西古見砲台跡を初確認  瀬戸内町教育委員会戦跡調査

瀬戸内町教育委員会の呼び掛けで、発掘された砲台跡を見学する地元住民ら=1月27日、瀬戸内町西古見(同教委提供)

瀬戸内町教育委員会の呼び掛けで、発掘された砲台跡を見学する地元住民ら=1月27日、瀬戸内町西古見(同教委提供)

 瀬戸内町教育委員会が進めている同町西古見の近代遺跡(戦争遺跡)砲台跡の発掘調査が1月7日~2月1日に行われた。遺跡を覆っていた土や草木を除去し、砲座を初確認。町教委社会教育課埋蔵文化財係の鼎丈太郎さんは「大正期に造られた砲台跡を発掘するのは全国でも例がなく、どういう兵器がどう使われていたのかを確認できた」と調査成果を強調した。

 

 発掘調査は国の文化財指定を目指し、2017年度から取り組む町内戦争遺跡の内容確認調査の一環。国史跡「東京湾要塞跡」の調査を担当する横須賀市教育委員会職員を招いて行われた。

 

 西古見砲台は旧日本陸軍が大正期に構築した奄美大島要塞の中核を成す砲台の一つ。海峡内にある4カ所の砲台で唯一28糎(せんち)りゅう弾砲が置かれていた。実際に兵器が設置されたのは1940年ごろとされている。

 

 発掘した砲座の直径は約5・5㍍。明治期のレンガ造りから鉄筋コンクリート造りになったことによる工法の変化、弾薬庫から弾薬を運ぶための道路などを確認した。

 

 合わせて周辺の弾薬庫の調査も実施。弾薬庫は壁の厚さを約1・5㍍とし、防水、排水が徹底された構造となっていた。近くの川を利用した給水施設も確認した。

 

 当時米軍が撮影した航空写真や文献によると、砲座は周辺に全4基あったとみられ、今後も調査を進める。

 

 1月27日には地元住民に呼び掛けて現場を公開。住民ら約20人が参加し、鼎さんから戦争遺跡の概要や調査内容を聞いた。参加した女性(75)は「小さい頃は怖くて近づけなかったが、地元にこんな遺跡があることに驚いた」と話していた。

 

 鼎さんは「地元に遺跡がある意味合いを伝えていかなければ知られないまま壊れていくだけ。さらに調査を進め、伝えていきたい」と話した。

 

 現在、同集落から戦争遺跡に続く県道は台風被害の修復工事中で通行止めとなっており、町教委では来年度以降に一般向けの現場公開イベントを開催予定。