津代古戦場跡で慰霊の集い 薩摩侵攻の歴史に思いはせ 奄美市笠利町

ソテツの葉をささげ、手を合わせる参列者=14日、奄美市笠利町

ソテツの葉をささげ、手を合わせる参列者=14日、奄美市笠利町

 1609年に薩摩軍が奄美・琉球侵攻のため上陸し、島民と戦闘があったとされる奄美市笠利町手花部の津代古戦場跡で14日、「慰霊のゆらい(集い)・水花香」があった。参列者は戦闘で犠牲になった先祖の霊を慰め、奄美の歴史に思いをはせた。

 

 市内外の有志による三七(みな)の会が主催した。会は薩摩軍が上陸した旧暦3月7日にちなんで命名。1997年から「ゆらい」を続けている。

 

 三七の会によると、同古戦場跡付近には現在も遺骨や無縁墓が点在している。参列者は、墓石代わりに並べたサンゴ石の前にソテツの葉をささげ、手を合わせて拝礼した。

 

 参列者で車座となり、語る会もあった。三七の会の薗博明さん(84)は「祖先への敬愛は奄美の文化だと思う。ゆらいを今後も続けていきたい」と語った。参列者からは「津代は鹿児島本土と奄美群島との関わりの歴史を示す大切な場所」「津代付近の古道が倒木などで行き来できなくなっている。地域を挙げて保存や活用に取り組むべきではないか」などの意見もあった。

 

 津代古戦場跡は奄美市の指定文化財。大奄美史(昇曙夢著)によると、薩摩軍は樺山久高を総大将に約150人で攻め入った。津代では笠利の大親が3千人を率いて応戦したが、船上からの火器(鉄砲)攻撃に歯が立たず退却、大親が捕らわれたため降伏したとされる。