歌詞、歌い方に変遷? 復帰の歌論争

石神京子さん所有の「日本復帰の歌」の楽譜(上)と、現代の歌い方で記された楽譜(『るりかけす第51号』より)。網掛け部分は今回指摘された箇所

石神京子さん所有の「日本復帰の歌」の楽譜(左)と、現代の歌い方で記された楽譜(『るりかけす第51号』より)。網掛け部分は今回指摘された箇所

 太平洋の潮音は わが同胞の血の叫び―。奄美群島の日本復帰運動を象徴する愛唱歌「日本復帰の歌」(久野藤盛氏作詞、静忠義氏作曲)の冒頭である。1951(昭和26)年7月19日、奄美市名瀬の名瀬小学校校庭で開かれた「第1回郡民総決起大会」で初披露された。この曲を巡り、一部で論争が起きている。歌詞や歌い方が変化しているという。関係資料や復帰経験者の話から状況を探った。

   (富川真智子)

 

 □■潮音の

   読み方は■□

 

 発端は本紙11月19日付の読者投稿欄「ひろば」に掲載された談論だ。執筆者は自身の記憶から歌詞1番の「潮音」が「しおおと」「しおのね」ではないかと投げ掛けた。

 

 同26日付の投稿では、別の男性が「この歌が歌われたのは市民集会・郡民集会の場。(デモ行進では)歩調に合わせて一音一音力を込めて行進曲風に歌われた」と分析し、「当初は『しおのと』であったものが『しお・おと』と歌う人が多くなり、定着していった」と考察した。

 

 投稿が掲載された26日、編集局に女性が訪ねてきた。奄美市名瀬の石神京子さん(80)。古い楽譜を示しながら「『しおのと』が正しい」と言う。

 

 奄美群島が日本に復帰したのは53(同28)年12月25日。石神さんは大島女子高校に通う15歳。当時配られたという楽譜からは「しおのと」の文字が確認できる。「曲は一生懸命練習したから体に染み付いている」と語る。

 

 石神さんからの情報を受け、約1カ月かけて書籍や映像、音源を収集した。楽譜や歌詞を検証した結果、12件全てが「しおのと」の歌詞または発音だった。わざわざ漢字にルビを振ったものもある。

 恐らくひろば投稿者の考察通り、デモ行進などで歌った経験のある人は「しおおと」と記憶しているのではないだろうか。

 

 □■歌い方も

    変遷か■□

 

 石神さんはさらに興味深い説も提起した。一部の歌詞の歌い方が昔と現代で異なっているという。

 

 文字で表記すると、2番の「スローガン」は▽「スローガン」(現代)▽「スロガン」(石神さんの古い楽譜)―の2パターン。

 

 4番の「いざや団結」は①「いざやー/だんけーつ」(現代)②「いーざや/だんけつー」(石神さん楽譜)③「いざやーー/だんけつー」(「奄美群島日本復帰五十年の回想」より)―の3パターンに分かれた。

 

 小さな違いに見えるが、実際に聴いてみると歌詞と音符の乗せ方が完全に異なる。

 

 石神さんは「復帰50周年のころから違和感を感じていた。顕著だったのは11月24日に奄美図書館であった全国奄美人大会シンポジウム。郷友会会員と地元の人の歌い方が違っていた」と指摘し、歴史は正しく伝えるべきと訴える。

 

 東京奄美会主催の復帰50周年記念式典(2003年11月)の映像では、「いざや団結」の場面で、周囲と合わず戸惑いの表情を浮かべる人も確認できた。

 

 今回の取材では歌唱の変遷が故意によるものか否かは分からなかったが、女声合唱団「ラ・メール」の築島成子主宰(85)は「時によっては歌い方が変わることもある」と語る。

 

 築島さんは「私自身は琉球大学在学中だったため当時ほとんど歌った記憶はない」と前置きしつつ、「どちらが正しいかは別として、スムーズに歌いやすいよう自然のうちに変わったのかもしれない」と推測した。

 

 地の底から声を振り絞るように低音から始まる歌い出し。そして「鉄の意志」「民族自決」などと連なる歌詞は、人々の燃える血潮と涙を実感できる貴重な教材といえる。復帰を語れる経験者が少なくなる今、関連曲も先人の軌跡を次世代へつなぐ無形遺産の一つだ。これらの疑問点について今後検証が必要ではないだろうか。