私たちの今「奄美のおかげ」 紙面登場45年ぶり、元尋ね人

中津留瑞良さん、直美さん夫妻=28日、奄美市名瀬の南海日日新聞社

中津留瑞良さん、直美さん夫妻=28日、奄美市名瀬の南海日日新聞社

 福岡県久留米市の中津留瑞良さん(60)、直美さん(58)夫妻が28日、南海日日新聞社を訪れた。瑞良さんが写真付きで紙面に載るのは1973(昭和48)年以来、45年ぶり。当時は14歳の中学生で「尋ね人」。還暦を機に一念発起、恩人を探しに今年4月、5月と奄美大島を訪れた。恩人は他界していたが、その家族と触れ合い、位牌に手を合わせた。そして「あらためてお礼に」と今年3回目の来島となった。

 

 瑞良少年は水泳強豪校の水泳部主将として市大会総合10連覇を託されていた。先頭に立って部員にはっぱを掛けた。あまりの練習のきつさに部員が1人、2人と退部していった。少年は悩んだ。「半ばうつ状態だった」と振り返る。

 

 2月4日、書き置きを残し家を出た。鹿児島本線で鹿児島まで下り、さらに船で奄美大島へ。名瀬に着いて、古仁屋に向かった。古仁屋から家へはがきを出した。

 

 「山を歩いていたら親切な人たち6人が次々に車に乗せてくれた。いま食堂でうどんを食べながらこのはがきを書いています、おとうさんやおかあさんの知らないところにきていますが、とても親切な人ばかりです。早くおとうさんとおかあさんに会いたいのですが、いまはお金が443円しかありません…男の意地で居所はいえない」

 

 少年は一晩古仁屋で過ごした。翌朝、うどん屋で朝食をいただいた。店を出る際、持っていた2百円札2枚を差し出した。店主は「これからいるだろう」と受け取らなかった。

 

 少年はバスで名瀬に戻った。残金はさらに減ったが腹はへる。ラーメン屋に入った。そこで「住み込みで働かせてほしい」と願い出た。店主はどこかへ電話した。しばらくしてラーメン屋の仕入先の精肉店の男性店主が来店し、引き取られた。

 

1973年2月10日付本紙掲載の「尋ね人」記事

1973年2月10日付本紙掲載の「尋ね人」記事

 当時の新聞にある男性店主の話「孤児院出身の歳ということだったので同情して住み込ませたのですが、素直で頭のいい子でした」。

 

 足がついたのは、はがき。古仁屋郵便局の7日付消印があった。両親は2人で営んでいた精肉店を休み、奄美大島に飛び、南海日日新聞に尋ね人広告を出した。記者は顔写真付きの記事にし、紙面に載せた。いずれも2月10日付。

 

 「瑞良君は約1・58㍍ぐらいの中肉で、顔形はおも長の坊主頭。着衣はクリーム色ジャンパーと青色ジーパン。ゴム底の短ぐつを履き、茶色のカーボイハットをかぶっている」

 

 少年は偽名を使っていたが、その日のうちに見つかった。11日付には「親切身にしみた家出少年―無事両親のもとへ―本紙の『尋ね人』でわかる」との続報が掲載された。少年と両親は抱き合って泣いた。精肉店主には「うそをついて本当にすいません」と泣いてお礼を言って帰っていった。

 

 久留米に戻った少年は、退部した部員宅を訪ね歩いて頭を下げた。仕切り直して部活動を再開し、市大会10連覇を達成して伝統を後輩に引き継いだ。

 

 現在、瑞良さんは精肉店や飲食店など展開する㈱中津留の代表取締役。グループ社員は100人超。長男に精肉部門、次男に飲食部門を任せている。

 

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 今年4月、夫婦で来島した。街並みは様変わりしていた。手掛かりすら得られなかった。

 

 そこで直美さんは大阪朝日放送の人気番組「探偵!ナイトスクープ」に事情を記した依頼文を出した。番組側から「手掛かりは無いか」と問われ、直美さんは義母に尋ねた。仏壇の下に「尋ね人」が掲載された黄ばんだ新聞がきれいにたたまれ、しまってあった。

 

 瑞良さんは5月、番組収録のため日帰りで来島。街中の精肉店などを訪ねた。そして続報記事が決め手となって恩人の家族と対面した。番組は6月に関西、7月に鹿児島で放送された。福岡での放送は8月26日未明だった。

 

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 今回の来島で夫妻は新聞社や番組収録で会った精肉店主、そして恩人の家族宅などを訪ねた。

 

 新聞社で、瑞良さんは「私たち夫婦、そして家族、会社の今、いやそれだけではない中学校の水泳部10連覇も奄美大島で優しく親切な人たちにお世話になったおかげ。感謝しても仕切れない」。繰り返し奄美話を聞かされてきたという直美さんは「そうですよね。本当にそうですよ」と目頭をおさえながら何度もうなずいた。

    (佐藤正哉)