「疎開船の記憶」銃弾に命奪われた妹

妹2人と映った写真を手に当時の記憶をたどる米田正英さん(上)と疎開船の船上で亡くなったことが記載されたフサ子さんの戸籍謄本

妹2人と映った写真を手に当時の記憶をたどる米田正英さん(上)と疎開船の船上で亡くなったことが記載されたフサ子さんの戸籍謄本

 徳之島町亀津東区の墓前で、米田正英さん(79)=同町亀津=は手を合わせた。心に浮かぶのは、一緒に乗った疎開船で、幼い命を銃弾に奪われた妹2人の面影。「どうして私が生き残ったのか」。手元に残された晴れ着姿の妹たちと並んだ写真に涙があふれた。「何も知らない弟たちにはあまり話していなかった。もう先は短い。あの日のことを伝えておきたい」1944(昭和19)年10月10日の朝、小学3年生だった米田さんは両親と妹のフサ子さん(当時6)、弘子さん(同4)とともに、同町亀津の自宅を出て亀徳港に向かった。加計呂麻島の東岸に差し掛かったころ、山の上から現れた米軍のグラマン機1機が急降下し、船めがけて機銃掃射を浴びせた。銃弾は米田さんのすぐ後ろを走った。船底に駆け付けると、変わり果てた姿の妹たちがいた。

フサ子さんの戸籍謄本