少女時代の友人と涙の再会 奄美で暮らしたミルズさん 奄美市

2019年09月30日

社会・経済 

ラジオ番組収録後、笑顔を見せるミルズさん(左から2人目)と、武さん(左)、田中さん(右)=27日、奄美市名瀬

ラジオ番組収録後、笑顔を見せるミルズさん(左から2人目)と、武さん(左)、田中さん(右)=27日、奄美市名瀬

  65年以上前に遊んだ友人に会いたい―。奄美群島が米軍統治下にあった1952~53年ごろにかけて、当時の奄美小学校付属幼稚園に通っていた米国人のナンシー・ミルズさん(70)がこのほど、友人との再会を夢見て奄美大島に来島した。滞在中、友人の手掛かりを求め地元ラジオ・あまみエフエムディ!ウェイヴ!の番組にも出演。収録中、当時ミルズさんと遊んだという姉妹2人がサプライズで登場し、再会を喜ぶ場面もあった。

 

 ミルズさんは息子のソウル・レイケンさん(28)と共に26日から2泊3日の日程で来島。同日、奄美市内の飲食店であったイベントで同ラジオ局のスタッフに会い、事情を聞いたスタッフが番組出演を交渉した。

 

 ミルズさんによると、米軍人として奄美大島に駐在していた父親が奄美をとても気に入り、軍から特別に許可をもらって妻と娘を奄美大島に呼んだ。ミルズさんは「奄美大島で唯一の米国人の女の子」として当時の沖縄の新聞にも掲載された。

 

 奄美の日本復帰後、20歳ごろに一人で奄美大島を訪ねたが友人とは会えず、今回は息子と一緒に約50年ぶりに来島。「奄美で過ごした幼い頃の経験は私にとって大事なもので、息子にも奄美を見てもらいたかった」と、収録の中で奄美への思いを語ったミルズさん。

 

 幼い頃に覚えた奄美の島唄として「農村小唄」のメロディーを鼻歌で披露したほか、当時一緒に遊んでいた友人がいたことなど、島での思い出を語った。

 

 同ラジオ局のスタッフが事前にミルズさんを知る人を調べ、番組内でのサプライズを企画。ミルズさんと一緒に遊んでいたという同市名瀬の武洋子さんと、田中紀和子さんの姉妹が番組収録中に現れると、互いに感極まって涙。スタジオ内は温かな雰囲気に包まれた。

 

 武さんは「(名瀬)小俣町にあった軍政府(米軍の官舎)へ父親と一緒に行き、ナンシーちゃんと遊んだ記憶がある。外国人の女の子は他にいなくて、ナンシーちゃんという友達がいたことが、自慢だった。まさかまた会えるなんて夢にも思わず、言葉にならない」と声をつまらせた。

 

 当時の奄美は戦後の米軍占領下で厳しい時代。ミルズさんも「島人は米国人に対し、複雑な思いがあっただろう」と推察。そうした中で、「私に対して島の人はみんな優しく接してくれ、その温かな気持ちがうれしかった。時代とともに風景は変わっても島の人の優しさは変わっていない」などと感謝した。

 

 この収録の様子は10月4日の同ラジオ番組「夕方フレンド」で放送予定。ミルズさんは当時の写真も大切に保管しており、その中の一枚でミルズさんと仲良さそうに一緒に写っている「ノリコちゃん」という同年代の女性の情報も求めている。「ノリコちゃん」に関する情報提供は電話0997(55)0777あまみエフエムへ。