鹿児島育英館中学校サッカー部 山平義幸監督(知名町出身) ニュースいんたびゅー

2018年06月26日

スポーツ

「尽きない向上心が大迫選手の原動力」と話す山平監督=25日、日置市の鹿児島育英館中学校

「尽きない向上心が大迫選手の原動力」と話す山平監督=25日、日置市の鹿児島育英館中学校

 サッカー・ワールドカップ(W杯)日本代表のFW大迫勇也選手(28)=南さつま市出身=は鹿児島育英館中学校(日置市)のサッカー部でプレーした。当時の恩師は知名町出身の山平義幸さん(38)だ。プロを目指して島を飛び出した元サッカー少年。夢はかなわなかったが、指導者として育英館中を全国有数の強豪に育てた。大迫は創部当時の1期生。世界の舞台で「半端ない」活躍を見せる教え子への思いを聞いた。

 

 ―サッカーとの関わりは

 

 「小学3年生のとき、スポーツ少年団に入った。当時は沖永良部島の中学校にサッカー部がなく、競技を続けたくて県本土の学校に進もうと決めた。実家はサトウキビやジャガイモを作る農家。小学校を卒業した後、家族で鹿児島市に引っ越した」

 

 ―指導者に転向したときの気持ちは

 

 「大学まで競技を続けたが、プロから声はかからなかった。育英館中でサッカー部を立ち上げたいという話をもらったのは卒業間近の2月。夢をかなえられなかった後悔もあったが、監督として結果を残すために気持ちを切り替えた。大迫はチームの1期生だった」

 

 ―大迫選手を指導した当時の印象は

 

 「飛び抜けた存在になったのは身長が一気に伸びた2年生のころ。体を大きくするため、たくさん食べるよう言い続けた。食事はスポーツの基本。食べられる子は動けるし、鍛えられる時期にどんどん成長していく」

 

 ―指導で心掛けていたことはあるか

 

 「生徒同士の練習なら大迫は簡単にボールを取られないし、シュートも決まる。本人が物足りなさを感じたときは『てんぐになるな、調子に乗るな』と繰り返した。自分が1対1の相手になって壁になった。当時から高い目標を超えたいという気持ちが強い選手。もっとうまくなりたいという向上心は変わらない」

 

 ―W杯での戦いぶりをどう見ているか

 

 「格上の相手にもどんどん挑んでいく姿は本人の持ち味と重なる。コロンビア戦とセネガル戦の前にLINE(ライン)で『点を取って来いよ』」とメッセージを送ると、『頑張ってきます』と返ってきた。ゴールを決めるのが一番の仕事。ポーランド戦はぜひ点を取って決勝リーグに進んでほしい」

 

 ―指導者としての夢は

 

 「全国制覇はもちろん、プロになれる選手を一人でも多く育てたい。奄美出身の子どもたちも教えてきた。いつか沖永良部島からプロになれる選手が出たらうれしい」