ワンの歌は道端の大道芸 奄美竪琴奏者、盛島貴男さん

奄美市名瀬のライブハウスで演奏する盛島さん。演奏中に口上で解説を入れるなど奔放なスタイルで観客を沸かせた

奄美市名瀬のライブハウスで演奏する盛島さん。演奏中に口上で解説を入れるなど奔放なスタイルで観客を沸かせた

 鹿児島県奄美大島龍郷町屋入にある「ライヴ会場青天」へその人を訪ねると、しわがれた声とにこやかな笑顔で出迎えてくれた。奄美竪琴製作者兼演奏者の盛島貴男さん(69)。4年前にファーストアルバム「奄美竪琴」を発売した遅咲きデビューのミュージシャンだ。以降、ライブツアーやテレビドラマ出演も経験するなど順調に活動の場を広げている。

 

 盛島さんは奄美市名瀬出身。大島高校を卒業後は東京へ出て料理人、鉄筋工、内装業などさまざまな仕事を渡り歩いた。1975年に帰島。笠利町出身の伝説の盲目唄者、里国隆さん(1919~85年)の影響で40代後半から奄美竪琴の製作と演奏を始めた。

 

 ■盲目唄者、里国隆の記憶

 

 盛島さんは幼少の頃、名瀬の街中で里さんの演奏と歌を聞いていた。96年に発表された里さんのCD「あがれゆぬはる加那」を聴いて幼少の記憶が一気によみがえり夢中になった。里さんの妹を訪ね遺品の竪琴を見せてもらって自分で作ってしまうほどの入れ込みようだった。

 

 「とにかく里さんのまねをした。竪琴は1年間ずっと手に取って目をつむっても手が勝手に動くようになるまで」と言う盛島さんだったが、「黒声」(くるぐい)と呼ばれる里さんの独特の歌声は10年かかっても習得できなかったという。

 

 「他人の声はまねできないと思い知った。でも挑戦したことは無駄じゃない」。試行錯誤の末、竪琴のきらびやかな音色に合わせ、しわがれ声でうなるように歌う盛島さんオリジナルの歌唱法を確立した。

 

 ■仲間と全国ツアー敢行

 

 「アルバムを出してからつながりが増えて、本土からも出演のお呼びが掛かるようになった。バスツアーの観光客が物珍しさで訪ねてきて驚くのも楽しい。奄美に来た若いミュージシャンが寄ってくれるのはうれしい限り。竪琴の製作依頼も増えた」と笑う。

 

 盛島さんのライブレパートリーは幅広い。「行きゅんにゃ加那」「ヨイスラ節」などの定番の島唄のほか、「安来節」などの民謡。フォークソングの「山谷ブルース」「朝日のあたる家」、藤圭子さんの「夢は夜ひらく」、野坂昭如さんの「黒の舟歌」。果ては越路吹雪さんの「サントワマミー」までやってのける。

 

 2019年には沖縄を舞台にしたNHKBSドラマ「甲子園とオバーと爆弾なべ」に里さんを彷彿(ほうふつ)させる竪琴弾きの役で出演した。「奄美と沖縄は戦後の混乱の中、歴史で語られることの少ない複雑な事情があった。里さんはそんな中で奄美と沖縄を行き来していた渦中の人。その役を演じられたのはとても感慨深い」と感謝を込めた。

 

 19年は「スラ酔い三人衆北上の巻」と銘打ち村重光敏さん、鈴木亜紀さんと関東、東北、北海道と4400㌔を約3週間かけて巡るツアーを敢行。「演奏中も移動中も酒を飲みっぱなし。さすがにきつかった。でも各地のおいしいものを食べて、いろんな人に歓迎されて。やはり旅は楽しい」と顔をほころばせた。

 

 ■今年は台湾でライブを

 

 「ワンの歌は芸能なんて大層なもんじゃない。道端の大道芸よ。リクエストが来たらなんでも演奏できないと。里さんも一緒。奄美で演奏していた当時はさげすまれていたが、いい生き方をした人。歌で旅をしてみてよく分かった」と話した。

 

 今年は古希を迎える盛島さん。今後やってみたいことを聞くと「台湾で演奏してみたい。向こうの80~90代の人は日本の唱歌などを知っている。当時を思い出して喜んでもらえたら」とますます意気盛ん。「古い時代の芸人なら70っち言ったら死んでもおかしくない年齢だけど、ワンは大丈夫。屋仁川で鍛えとるし何しろ遅咲きだからや。まだまだ歌っていくよ」