特攻兵だった父の恩人探す 石川県の越村さん 大和村に不時着し生還

戦闘機の前で仲間と共に写真に写る宰さん(後列右端、提供写真)

戦闘機の前で仲間と共に写真に写る宰さん(後列右端、提供写真)

 75年前、父を助けてくれた奄美大島の方に会いたい─。太平洋戦争中に特攻隊として出撃し、大和村今里に不時着した父・越村宰(つかさ)さんについて、息子の知史さん(52)=石川県金沢市=が情報を求めている。宰さんは古里に戻って家庭を持ち、74歳で亡くなった。知史さんは「父が生きていなければ私も、子どもたちも生まれなかった。家族で奄美へ行き、一言お礼を伝えたい」と話し、当時を知る人を探している。

 

 宰さんは終戦間際の1945年5月26日、「隼血風隊」として18歳で鹿児島県の知覧基地を飛び立ち、同日、自機の整備不良で奄美大島に不時着。右目と右手の指を失う大けがを負うも奇跡的に生還し、病院で終戦を迎えた。

戦時中大和村に不時着した父・宰さんを知る人を探している越村さん(提供写真)

戦時中大和村に不時着した父・宰さんを知る人を探している越村さん(提供写真)

 

 詳しい場所はこれまで分かっていなかったが、知史さんが今年8月13日に情報を求めて南海日日新聞社に連絡、大和村誌に記された「越村伍長」が宰さんであることを確認した。

 

 記録によると、宰さんの戦闘機は黒煙を出しながら大和村今里の山中に落ち、炎上。宰さんは住民に救出され、集落防衛隊の宿舎で療養後に、軍司令部のあった瀬戸内町へ搬送された。大和村では村長と娘、女性教諭らの看病を受けたらしい。

 

 終戦後しばらく東京で過ごし、結婚を機に1967年に石川県に帰郷。41歳の時に一人息子の知史さんが生まれた。生前積極的に戦時中のことを話すことはなかったが、時折「自分だけ生き残ってしまった」と周囲に漏らしていたという。知史さんは「元特攻隊ということで、複雑な思いがあったのだと思う」と推測する。

 

 宰さんは2000年から、妻栄子さんと共に全国52カ所の護国神社巡りを始めた。しかしその翌年、31カ所を残し死去。その後、1人で参拝を続けた栄子さんも08年、20社を訪ねたところで亡くなった。

 

 「父から旅の理由も特に聞かされていなかった」という知史さんだが、宰さんの部屋に残された回想録や大量の戦争資料を見て心を揺さぶられ、両親の遺志を継ぐことを決意。12年から家族で神社参拝を開始し、18年7月に全ての参拝を終えた。

 

 旅の合間には、宰さんら第110振武隊(隼血風隊)が出撃した知覧も訪問した。知覧特攻平和会館では、隊の仲間と共に写真に写る10代の宰さんを発見。「父の義眼、指先のない右手、体中にあった傷痕、酒に酔ってこぼす言葉の本当の意味を知り、何とも言えない気持ちになった」。

 

 神社巡りを終え、知史さんは今年の冬か来年春に家族で奄美大島訪問を計画している。知史さんは「戦後75年。当時を知る人と会えるのは最後のチャンスかもしれない」と話し、「家族の恩人」でもある奄美の住民との対面を期待している。

 

 連絡先は電子メールsstar0423j@gmail.com。