復帰65年の奄美見つめる 沖縄の「復帰っ子」前泊さん

復帰65年の奄美を見つめる前泊さん=18日、那覇市議会本会議場

復帰65年の奄美を見つめる前泊さん=18日、那覇市議会本会議場

 1972年、沖縄が本土に復帰した年に生まれた「復帰っ子」で、那覇市議の前泊美紀さん(46)。沖縄県復帰っ子連絡協議会の代表を務め、同じ年の仲間たちと復帰を学び語り合う場をつくってきた。毎年12月には奄美を訪れ、奄美の復帰っ子や復帰の語り部たちとも交流を続ける。年数を経るにつれ復帰を直接知る人たちは減り、復帰をどう伝えるかが課題となる。前泊さんは「奄美の背中を見ながら沖縄の節目に備えていきたい」と話し、復帰65年の奄美を見つめている。

 

 30歳のとき初めて「復帰っ子」のイベントに携わった。「復帰っ子というだけでいろいろな業種、地域の人が集まって面白かった。結束力があるというか、一つ上や下の世代からうらやましがられた」(前泊さん)

 

 当時は沖縄ケーブルネットワーク(OCN)の記者兼キャスター。米軍基地など課題の残る復帰ではなく、市民レベルの「生活としての復帰」を伝えた。OCNの仕事で奄美の復帰を知り、関心を抱くようになる。

 

 沖縄の復帰30周年の翌年、初めて奄美大島を訪れた。奄美の専門学校に進学した沖縄出身の学生たちを取材。奄美を選んだ理由が「東京や大阪だと親が反対するが、奄美なら沖縄と近いから」というコメントがあった。奄美=沖縄というイメージが少なからずあることを実感する。

 

 折しも奄美復帰50周年。節目を機に奄美の復帰っ子と交流することを思い立ち、その年の12月に奄美で座談会を開いた。奄美の復帰っ子に「このままだと沖縄の復帰は風化する」と指摘され、復帰っ子の役割を真剣に考えるようになる。

 

 35歳のとき、復帰っ子の県議・市議を集めてシンポジウムを開いた。責任世代に入ったこともあり、政治的な課題も含めて沖縄の復帰と向き合った。同年、沖縄県復帰っ子協議会を設立。2008年、「新聞は復帰をどう伝えたか」をテーマに、当時の新聞記者や奄美と沖縄で2度の復帰を経験した元沖縄県教育長の津留健二さんを招いた。09年、「市場の中心で経済を叫ぶ」と題し、復帰の年にできた公設市場で今後の沖縄経済について語り合った。

 

 那覇市議に当選後も復帰っ子の活動に携わり、奄美の語り部とも交流を続けてきた。毎年12月には奄美を訪れ、子どもたちへの復帰の継承に立ち会う。

 

 前泊さんにとって奄美は復帰の先輩であり、沖縄の復帰をより広い視点で捉えるための比較対象でもある。

 

 「復帰経験者の高齢化で伝承の形も変わってきているが、奄美の復帰はしっかりと若い世代に受け継がれている。沖縄には5・15平和行進があるが、奄美ほど復帰にフォーカスした取り組みはなかなかない」

 

 生活がドラスチックに変わった奄美とは違い、沖縄は基地問題を引きずったまま。今も復帰運動のさなかだという人も多い。

 

 前泊さん自身も、沖縄は復帰を達成したとはまだ言えないと感じている。政治家として目

指すは、財政依存からの脱却と自立型経済の実現だ。

 

 奄美の存在は大きな原動力。

 

 「復帰は互いを知りともに発展するための一つの要素。節目ごとに新たな関係を築き、手を取り合っていきたい」

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 まえどまり・みき

那覇高校卒、琉球大学大学院法学修士(刑法)。2001~07年沖縄ケーブルネットワーク、08年沖縄建設新聞で記者職を経た後09年那覇市議に初当選。現在3期目。

(沖縄・佐久本薫通信員)