「魔法の紬」に支えられ8年 宮城から移住の渋谷さん

震災を免れた大島紬を着てこれまでの体験を振り返る渋谷陽子さん=11日、奄美市

震災を免れた大島紬を着てこれまでの体験を振り返る渋谷陽子さん=11日、奄美市

 一着の大島紬が、生き抜く強さを教えてくれた―。東日本大震災で被災し、奄美大島へ移住した渋谷陽子さん(40)一家=奄美市笠利町。8年前、知り合いが一人もいない島での移住を決意させ、心の支えとなったのが大島紬だった。黒地に赤、青、白の幾何学模様のラインが走るその紬を身にまとい、11日、震災から8年を迎えた。

 

 渋谷さんは宮城県名取市出身。夫で陶芸家の丹さん(41)と同県亘理町に居を構え、飲食店で働く傍ら、趣味の和服でオカリナ演奏を楽しむ主婦だった。おなかに第1子を宿し臨月を迎えるときに、大地震に襲われた。

 

 海岸との距離はわずか1キロ。「6分後に大津波」というラジオ警報に驚き、慌てて近くの小学校へ避難した。3階から眺めていると、校庭に止めてあった多くの車が津波の濁流にのまれ、音を立てながら沈んでいく。「現実とは思えなった」

 

 2週間後、がれきをまたいで自宅に戻った。浸水し散乱する部屋で、着物を入れていた和だんすからずしりとぬれた着物が出てきた。銘仙は広げたとたんに裂けた。ちりめん羽織は色移りしていた。ぬれて縮んだものもある。ところが大島紬だけが何事もなかったかのようにしゃんとして現れた。「魔法のようだった。『着物を好きでいていいんだよ』と紬に言われた気がした」

 

 1カ月後に無事、第1子を出産。その後2カ月で奄美大島へ移住した。縁も知人もない奄美大島への移住は不安も大きかったが、あの大島紬が気持ちを後押しした。「震災を経てもこんなに美しく、しっかり残った着物。それを生み出せる島なんだから、自分たちもきっとやっていける」

 

 現在、奄美市笠利町で夫とパッションフルーツ農園を営む。地元に友達も増え、3人の子宝にも恵まれた。故郷から離れた生活は決して楽ではなかったが、「この紬を作った人がこの島のどこかにいるかもしれない」という思いが、孤独な気持ちを救ってくれた。

 

 「あの日」から8年。自宅の農園ではパッションフルーツが咲き始め、授粉の季節を迎えている。11日、子どもたちを保育園に見送り、あらためてあの大島紬に袖を通した。奄美との縁を紡ぎ、いろんなことを教えてくれた大島紬。オカリナを奏でて思う。「もう紬の魔法に頼らなくても立っていけるかな」

                                      (柿美奈)