水球女子、かごしま国体へ 小川さん、小柄でタフなサウスポー

シュート体勢に入った小川さん=18年10月、日本選手権予選リーグ(父親・禎之さんが撮影)

シュート体勢に入った小川さん=18年10月、日本選手権予選リーグ(父親・禎之さんが撮影)

 2020年のかごしま国体。奄美大島に水球女子の有力選手がいる。小川栞璃(しおり)さん(23)がその人。小川さんは神奈川県横浜市出身。高校、大学時代は国内第一線で活躍した。国際大会の経験も豊富。身長156センチと小柄ながら、豊富な運動量と闘志あふれるプレーが特徴のポイントゲッターだ。卒業後、奄美大島に移住。瀬戸内町蘇刈のホテル「THE SCENE(ザ・シーン)」で働き、水球を続けている。奄美から国体へ―。小川さんの思いは熱い。

 

 ■学生時代は第一線で活躍

 

 小川さんは5歳から、横浜サクラスイミングスクールで水泳を始めた。小学3年生のとき、水球クラスの体験会に参加。「楽しくて始めた」(小川さん)。貴重なサウスポーだったこともあり、「ぜひ入ってほしい」と誘われた。

 中学時代は全国大会でベスト4。高校は名門の秀明英光高校(埼玉県)に進んだ。1年、2年時は全国JOCジュニアオリンピックで優勝した。社会人、大学生が交じる日本選手権では1年、2年時はベスト4、3年生のときはベスト8。

 

 大学は秀明大学。1~4年はインカレ(全国大学選手権)で4連覇。2、3年時は日本選手権も制した。国内の第一線で活躍し、海外での試合も経験した。2020年は東京五輪の有力選手になるはずだった。

 

「奄美は第二の古里」と語る小川さん=19年10月、ホテル「ザ・シーン」

「奄美は第二の古里」と語る小川さん=19年10月、ホテル「ザ・シーン」

 ■奄美大島へ

 

 転機となったのが大学3年生の冬。母親の登志子さん(57)と「海外は無理だけど、ちょっと飛行機に乗って、海のきれいなところに行きたいね」との話になった。行き先は奄美大島。宿泊はザ・シーン。明るく働くスタッフの姿が目に入った。「私もここで働きたい」との思いが込み上げてきた。

 

 「大学卒業後は水球をやめる。奄美で暮らす」。家族に伝えると、ひと騒動になった。「東京オリンピックが終わってから、奄美に行ったっていいじゃない」。姉は言った。小川さんの試合の写真を撮り続けた父親の禎之さん(54)は肩を落とした。

 

 背中を押したのは祖父の誠司さん(享年80)。当時、誠司さんは重い病気にかかっていた。「奄美で暮らす。それもお前の人生だから、いいのではないか」と言ってくれた。「ここで家族を説得できなかったら、自分の意志が弱いということだ」。小川さんの熱意に家族も納得した。「両親も私の意志を確認したかったのだろう」と振り返る。大学卒業後、昨年3月、ザ・シーンに就職した。

 

茨城国体でチームメイトと記念写真。前列左から3人目が小川さん。後列左から3人目が有馬さん=19年9月、土浦第二高校

茨城国体でチームメイトと記念写真。前列左から3人目が小川さん。後列左から3人目が有馬さん=19年9月、土浦第二高校

 ■国体は恩返しの場

 

 しかし、水球の神様は小川さんを手放すことはなかった。「卒業したら水球をやめる」決意で臨んだ大学4年の2018年の日本選手権。小川さんは宿泊先のホテルで鹿児島の女子水球チームを率いる有馬康一さん(65)とばったり会った。小川さんにとって有馬さんはライバルチームの指導者でもある。小川さんは切り出した。

 

 「私、卒業したら鹿児島で就職するんです」「え? それでどこに」「奄美大島です」。有馬さんは驚いた。そして誘ってくれた。「国体を手伝ってほしい」。有馬さんはその後、水泳連盟の若松博文会長と共にホテルに足を運び、「小川さんに水球を続けさせてほしい」と頼んだ。ホテル側は快諾。小川さんは昨年の茨城国体に出場した。

 

 小川さんのホテルでの仕事はコンシェルジュ。勤務時間はおおむね午後1時~同10時。勤務の前や休日を利用して急坂の峠をランニングし、海でトレーニングする。大会の前は有馬さんが指導する原田スイミングスクール(鹿児島市)で練習をする。

 

 かごしま国体へ向けて抱負と決意を聞いた。「水球をしていなければ奄美に来ることもなかったと思う。国体は水球界に恩返しできる場だと思っている」