徳之島・秋徳湊の戦いの地、慰問

薩摩軍侵攻から410年の節目に、先祖の霊を慰める子孫ら=28日、徳之島町亀徳

薩摩軍侵攻から410年の節目に、先祖の霊を慰める子孫ら=28日、徳之島町亀徳

  今年は1609年の薩摩軍の奄美・琉球侵攻から410年。徳之島でも「秋徳湊の戦い」で多くの戦死者が出たとされている。郷土を守るため犠牲になった総大将の佐武良兼(さぶらがね)、思呉良兼(めごらがね)兄弟の子孫ら13人は28日、戦いのあった徳之島町亀徳の秋津神社など、ゆかりの地を訪れて先祖の霊を慰め、侵攻の歴史に思いをはせた。

 

 慰霊探訪は、子孫で構成する松山共同墓地組合(藤島正廣組合長)が主催。今年が410年の節目に当たることから、20009年以来10年ぶりに開催した。

 

 一行は兄弟が居住していた秋津神社を慰霊参拝。徳之島の初代大親(うふや)首里之衆(しゅりのしゅう)の居住屋敷や町内に点在する先祖の墓参りを行い、自身のルーツを確認した。

 

 第15代子孫で同組合顧問の義岡明雄さん(81)=伊仙町伊仙=は「秋徳湊の戦いは子孫でも知らない人がいる。侵攻の歴史を風化させずに次世代へ伝えていくため、節目節目で活動を続けたい」と話した。

 

 子孫に伝わる祖先系図の付録文書「三家録(さんけろく)」によると、薩摩軍は旧暦3月20日、樺山久高を総大将とする75隻の軍船で秋徳湊に攻め入った。陸上戦では薩摩軍を追い返したものの、軍船からの鉄砲攻撃に敗れ、双方合わせ300人超の犠牲者が出たとされる。