目指せ、かごしま国体 成年相撲、有力3選手を追う

2020年01月01日

スポーツ

練習で対戦する龍山(右)と大庭

練習で対戦する龍山(右)と大庭

 今年開催される第75回国民体育大会「燃ゆる感動かごしま国体」。10月3日から11日間、鹿児島県内全域43市町村で計79競技が開催される。数多くの競技の中でも奄美群島の住民として注目したいのは、9~11日に奄美市住用町の奄美体験交流館である相撲。県代表候補の多くが大島地区出身ということもあり、選手、競技関係者ともども入念に準備を進めている。半世紀に一度の自県開催大会で県代表入りが期待されている奄美関係選手を紹介する。

 

 昨年8月、国体のリハーサル大会の位置付けで全国教職員大会が奄美体験交流館で開かれた。同大会に県代表として出場したのは龍山和彦(瀬戸内町職員)、住用町出身の大庭勝太郎(鹿児島養護学校教諭)の2選手。けがでチームメートを欠き、1敗も許されない中で予選突破を果たし8強と健闘を見せた。

 

 国体成年の部団体は3選手で競う。県相撲連盟大島支部の重村一人国体強化対策本部長は龍山、大庭と中島勇樹(県体育協会)の3選手を最有力候補に挙げ、「龍山は小兵ならではのスピードが武器。足腰が強く体格で上回る相手にも食い付いていける」「大庭は思い切りのよいつきおしが持ち味。動いて相手のバランスを崩して優位に立つ」「中島は差し身が上手く、前に出る相撲。実力のある相手でも勝ちを狙える」と評価する。

 

龍山和彦

龍山和彦

 ■「小さいからこそできることを」龍山和彦(25)(166センチ、95キロ)

 

 奄美の有望選手の多くは県本土の強豪高校へ進学するが、龍山は地元の古仁屋高校を選んだ。影響を与えたのは2009年の県高校総体の個人無差別級で3位に入り奄美の高校から初のインターハイ出場を決めた古仁屋高の吉見龍之介。当時中学生だった龍山は吉見の活躍を知り「自分も地元からインターハイを」と決心した。

 

 高校3年間は部員1人。社会人の胸を借りて腕を磨いた。12年、高校最後の県高校総体では体重別では準優勝したものの、無差別では入賞できず全国に届かなかった。高校卒業後は近畿大に進学。けがで苦しんだ時期もあったが次第に頭角を現し、4年時の16年には西日本学生相撲選手権で個人準優勝。アマチュア相撲最高峰の全日本相撲選手権へ出場を果たした。

 

 「体が小さいのでまずまわしを取らなければ駄目。ほとんどが自分より大きい相手なので工夫がいる。大会の動画などを見て対戦選手を研究し、イメージをつくって試合に臨んでいる」と話す龍山。「小さいからこそできる相撲を見せたい。支えてくれる家族、仲間の応援に応えるためにも後悔なく最大限の力を出し切る」と力を込めた。

 

大庭勝太郎

大庭勝太郎

 ■「大きな相手にも真っ向勝負」大庭勝太郎(24)(172センチ、110キロ)

 

 大庭は奄美市住用町の東城中出身。高校は強豪の文徳(熊本)へ進学した。県外を選んだ理由について大庭は「文徳に自分よりも小さいが、どんな大きな相手にも真っ向からぶつかっていく先輩がいて、坂元元規さん(現大奄美)と互角にわたりあっていた。小さい選手でも真っ向勝負を学べる場を選んだ」と説明した。

 

 スピードを生かしたつきおしが持ち味。名門の日本大へ進学し、2年時には坂元と共に東日本学生相撲リーグ戦6連覇に貢献し敢闘賞を獲得した。3年時に全国学生相撲個人体重別選手権115キロ未満級で3位。社会人になってからも18年の全九州相撲選手権で個人を制するなど国体へ向け着実に実績を積んできた。

 

 大庭は「地元住用町で開かれる大会を20代半ばという体力的に最良の時期で迎えられるということは縁がなければかなわないこと」と思いを込め、「奄美の相撲関係者にとって節目になる大会。結果を出すだけでなく将来の世代が頑張ろうと思える取組を見せる責任がある」と気合を入れた。

 

中島勇樹

中島勇樹

 ■「今年は全勝の覚悟で」中島勇樹(25)(175センチ、120キロ)

 

 亀津中出身。鹿児島商業高から日本大へ進学した。現在は県体育協会に勤務し選手として職員として国体の成功へ向けて力を尽くす。ほぼ毎日、母校の鹿児島商業へ足を運び、高校生に胸を貸しながら自身も強化に努めている。

 

 大学4年時の16年には東日本学生相撲個人体重別選手権の135キロ未満級で準優勝。18年の全国選抜大学社会人対抗相撲九州大会では県代表で出場し団体3位に入った。奄美ナンバーワンを決める奄美大島相撲選手権では17年、18年と個人一般一部で2連覇。奄美勢トップの一角に躍り出た。

 

 強化委員として高校生の強化にも努める中島は「出場を目標に頑張っている高校生の姿にも刺激を受けている」と話し、「自身の経験で途中の大会は良かったが肝心の国体は駄目ということもあった。年間を通してペースを維持することは難しいが、今年は国体まで全てを勝つ覚悟で臨む」と表情を引き締めた。