惨な体験を二度と繰り返すな』を合言葉に頑張ってきた。戦争の悲惨さと平和の尊さを若い世代に語り継ぎ、平和で希望に満ちた世界になるよう全力を傾けることを誓う」などと慰霊の言葉を述べた。
 生存者で慰霊塔建立に尽力した故三角光雄さんの悲惨な事故当時の様子をつづった手記を田村一二三遺族会副会長が朗読した後、川南廣展遺族会会長を皮切りに、参拝団が各県ごとに祭壇へ献花し、み霊の安らかならんことを祈った。
 遺族らは「また会いに来ました。ここに来るたびに戦争の悲惨さ無念さを痛感します。どうぞ安らかにお眠りください」「お父さんが戦死直後に生まれた弟も六十三歳になりました。お父さん、弟を見てください。私たちは母と兄弟三人で助け合って生きてきました。三人とも孫もおり幸せです。安心して下さい」などと声を詰まらせながら呼び掛けていた。
 その後、慰霊碑の建立に尽力した故三角光雄氏の顕彰祭や、当時の惨状を地元の人たちが遺族らに語る「富山丸を語る会」もあった。
大島紬専門学院で入校式
 大島紬の織り技術者を育成する本場奄美大島紬技術専門学院(校長・赤崎拓郎本場奄美大島紬協同組合理事長)の入校式が十一日、奄美市名瀬の紬会館であった。二〇〇八年度(第二十九期)の入校生は地元、Iターンを含めて六人。大島紬の最も大切な工程を担う、織り技術者を目指して第一歩を踏み出した。
 本年度の入校生は鳥居史絵さん(24)、田澤尚子さん(30)、相川佳苗さん(23)、日野澤恵さん(42)、朝山弘乃さん(53)、原田明子さん(54)。五人がIターン。三人は大島紬伝習生の卒業生で、「紬の技術をさらに学びたい」と専門学院の門をたたいた。
 式に当たって赤崎校長(都成俊一郎・紬協組専務理事代読)は「大島紬は四十数工程あるが、織りは最終で最も大事。一年間の研修を通して、優秀な織り技術者になることを期待する」と式辞。平田隆義市長(朝山毅副市長代読)、上原守峰・県大島紬技術指導センター館長も、大島紬の伝統を守る新しい力に期待した。
 紬専門学院の修了生は〇七年度までに四百十三人。近年はIターンで織り技術を学ぶ人も増え、高級品を織りこなす人もいる。技術者の後継者不足、高齢化が指摘される中、貴重な戦力となっている。

4月13日(日)付 

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徳之島用水事業、築堤事業に着手

 干ばつ被害防止や高収益作物栽培が期待される九州農政局徳之島用水農業水利事業所による国営かんがい排水事業「徳之島用水地区」は、二〇〇七年度事業までの進ちょく率(事業費ベース)が66・2%となり、〇八年度は秋ごろからダム内の築堤工事などに着手する。島内三町に敷く用水路や調整池、ファームポンドと呼ばれるタンクなどの整備と合わせ、総事業費四百五十二億円の大型プロジェクトは終盤の工事に入る。
 事業は「徳之島ダム」(有効貯水量七百三十万トン)と徳之島三町にまたがる総延長百二十・九キロの用水路、六・八キロの送水路、揚水機場八カ所、調整池(北部と南部)、ファームポンド二十一カ所を整備するもの。いわば用水路の幹線を島内に敷き、枝葉に分かれる部分は県事業などで行う予定。かんがい受益面積は三千五百四十ヘクタールで、受益者数約三千七百人。〇七年度までに約三百億円が投じられている。
 同事業所によると、〇八年度は岩盤の割れ目などにセメントミルクを注入し、ダムが水を貯えるのに十分な地盤にする基礎処理工事と、洪水時にダムからあふれる水を排出する洪水吐(ばき)工事などに続き、秋ごろから貯水に必要な土や石を締め固めながら盛り立てる工事などに入る。事業はダム本体を中心とする一期、ダムの水を運ぶ用水路やファームポンドなどが主な二期に分かれており、いずれも二〇一一年度の事業完了を見込んでいる。
 ダム完成に先駆け、これまでに天城町松原と伊仙町木之香の二地区で実証試験を実施。ダム完成時を想定し、地下水などで豊富に水を供給してサトウキビを育てた結果、単収がほぼ倍増するなどの好結果が得られているという。

龍郷町秋名で田植え始まる

 奄美大島で最大の田袋が広がる龍郷町秋名で田植えが始まっている。七月には黄金色に輝く稲穂が頭を垂れる。
 十二日に田植えをしていたのは「アイドーラ農塾」(叶辰郎代表、十人)のメンバー。休耕田を五アール借り上げ、有機農法に取り組んでいる。十九日にはアイガモを放す予定だ。
 「秋名の田んぼにドジョウもいた。有機農法は生き物にとっても安心安全。まろやかでおいしいコメができると思う」(叶さん)。会員らは機械と手植えを併用し、せっせと田植えに励んでいた。
 アイドーラ塾は与論でつくられている、環境に優しいたい肥にちなんだ名称。奄美大島の農家や自営業者など多様な業種、年代の人々が集う。

4月14日(月)付 

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休刊日


4月15日(火)付 

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奄美の商業・卸売業販売額が10%減に
 県は十四日、卸売・小売業を対象にした二〇〇七年商業統計調査結果(速報)を発表した。〇七年六月一日現在の県内商業事業所数は二万三千七百七十二で、従業者数十三万九千六百九十六人、年間商品販売額四兆九十一億円。〇四年の前回調査と比べ、事業所数は9・1%、従業者数では4・5%それぞれ減少し、商品販売額も5・3%の減となった。奄美の事業所数は二千三百十三で従業員数八千九百三十九人、販売額千四百二十九億一千万円。前回調査より事業所数で7・2%、従業員数で3・1%、販売額で10・1%それぞれ減少している。
 県統計課によると、県内の卸売・小売業の事業所数は一九八五年以降減少が続いている。業種別では、小売業が一万九千六百八十三事業所で全体の約80%を占めている。産業別では食料品関連が多く、小売業の32・9%、卸売業の5・4%を占める。業種別従業者数は、小売業が十万五千九十一人、卸売業が三万四千六百五人。また商品販売額を業種別にみると、卸売業が二兆四千九十二億円、小売業が一兆五千九百九十八億円となっている。
 市町村別では、鹿児島市の七千九百三十六事業所、従業者数六万四百五十八人が突出しており、商品販売額も二兆五千百九十八億九百万円と県全体の約60%を占めている。
 奄美では、奄美市に全体の約38%に相当する八百八十七事業所が集中し、商品販売額も七百二十二億五千二百万円と奄美全体の約50%を占めている。
前回調査との増減率をみると、事業所数は和泊町が7・8%(十三事業所)増加しており、従業者数と商品販売額では喜界町がともに10%以上伸びているのが目立つ。
 調査は商業の実態把握を目的にしたもので、一九五二年以降は二年ごと、七六年以降は三年ごと、九七年以降は五年ごとに本調査を実施し、本調査の二年後に簡易調査を行っている。〇七年は本調査の年にあたる。

奄美市農業研究センターのシロバナヒカンザクラの種子が宇宙へ

 奄美市朝戸の同市農業研究センター敷地内にあるシロバナヒカンザクラの種子が今秋、宇宙に打ち上げられることになり、十四日、近くの大川小学校(山川哲郎校長、児童三十四人)の児童が種子を採集した。シロバナヒカンザクラの種子は全国から集めた花の種子とともに打ち上げ、宇宙ステーションで保管された後、来春、地上に持ち帰り、専門機関で変化を調べるほか、収集した団体などに返還される。
 種子の採集には五、六年生十一人が参加。シロバナヒカンザクラの前で有人宇宙システム総務課長代理の山入端太さんがプロジェクトの趣旨などを説明した。網や袋を外した後、児童らが代わる代わる脚立にのぼり、黄色く色付いたサクラの実をていねいに摘んだ。採取後、山入端さんから児童らに、宇宙飛行士候補者募集の冊子が手渡された。
 同小五年の里香織さんは「宇宙に行ってみたい。帰って来た種から芽が出るのを見てみたい」と元気に話した。山川校長は「子どもたちが夢を持ついい機会になった」と語った。
 山入端課長代理によると、予定では全国から集められた種子は十月に米国フロリダからスペースシャトルで打ち上げられ、国際宇宙ステーションの実験棟「きぼう」で約半年間保管。来年四月ごろ、宇宙飛行士の岩田光一さんとともに持ち帰り、各団体に返還される。大川小中でも返還式が行われる予定。
 種子を使った実験は宇宙を身近なものに感じてほしいと、文化・教育の振興が目的の「花伝説」プロジェクトの一環。独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)が宇宙ステーションの実験棟「きぼう」の有償利用を目的に公募し、採択された。
 「花伝説」では日本人につながりが深いサクラやスミレ、ユリが選ばれ、このうち、サクラは全国八道府県十カ所余りから名物桜の種子が提供される。奄美から選ばれたシロバナヒカンザクラは二十年前にヒカンザクラの新品種として確認され、発見当時は大きな話題を呼んだ。

奄美空港に皆既日食のカウントダウン看板設置

 二〇〇九年七月二十二日に起きる皆既日食まであと四百六十四日となった十四日、奄美市笠利町の奄美空港一階ロビーに皆既日食のカウントダウンを告げる看板が設置された。一年と百日を切り、「盛り上げていこう」との地元側の計らい。
 設置したのは名瀬ライオンズクラブ(叶隆典会長、会員六十五人)と笠利ライオンズクラブ(原武広会長、同二十四人)。叶会長(67)は「世界中から安心して奄美に来て頂くためにも準備が必要。行政だけでなく、民間も一緒になって盛り上げていきたい」などと語った。叶会長らによると、皆既日食の前後には奄美地域の宿泊収容力を超える一万人以上の入り込み客が予想されており、地元側の受け入れ態勢整備も急がれる。
 看板には皆既日食の模様が鮮明に描かれており、笠利崎や奄美パーク、奄美市役所など要所の皆既日食スタート時刻を表示。カウントダウンの数字替えは、空港事務所が請け負う。
 二十一世紀最大級の天文ショーといわれる来年の皆既日食。天候が良ければ種子島南部やトカラ列島、奄美大島北部、喜界島などで観測できるという。

東京で「夜ネヤ、島ンチュ、リスペクチュッ!!」

 「夜ネヤ、島ンチュ、リスペクチュッ!!」(全労済主催)が十三日、東京・渋谷の全労済ホールであり、本土で活躍する奄美ゆかりのアーティストや地元の若手唄者ら十四組が次々と登場した。出身者へ広く呼び掛けた効果もあって会場やステージでは島なまりが飛び交い、さながら地元の文化祭といった雰囲気。約八百人の観客は五時間にわたる熱演、熱唱に陶酔した。
 「全労済文化フェスティバル2008」の一環。コミュニティFMラジオ局「あまみエフエム ディ!ウェイブ」開局一周年も記念した。島を離れて暮らすシマッチュに故郷の良さや一体感を味わってもらいたいとの願いを込めた。
 メーン、サブの二ステージで構成された。松元良作、前山真吾、永井姉妹ら地元組はカサン、ヒギャ節で熱唱し、中村瑞希はハシケンが書き下ろしたウエディングソング「TSUMUGI」を初披露した。本土のファンも詰め掛けた中孝介は心震わす歌声を響かせ、海外での評価も高いスカ・フレイムスの演奏に観客もノリノリ。里アンナ、我那覇美奈らもオリジナル曲で独自の世界へと引き込んだ。
 長時間のスタンディングライブは「六調」でクライマックスへ。島の血たぎる旋律とチヂンのリズムが響く中、舞台に勢ぞろいした出演者と観客は手踊りに酔いしれ、互いの距離を縮め合った。
 会場では黒糖焼酎や物産などの販売も行われた。

4月16日(水)付 

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年金からの天引き開始で奄美市でも問い合わせ相次ぐ

 七十五歳以上のお年寄りを対象に一日からスタートした後期高齢者医療制度(長寿医療制度)の保険料の年金からの天引きが十五日から始まった。奄美市でも保険料などに関する問い合わせが相次ぎ、職員らが対応に追われた。「特に大きな混乱や苦情はない」(同市国民健康保険課)が、問い合わせ件数は一日平均五十件。受け取っていても保険証と気付かず紛失したケースもあり、再発行件数は十四日までに八十八件に達している。
 同課によると、奄美市の新制度の対象者は六千三十二人(名瀬四千三百五十人、住用三百三十人、笠利千三百五十二人)。このうち年金から天引きされる特別徴収の対象者(年額十八万円以上の年金受給者)は三千九百四十九人。問い合わせ件数は十四日までの十日間で五百六十件(一日平均五十件)、再発行件数も八十八件(紛失七十二件、その他・届いていない等十六件)に上っている。
 問い合わせの内容は「どういう計算でいくら引かれるのか」と保険料に関するものが最も多く、「届いていない」「なくした」などの届けも。ほとんどは電話によるものだが、通知書を持参して役所の窓口で直接質問する人もいたという。
 同課は一日から正職員を一人増員して二十人とし、臨時職員三人と合わせて二十三人で対応。新制度の浸透を図るために「少しでもおかしな点や不明なことがあれば問い合わせてほしい」と呼び掛けている。

喜界町で新任教職員を特産品料理で歓迎

 喜界町に今年度、赴任してきた教職員の受け入れ式と懇談会(町教委主催)が十一日、同町の自然休養村管理センターであった。三十六人の新しい先生を、地場産食材を使った料理で歓迎。先生たちは、地域色あふれる“島の味覚”に舌鼓を打っていた。
 受け入れ式では、晴永清道教育長が「町の文化や自然・経済について積極的に学ぶとともに、いろいろな出会いを大切にして教職人生を豊かなものにしてほしい」と激励した。
 これに対し、転入職員を代表してM頼光・第一中校長が「子どもたちが社会に出たときに、古里や他人を思いやり、進路を切り開ける人になるよう、教育に励みたい」と決意を述べた。
 引き続き行われた懇談会では、結いグループ「喜界」(伊牟田正子会長)が、町の農産物加工センターを活用して作っている食品を用意。在来ミカン(フスー)や健康野菜として注目を集めているハンダマを使ったアンダーギーやだんご、ヨモギもち、喜界島産ゴマのドレッシングサラダなどがテーブルに並んだ。
 “オリジナル食品”による歓迎は、今回が初めて。前回までは「ヤギ料理」が定番だったが、二〇〇六年度の加工センター完成に伴い、同グループの活動が活発になったことから、歓迎料理として用意された。
 養護担当として上嘉鉄小に赴任してきた坂元朋華教諭は「食の部分でも喜界島を感じることができ、感激した。人々の笑顔が絶えない島で頑張りたい」と話した。

映画「愛加那」が完成―龍郷町

 西郷隆盛の妻、菊次郎の母として知られる愛加那(奄美大島龍郷出身)の生涯を描いた教材映画「愛加那―浜昼顔のごとく」が三月、完成した。映画は龍郷町教育委員会と制作委員会(前田守委員長)が制作。愛加那の家族愛の深さを知るとともに、シマで生きることの意味を問い掛ける作品だ。再現シーンはすべて地元の人々。好演、熱演で盛り上げる。
 映画は三部構成。再現シーンは地元の人をキャストに起用。愛加那は中原徳子さん、西郷は栄勝仁さんが演じた。シマユムタも多く、「奄美」にこだわり、音楽も地元のミュージシャンが手掛けた。時代考証は鹿児島大学の原口泉教授が担当した。
 インタビューは四人。国内だけではなく、台湾ロケも敢行した。稲盛和夫さん(京セラ会長)の含蓄に富んだ話で引き込む。西郷隆文さん(菊次郎の孫)は子孫ならではエピソードを語り、佐々木美智子鹿児島国際大学講師は歴史上の評価を語り、台湾の李英茂さんは台湾の町長として手腕を発揮した菊次郎について語った。
 西郷隆文さんは「隆盛、菊次郎ともに奄美で再生していく。奄美で生きる力を得た」と述べている。月照と錦江湾に身を投げた西郷は奄美大島で愛加那と結婚し徳之島、沖永良部で多くの人と出会い再生していく。
 西南戦争で死にきれなかった菊次郎は奄美に一度戻った後、台湾の町長、京都市長を務める。稲盛さんは「奄美に来なかったら、西郷はあんなに大きな仕事はできなかったかもしれない」と奄美の地域力を評価した。
 映画について龍郷町教育委員会の宏洲弘教育長は「サブタイトルの『浜昼顔』は浜辺にしっかりと根を張り、西郷を見つめた愛加那の生きざまを表した。多くの人に見てもらいたい」と話した。
 龍郷町教委は五月十日、講師に原口教授を招き、りゅうゆう館で無料上映会を開く。午後七時開会予定。

4月17日(木)付 

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喜界島でヘゴ(?)発見
 これまで喜界島で分布が確認されていなかったヘゴとみられる植物が生えているのが、同島の山中で発見された。近くを通りかかった役場職員が偶然発見。「喜界にヘゴが生えているなんてありえない」と驚いており、専門家も「もし本当にヘゴなら、喜界が分布地として認められることになる。新しい発見」と、重要性を強調している。
 ヘゴは主に九州南部から、沖縄や台湾地方に分布する常緑の大型シダ。樹高は四メートル以上に達し、谷筋や斜面下部などの湿潤で風当たりの弱い場所に生息する。奄美群島では、奄美大島、徳之島、沖永良部島に分布するとされる。
 確認されたのは、伊砂集落山中にある集落の共有地。町産業振興課主幹兼林務果樹係長の伊地知告さんらが、オオバギの隙間から生えているのを見つけたという。
 「喜界島にヘゴが生えているなんて、ありえない。誰かが植えたのか、自生のものなのか」と驚く伊地知さん。集落の住民らによると、この場所は通称「神山」と呼ばれており、人の出入りはほとんどないらしい。
 こうしたことから「人為的に植えられた可能性は低く、何らかの原因で自生したのではないか」(伊地知さん)とのこと。
 植物の生態・メカニズムに詳しい「奄美の自然を考える会」の田畑満大会長は「奄美大島に自生するヘゴの胞子が、台風などの強い風に乗って喜界島に渡った可能性もある」と分析。ただ「葉が抜け落ちた後に幹に残る葉根の状態など、種の判別材料に乏しく、断定はできない」と話している。
 喜界島は、学術的には「未分布地帯」とされているだけに、これが本当にヘゴだった場合、大きな発見となる。伊地知さんらは、今後詳しい調査を予定している。
アマミノクロウサギの着ぐるみ人形の愛称募集
 環境省奄美自然保護官事務所(奄美野生生物保護センター)と奄美自然体験活動推進協議会は、アマミノクロウサギ保護の普及啓発活動に利用する「アマミノクロウサギ着ぐるみ」を製作し、クロウサギが生息している奄美大島五市町村、徳之島三町の児童・生徒を対象として十五日から愛称募集を始めた。応募締め切りは四月三十日到着分まで。
 企画趣旨で「世界中で両島にしか生息していないクロウサギは、豊かな自然と固有の生態系をもつ奄美群島のシンボル的な生き物。しかし、近年マングースや遺棄された犬、猫に捕食されたり、交通事故の被害などで生息が脅かされている。保護対策の一環として着ぐるみ一体を製作、イベントなどのマスコットとして利用していく予定であり、親しまれる愛称を考えてほしい」と応募を呼び掛けている。
 採用された人には感謝状と記念品を贈呈する。
 応募方法は、はがきかファクスで(1)愛称(2)住所(3)氏名(4)学校名と学年(5)自宅連絡先―を明記のうえ、奄美野生生物保護センター(〒894―3104、大和村思勝551)まで送付を。
 問い合わせは同センターTel0997・55・8620(ファクス同55・8621)へ。
2007年度の大島紬、ついに2万反割れ
 本場奄美大島紬協同組合(赤崎拓郎理事長)が集計した二〇〇七年度(〇七年四月―〇八年三月)の大島紬検査実績によると、生産反数は一万七千三百三十一反。前年度(二万二千七百四十七反)に比べて23・8%の大幅減。三万反割れが二年連続で続いた後、ついに「二万反」を割り込んだ。〇七年度も赤字決算となる見通しで、産地の危機的状況に変わりはない。
 生産反数を月別にみると、前年を上回った月は一度もなく、二―三割の減産が続いた。四月は26・6%、七月は28・3%、八月25・5%、九月29・0%、十月26・1%、十一月26・7%、十二月29・5%、三月21・7%の減だった。
 経糸(たていと)の密度で表す算(よみ)別にみると、十五・五算が一万二千九百七十五反、十三算は四千三百五十六反。前年度に比べて十五・五算は23・5%減、十三算は25・5%の減だった。
 染色別では、泥が一万四十一反、泥アイは三百四十六反、草木泥は五百七十二反。前年度に比べて泥が28・6%もの減、泥アイは前年度並み。草木泥は14・0%増えた。化染は26・0%の減だった。
 男女別は、男物が二千九百六十八反、女物は一万四千三百六十三反。前年度に比べて男物は26・0%減り、女物は23・3%の減。産地証明は二百九十六点。こちらも26・2減った。
 歯止めの掛からない減産で組合財政もひっ迫。金融委員会は先に、理事会に対して「産地・業界の将来展望を示すべき時期であり、組合事業の在り方と踏み込んだ対策に向けて、第三者機関に組合の経営診断を依頼すべき」と答申した。

4月18日(金)付 

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旧ソ連で抑留死の遺骨、瀬戸内町の遺族へ返還

 第二次世界大戦後に旧ソ連に抑留され、現地で死亡した瀬戸内町出身の東原研三さん=当時(27)=の遺骨が十七日、同町清水に住む妹の福澤徳代さん(74)に返還された。鹿児島県庁であった遺骨伝達式に出席した徳代さんは、研三さんの遺骨に向かい「ようやく帰ってこれましたね。一緒に島に帰りましょう」と目頭を押さえながら語りかけていた。
 研三さんは戦時中は牡丹江憲兵隊に所属し、一九四七年に旧ソ連のチタ州カクイ収容所で死亡している。政府が二〇〇二年夏にチタ州で収集した遺骨をDNA鑑定した結果、東原さんをはじめ三柱の県関係者が判明した。DNA鑑定は〇三年度から国庫負担で行われており、今回の三件を含めこれまでに県関係者十六件の身元が判明している。
 徳代さんによると、研三さんは鹿屋の中等学校を卒業後、親類のいる旧満州に渡ったが、徴兵検査のため帰郷し二十一歳のころ出兵したという。
 兄の遺骨を手にした徳代さんは「私が小学校に上がる前のことだが、鹿屋の学校に通っていた兄が夏休みに果物を土産に帰ってくるのを楽しみにしていたのを覚えている。三十年ほど前に亡くなった母が生きていたらどんなに喜んだことだろう。これからは故郷の海が見えるお墓で安らかに眠ってほしい」と語っていた。

宇検村の高齢者グループが炭焼きに取り組む

 定年退職後、第二の人生を地元の豊富な森林資源を活用した木炭作りに取り組んでいるグループが宇検村にいる。メンバーらは「いい木炭を作るのは難しいが、炭焼きは面白い。村の林業振興に少しでも役立てば」と張り切っている。
 グループは、元建設会社員の豊岡源次さん(69)=同村久志=、元役場職員の山野忠志さん(同)=同湯湾=ら四人。三年前から久志に残っていた炭焼き窯を借りて年に三回、炭を焼いている。
 木炭作りは、豊岡さんの近所に十年以上使われていない炭焼き窯があることから思いついた。四人のうち三人はズブの素人で山野さんだけが炭焼きを経験している。山野さんは子供のころに経験しており、役場職員時代には窯造りを手掛けたこともある。
 炭焼き窯は高さ一・五メートル、周囲約十二メートルで、十数年前に久志住民が建設し、一度使用しただけでそのままの状態で残っていたもの。メンバーらはひび割れた窯壁などを赤土で補修し、使用できる状態にした。
 窯に炭材を設置し、火入れ、冷却、窯出しするまで約一カ月間。山野さんによると、良質な木炭を作るには「煙の色や勢いなどを細かく観察し、火を止めるタイミングを間違わないこと」だという。
 炭材は、湯湾干拓地で伐採したモクマオウの老木を使う。一回当たり約五百キロ使用する。出来上がった木炭は村内で販売しており、一般家庭や新築の際、防湿目的で床下に敷き詰めるため建築業者から需要があるという。
 メンバーらは「窯出しするまで品質が分からないので緊張する。若い人たちが炭焼きの技術を継いでいってほしい。宇検は森林資源に恵まれた村だが、これまで木炭は村外から買っていた。今後、村内の需要に応えていきたい」と話す。

春の味覚 ダーナが店頭に

 ○…地場産タケノコの「ダーナ」が収穫シーズンを迎えた。奄美市内のスーパーや八百屋では“春の味覚”を買い求める主婦らの姿が見られるようになった。
 ○…出回っているのはコサンダケと呼ばれる種類で、本土産のモウソウチクと比べ細身で柔らかいのが特徴。みそ汁の具や煮物などの食材として好まれる。
 ○…奄美市名瀬金久町の八百屋では十日ほど前から入荷するようになった。店舗には近隣の主婦らが次々と訪れ、この日取れたばかりの商品を手に吟味する姿も。毎年楽しみにしているという女性は「ここのダーナは新鮮でおいしい」と四束のお買い上げ。店主によると「今年は味がいい。ピークは今月いっぱい」という。
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