対馬丸の悲劇 わが身として 沖縄県・宇検村平和交流事業

多くの対馬丸犠牲者が漂着した宇検村宇検の船越浜で、生存者の証言を音読する参加者ら=24日、宇検村

多くの対馬丸犠牲者が漂着した宇検村宇検の船越浜で、生存者の証言を音読する参加者ら=24日、宇検村

 太平洋戦争中、沖縄から多くの学童を乗せて渡航していた疎開船「対馬丸」が米潜水艦に攻撃され多くの犠牲者が出た事件を学ぼうと24日、沖縄県の小中学生が犠牲者が流れ着いた宇検村宇検を訪れた。参加者は慰霊碑が立つ船越(フノシ)海岸で黙とうし、犠牲者の冥福を祈った。25日に同所で開催される慰霊祭にも参加する。

 

 対馬丸は1944年8月21日、学童や一般疎開者を乗せて那覇港を出港。22日、鹿児島県悪石島沖で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈没した。判明分だけで学童約800人を含む1400人以上が犠牲になった。

 

 悪石島沖で被害に遭った人々は漂流し、宇検村や大和村、瀬戸内町などに漂着。宇検村宇検の船越浜には、当時の悲惨な事件を忘れないようにと2017年3月、慰霊碑が建立された。

 

 これを機に沖縄県と「対馬丸平和学習交流事業」が昨年から始まった。今回は沖縄県から小中学生16人、保護者14人の計30人が参加。宇検村側からも小中学生5人、保護者2人が参加した。

 

 多くの遺体が漂着した船越浜で、児童らは当時救助に当たった宇検村民の証言資料を音読。「『沖縄の人は仏様をとても大切に思っているから、いずれ必ず遺骨を引き取りに来る』と言われ、一体一体山の方に頭を向けて埋葬した」「死体はひどいにおいだったので、配給物資だった焼酎を口に含ませて死体の埋葬にあたった」などのエピソードを読み上げた。

 

 参加した那覇市の小学5年生、金城未侑(みゆ)さん(11)は「学校で対馬丸のことを知り、自分で現地に行って学びたいと思った。当時、もし私だったら対馬丸に乗る方を選んだかも。沖縄の地上戦の惨状を見るのはもっとつらそう」と、当時の状況を自分の身に置き換えて戦争に対する理解を深めていた。

 

 主催した沖縄県子ども生活福祉部の榊原千夏課長は「一体一体大切に埋葬してくださった宇検村の方々に感謝の気持ちで訪れている。平和の尊さを学ぶためにも今後も続けていきたい」と話した。