「ミッシークトートゥガナシ」(ありがとうございました) コロナで与論島「福家」閉店 家族のため島離れる決意

12月5日に店を閉店した福地さん一家=11月、与論町麦屋(提供写真)

12月5日に店を閉店した福地さん一家=11月、与論町麦屋(提供写真)

 与論島に15年前移り住み、飲食店を開いた福地大輔さん(39)=与論町麦屋=夫妻が今月、新型コロナウイルスの影響で7年間営んだ「福家」を閉めた。与論では今年、新型コロナのクラスター(感染者集団)が2度発生。身寄りがない島での暮らしの中で、この1年はコロナの恐怖や責任と向き合う「決意と覚悟の日々」だった。人生について改めて考え、福地さんが出した結論は、妻の家族が住む県本土への移住だった。
 福地さんは千葉県市川市出身。何度も旅行に来ていた与論島で、25歳の頃、知り合いから移住を勧められた。居心地の良さに引き寄せられ、そのままリュックサック一つで移り住んだ。
 妻・渚さん(37)との結婚を機に2014年、「福家」をオープンした。看板メニューは与論の焼酎「島有泉」と島ザラメを使ったミートドリア「ヨロンライス」。島の食材をふんだんに使った創作メニューも増え、旅行客の中には福家を目当てに与論を訪れる人も増えていった。
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 店は芸能人も訪れる人気店に成長。しかし、新型コロナウイルスが状況を変えた。2月、中国からの観光客と思われる団体が来店した際、他の客がそそくさと帰ったのが気になった。「客が安心して食事をするためには海外からの客に対する入店制限が必要だ」。批判を覚悟で中国からの来客規制を打ち出した。
 緊急事態宣言が出された5月にはドライブスルーでの持ち帰り、1日3組限定の予約制、島外客の入店断り…。批判も出そうなほど厳しい規制を示した。島に頼る人のいない夫婦だけの経営だからこそ、感染予防に厳しくせざるを得なかった。
 こうした努力もむなしく、7月に島内で最初のクラスターが発生。島はゴーストタウンのように静まり返った。
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 2人の子どもを抱え、もし自分たちが感染したら、子どもはどうすればいいのか。預かってもいいと申し出てくれる知人や友人も近所にはいたが、それは考えなかった。「互いに感染リスクを高めるわけにはいかない」
 移住して以来、島民には何度助けられたか分からない。帰宅すると玄関に野菜が山盛り置かれていたことや、台風で家が全壊し困っていると、家を新築して貸してくれた人もいた。家族を大事にする与論の人たち。それが好きで暮らしている自分が、家族と離れて暮らしているのも矛盾していると感じるようになっていた。
 コロナ禍の中、本当に困った時に甘えられるのは家族しかいない│。新型コロナの感染拡大を受け初めて気付いた。「子どもたちのためにも妻の家族が暮らす鹿児島本土へ引っ越そう」。10月、福地さんは閉店を決めた。今月5日の営業最終日までには、島内外の客が大勢駆け付けた。
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 与論島で見つけた料理人という夢。かなえた店。支えてくれた島の人々。増えた家族。昨年、七五三を迎えた子どもたちのアルバムに添えたメッセージが最近、胸に響く。
 「じぶんがしあわせだということをわすれないでください/ごはんのにおいがわかること/うたをうたえること/だいすきなひとをぎゅっとできること/いきたいばしょへあるいていけること/それだけでじゅうぶん」