復帰後の奄美、住民運動考察 「ヤマトに抗う島」トークイベント

2019年05月09日

地域

 

トークイベントで本の内容を紹介する(ステージ上、左から)斎藤さんと前利さん=4月25日、沖縄県那覇市

トークイベントで本の内容を紹介する(ステージ上、左から)斎藤さんと前利さん=4月25日、沖縄県那覇市

「奄美 日本を求め、ヤマトに抗う島」(南方新社)の発売記念トークイベントが4月25日、沖縄県那覇市のジュンク堂那覇店であった。著者の斎藤憲さん(大阪府立大学名誉教授)が、日本復帰後の奄美の主な住民運動を紹介。本土から持ち込まれた振興策や企業誘致について、共通の地理的環境や歴史的背景を持つ沖繩の状況と比較して解説した。知名町職員で奄美の近現代史に詳しい前利潔さんがインタビュアーを務めた。

 

斎藤さんは古代ギリシャ数学史の専門家だが、10年前に沖永良部島で薩摩侵攻400年の記念シンポジウムを聴講して以来、奄美に関心を持つようになった。復帰後の奄美が地域の実情にそぐわない巨額の「奄振」事業や石油基地、核燃料再処理工場など「迷惑施設」の建設計画に揺れていたことを知る。島の人々は自らの地域や利益を守るため、それぞれの立場で懸命に闘った。しかし、こうした運動は住民の99%以上が署名して成し遂げた復帰運動とは異なり、史実として研究されてきた様子はなかった。

 

大学では科学技術史の授業を受け持ち、石油基地の建設計画は守備範囲。本書の共著者で日本現代史や原子力政策が専門の樫本喜一さん(同大学客員研究員)と2010年、本格的な調査に乗り出した。年に7~8回は奄美を訪れ、村議会の議事録や新聞記事などあらゆる関連資料を集めた。住民運動の中心人物や当時を知る人に直接会って話を聞き、資料の整合性を確かめていった。

 

斎藤さんは「みんな自分のシマを守るんだという意識が強かった。驚くような話がたくさんあって、聞くのがとても面白かった」と振り返り、「反対の人も賛成の人もそれぞれ理由があった。その事実をなるべく書こうと心がけた」と話した。

 

前利さんは、奄美と沖繩は米軍による占領、日本復帰、「奄振」「沖振」と呼ばれる特別措置法などで共通する一方、決定的な違いとして「沖繩は一国経済だった」と指摘。そのため復帰で日本経済にどう一体化するかが課題だったが、奄美の場合は復帰の時点で経済が崩壊していた。そこに奄振で一気に大量の国費が投入され、それを巡って住民が対立した、と分析した。

 

イベントに参加した宇検村出身で元琉球新報記者の中村喬次さんは「非常に夢中になって読んだ。知らないことがたくさんあった。奄美でヤマトというときは鹿児島だが、日本に憧れヤマトに抗うというタイトルは言い得て妙。奄美の二律背反性をよく表している」と感想を述べた。