島で生きる③ 20代で脱サラ起業、奮闘中 奄美市の迫田真吾さん(39)

ウェブセミナーで、フリーランスやウェブを活用した事業を目指す人たちに解説する迫田さん=2月28日、奄美市名瀬

ウェブセミナーで、フリーランスやウェブを活用した事業を目指す人たちに解説する迫田さん=2月28日、奄美市名瀬

 本場大島紬の伝統柄を表現した文房具。龍郷柄や秋名バラ、白大島もある。開発したのは奄美市名瀬のグラフィックデザイン事業「アビコムデザイン合同会社」。代表社員の迫田真吾さん(39)は名瀬出身。「20代で脱サラ!奄美で起業するとどうなるか?」と題したブログは、この10年の奮闘記だ。帰島を決めたきっかけは、1冊の本だった。

 

 起業したいと考えるようになったのは関東の大学に進学してから。当時は2000年になったばかり。インターネットが急速に普及し、折り畳み式の携帯電話が主流に。東京ではIT企業が勢いを増していた。希望通り、IT企業に就職。一からビジネスを立ち上げるベンチャー企業でも働いた。最先端の業界ではあったが、当時はまだ過酷な労働環境。満員電車に揺られ、朝から深夜まで働き詰めだった。

 

 ある日、たまたま入った書店で「南の島のたったひとりの会計士」(屋宮久光著、2006年)という本に出合った。偶然にも同じ奄美の人が書いた本だった。書かれていたのは主産業が育たず、奄美群島振興開発特別措置法による補助金に依存した島の経済状況。衝撃を受けた。

 

 30歳は目前。そろそろ自分を試してみたい。思い切って脱サラし、島に帰って少しでも貢献しようと夫婦で奄美に引っ越した。

 

 まずは情報収集。1年ほど働こうとハローワークを訪ねた。「パソコンを使った仕事」「月給28万~29万円」と記入すると担当者に言われた。「そんな仕事は島にはない。さらに10万円引いてください」。衝撃だった。

 

 家賃は5万~6万円。夫婦共働きじゃなければとても家族を養えない。島の厳しい現実にぶつかった。

 

 半年の会社員経験を終え、2011年に今の会社を立ち上げた。当時の奄美ではインターネット上で情報発信するウェブに力を入れる企業はまだ少なかった。飛び込み営業をしてみたものの、企業の反応はいまひとつ。資金面の厳しさも追い打ちをかけた。運転資金は1年目で底をつき、イライラする生活が続いた。銀行から借り入れようにも実績がない。親に頼らざるを得なかった。

 

 ウェブの仕事はウェブで取ると決め、思い切った営業戦略にかじを切った。口コミで評判も広がり、徐々に経営が軌道に乗った。デザイン開発した大島紬柄の文房具は、コンテストで受賞するまでになった。

 

 これからの時代は、奄美でも自分のような起業家やフリーランスという働き方も増えると思う。ただし、目前に控えた世界自然遺産登録は、奄美のフリーランスにとっては脅威でもある。商機とみた本土の企業によって仕事が奪われる恐れもあるからだ。

 

 重要なのは「自分自身のブランディング」。自分の仕事の値をたたかれてはモチベーションが保てない。「常に進化が求められている」

 

【プロフィル】さこだ・しんご 1982年生まれ。奄美市名瀬出身。朝日中、大島高、茨城大大学院修了。東京でIT企業に勤める。2011年奄美で起業。