八月踊り継承へ奮闘 世代超え、思い一つ 加計呂麻島薩川集落

毎週1回、集落の多世代が集まる八月踊り教室=2018年10月29日、瀬戸内町薩川

毎週1回、集落の多世代が集まる八月踊り教室=2018年10月29日、瀬戸内町薩川

 各集落で歌い踊り継がれている八月踊り。人口減少や高齢化で年々継承活動が難しくなっている。中には踊れなくなった集落もあるのが現状だ。瀬戸内町加計呂麻島の薩川集落では、2018年6月から週1回1時間の八月踊り教室を始めた。近隣集落の八月踊りが消えゆく中、踊りを伝え残そうと奮闘する住民たちに注目した。

 

 ◆継承への危機感

 

 「八月踊りや島唄をしていた人が1人、また1人と減っていく。昔は二重三重の輪になった八月踊りも、歌い踊れる人が少なくなっていった。何とか復活させなければいかん」

 

 薩川集落出身で唄者の柳沢茂平さん(90)=同町古仁屋=は、1950~60年代の早い時期から八月踊りの継承に危機感を覚えていたという。「昔は遊びといったら島唄や八月踊りしかなく、唄をする人、踊りをする人はたくさんいて何の心配もなかった。それが国の経済成長によって若者は出稼ぎに出て、シマ(集落)に残ったのは年寄りや女性ばかり。各家庭にテレビが普及し、人々の娯楽がそういったものになっていく時代だった」

 

 幼い頃から島唄や八月踊り唄に興味を持ち、先頭に立って踊る父の姿を見ていた柳沢さんは1982年、自身の記憶、父や年配者から聞き書きしたメモ、さまざまな文献を基に、手書きの歌詞集を作成した。150部ほど印刷して各家庭に配ったほか、本土の郷土会にも送った。

 

 集落では区長や公民館長を中心に、映像を残そうという機運が次第に高まり、2001(平成13)年に老人会と、撮影係として同集落の里道広さん(63)の協力を得て踊りを収録。踊りを収めたビデオテープを各家庭に配布した。

 

 しかし、よほど継承への危機感や興味がなければ、それを活用しようとする人は少なく、継承活動は進まないまま月日は過ぎていった。

 

 薩川の八月踊りは薩川にしかないものだから、何とかつないでくれ―。柳沢さんの思いに応え、まず立ち上がったのが芝田美保子さん(68)だった。

 

 「他集落の豊年祭に行っても、最後の締めくくりに八月踊りがないところもある。太鼓をたたいても誰も続く人がいない。やっぱりね、寂しいじゃない。私もそれまでは後ろからついていき、踊りをまねをするだけだったが、いつまでも先輩たちに甘えてばかりはいられないと思った」

 

 芝田さんは18年5月の集落総会で、八月踊り教室の開講を提案。若い世代の賛同を得て教室を開くことが決まった。

 

 ◆世代超え学び合う

 

 10月の練習日、記者が薩川集落公民館を訪ねると、未就学児から90代まで、多世代の住民約30人が集まっていた。教室では歌詞集を見ながら唄の練習をした後、輪になって歌いながら踊る練習を繰り返す。

 

 「今日(きゅう)ぬ誇らしゃや 何時(いてぃ)よりも勝り 何時む今日ぬ如(ぐとぅ)にあらち給(たぼ)れ」

 

 薩川の八月踊りは踊り手が集まるまでの足なれ踊り「ほこらしゃ」から始まり、「にぎたい」「天(あめ)ん川(こー)ら」「犬ぬしばり」と続く。

 

 中心となって指導するのは永岡タツミさん(91)だ。90代とは思えない声量と身軽さで先頭に立ち、手本を示す。歌う速さや出だしのタイミング、振り付けの間違いなど少しの狂いも見逃さず、「ちょっと待ったい」と指導を行う。

 

 「私たちの代がいなくなったら唄も踊りもできなくなる。年をとったら、喉もからからになるし、あっち迷い、こっち迷い。でも若い世代が熱心に習ってくれるから、私も頑張ろうと思う」。若い世代が真剣に取り組む姿勢が、永岡さんの活力になっているようだ。

 

 教室では永岡さんの片腕となって、踊りを学び教える側となっている芝田さんは「教室を始めたらやっぱり全然違う。みんなの踊りがそろうようになった」とその成果を喜ぶ一方、「課題は唄。踊りは後についてまねをすればできるが、唄が出なくなれば踊りもできなくなる」と継承の難しさを口にし、表情を引き締めた。

 

 ◆学校を巻き込んで

 

 集落にある薩川小学校は八月踊りを教育活動に取り入れている。きっかけとなったのは01年のビデオ収録だった。当時の校長だった逆瀬川逸子さん(69)=和泊町=は「誰もいない夏休みの校庭で、そろいの衣装を着て踊る老人会の方々の姿、せめて映像を残しておけばと、思いの強さに感動した。記録に残すことも大事だが、今の子どもたちに伝えるため、教育活動に取り入れたいと思った」と振り返る。

 

 同校には他集落や島外から引っ越してきた子どもも通っている。当初は地域住民から薩川の踊りを教えることに反対する声もあった。逆瀬川さんは「集落によって違うのは承知の上。唄や踊りを形として覚えておけば、どの集落に入っても、その地域の踊りを覚えるきっかけにできるのでは」と説得。地域住民を「ふるさと先生」として学校に招き、学習を始めることが決まった。

 

 総合的な学習の時間を使った八月踊りの学習は今も続けられている。その効果は大きく、公民館の教室でも、子どもたちが率先して唄や踊りに取り組む姿がある。

 同校6年の浅香雄士君(12)は「1年生の時から授業で学んでいる。方言は難しいが、4、5曲は覚えた。もっと踊りを覚えたい」と声を弾ませた。

 

 ◆若手が後押し

 

 同集落の人口は現在32世帯57人。うち2世も含めたIターン者は3世帯いるが、伝統を受け継ごうとする意識は高い。

 

 木下妙市さん(51)家族4人は18年3月に移住。教室が始まってからは一家全員で参加している。夫婦2人とも同集落出身ではなく、踊りは一からの勉強となるが、妻ののぞみさん(32)は「子どもも学校で八月踊りを習ってくるので、一緒に頑張らなきゃ」と意欲的に踊りを学んでいる。

 

 「若い世代が一生懸命、興味を持って頑張ってくれているので、年配者は張り合いがあるようだ」と里ゆかり区長(62)。「踊りを覚え、来年(19年)のみなと祭り(町の夏祭り)に参加するのが目標」と意気込んだ。

 

 八月踊りは奄美の貴重な文化遺産。世代を超え、思いを一つにした薩川集落の取り組みに学ぶことは多い。

 

 柳沢さんは自身が作成した「八月踊り唄集」の中で継承への思いを次のように記している。

 「八月の踊りの歌詞は心して読むとき、その比喩の巧みさと味わいの深さに驚かされ、わが先人たちの情緒の豊かさを誇らしく思う。(中略)祖先が残したこの貴重な素晴らしい文化遺産を間違いなく次の世代へと受け継ぐのは、現代に生きる郷土人全体の責務だと思う」

 芝田美保子さん(右)に合わせ、踊りを練習する子どもたち

芝田美保子さん(右)に合わせ、踊りを練習する子どもたち