◎奄美豪雨災害10年⑤ 浸水害の教訓

2020年10月21日

地域

2011年9月の豪雨災害を忘れないよう、柱に付けた浸水の高さの印を指さす山口さん=10日、龍郷町下戸口

2011年9月の豪雨災害を忘れないよう、柱に付けた浸水の高さの印を指さす山口さん=10日、龍郷町下戸口

   「100年に一度のはずの豪雨が2年連続でやってきた」。龍郷町下戸口の山口敏美さん(76)はさらに言葉をつなぐ。「泥まみれになった家の中を見て言葉にならないくらいショックを受けた。『正直に生きてきたのに、なんでこんな目に遭うんだ』って」。

 

 奄美豪雨災害の翌年2011年、奄美大島では前年に匹敵するほどの災害が2度も立て続けに発生した。9月の奄美大島北部豪雨と、11月の同南部豪雨。

 

 県がまとめた「奄美地方における集中豪雨の記録」によると、10年10月豪雨による奄美大島での浸水などの住家被害は1430棟。一方、11年9月豪雨と11月豪雨の両方の住家被害を合わせると計1430棟に上り、前年の被害数と同じになる。

 

 龍郷町では、10年10月の住家被害が378棟だったのに対し、11年9月はこれを上回る400棟。幾里や浦、大勝、中勝、下戸口、中戸口などの各集落で2年連続となる浸水害が発生した。

 

 下戸口は集落の隣に県管理の大美川が流れ、水害の危険がある地域。とは言え、1983年に建てた山口さん宅が浸水害に遭ったのは2010年10月20日が初めてだった。同日朝に床上まで浸かり、夕方に再び浸水。翌年9月の被害と合わせ、山口さん宅は「1年間に3度の浸水被害」を経験した。最初の浸水害で壊れた家電などを買い替えたが、翌年にもまた駄目になり「テレビは何台買ったか分からない」と苦笑い。

 

 車は10年の豪雨で3台故障させた反省から、強い雨の日は自宅から少し離れた高台に駐車している。家族写真など大切に保管していた物も失ったことから、現在は大事な物は棚などの高い位置へ置くようにし、台風の際は早めの避難を心掛けるようになった。

 

 「災害後に大美川の拡幅工事も行われたが、これで全てが安心とは考えていない。雨が降るたび、川の様子が気になって仕方ない」と山口さん。2度の豪雨災害で学んだのは「人の情けのありがたさと自然の力の怖さ。そして災害を忘れず備えることの大切さ」。

 

 家の中と玄関前の柱には、水が上がった高さが一目で分かるよう、山口さんが当時付けた印が今も残っている。外の柱の印は山口さんの目線とほぼ同じ約1㍍50㌢。水かさが上がるのは一瞬で、安全な場所まで泳いで避難したという。

 

 「あの時の怖さを忘れてはいけない」。山口さんは柱の印を指でなぞり、そうつぶやいた。

 

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 地震、雷、火事、おやじ。昔から「怖いもの」の代名詞とされてきた。最近ではおやじがすっかり鳴りを潜め、代わって「豪雨」が人々を脅かしている。

 奄美豪雨以降、全国各地で大雨による被害が毎年のように発生している。奄美豪雨災害が「100年に一度」「未曽有」などと表現されたのは過去の話。仮に、同規模の豪雨災害がきょう、明日どこで起ころうと、もはや驚きは少ない。「正しく恐れ、備える」「想定外を想定内に」。10年の節目に、あの災害が残した教訓を改めてかみしめたい。(おわり)

 

※この連載は清水良二、富川真知子、山﨑みどり、柿美奈、牧一郎が担当しました。