「まさき兄ぃと声かけて」 宇検村芦検の橋口さん 自ら福祉講話会を企画

 

宇検村のやけうちの里で開かれた芦検親子会とほーらしゃ会の合同レクリエーションで、笑顔を見せる橋口真樹さん=23日、宇検村湯湾

宇検村のやけうちの里で開かれた芦検親子会とほーらしゃ会の合同レクリエーションで、笑顔を見せる橋口真樹さん=23日、宇検村湯湾

「皆さんに/障害者をさべつしないでほしい/僕より重い人がいます/あいさつしてほしい/芦検で/たまに僕のことみたら/真樹にいとこえかけてほしい」(原文のまま)―。

 

 生まれたときの脳性まひで言語障がいがあり、手足の不自由な橋口真樹さん(49)=宇検村芦検集落=が23日、宇検村内で福祉講話会を企画した。自分の生い立ちや日ごろの思いをパソコンにしたため、「障がい者も健常者も同じ人間なんだ」とのメッセージを伝えた。

 

 「昭和45年神奈川県厚木市に生まれる/3歳まで国立相模原病院に通院/リハビリテーション病院/訓練/まだあるけないから/おんぶひもでおんぶして/通う」

 

 真樹さんは仮死状態で生まれた。息を吹き返すがミルクが飲めず、10日間保育器に入る。後に脳性まひによる障がいを抱えることになった。

 

 「58年ちちの仕事の関係で/山梨県に/甲府養護に3カ月/あけぼの医療福祉センター/に入所あけぼの養護学校/高校3年まで」

 

 歩行や言語に障がいは出たものの、聴覚や文字を読み解き、覚えることが得意だった真樹さん。養護学校でついたニックネームは「コンピューター」。電車の路線を覚えて両親に教えたり、ネット通販でなんでも取り寄せる。担当保健師によると「メールの達人」。元山公知村長とは「メル友」だ。

 

 「卒業後甲府市のきぼうの家にかよい/軽作業幼児向け雑誌の付録を/袋詰めの仕事を18年/(中略)父の定年退職で/10月21日芦検/はじめはいえにいて/宇検村には/僕のみないな障害者いく/ところがないから/役場に相談して/翌年の1月から現在やけうちの里/デイサービスにいく」

 

 移住してきた13年前、宇検村には真樹さんを受け入れられる福祉施設がなかった。現在はやけうちの里でラジオ体操や脳トレなどで体を動かす。

 

 「家では/パソコン/ネットでラジコプレミアム/ニッポン放送ききます/Ps4でパワフルプロ野球26年もしている」

 

 音楽も大好き。田原俊彦のファンクラブに入り、「本物を2回見た」と自慢げだ。

 

 集落で暮らすのに悲しい思いをしたことも。村内で身体障がい者と触れ合う機会がほぼなかったこともあり、小学生に「怖い」と言われたり、通う福祉施設で誤解を受けることもあった。帰宅後家で暴れ、母ナヲ子さん(75)に「言い返しに行け」ときつく当たったこともあった。

 

 「芦検の小学生/自分のことを障害者ってわかるかな?/変な目でみられない?/福祉講話してみたいとおもう」

 

 今年6月、担当保健師にこうメールを送り、自らを開き、子どもたちと目と目を合わせて気持ちを伝える決心をした。

 講話の終わりはこう締めくくった。

 

 「最後に/僕もみなさんと同じ生活しています/これからもよろしくお願いします」