島岡さん徳之島伝来「直富主の真壁」の思い語る

2019年03月08日

芸能・文化

(左から)「直富主の真壁」の前で出会いを喜ぶ島岡さんと沖縄奄美連合会の奥田末吉会長=4日、沖縄県立博物館・美術館

(左から)「直富主の真壁」の前で出会いを喜ぶ島岡さんと沖縄奄美連合会の奥田末吉会長=4日、沖縄県立博物館・美術館

 「沖縄が誇る家宝の三線展」には、徳之島伝来で胴部分が現存最古の三線「直富主(なおとみしゅう)の真壁」(まかび)」が展示されている。所有者で神奈川県鎌倉市在住の島岡稔さん(78)=奄美市名瀬出身=が「さんしんの日」に合わせて来沖し、三線への思いを語った。

 

 島岡さんが所有する三線は、徳之島・阿権村(現在の伊仙町阿権)を治めた尚(たかし)家に伝わる名器で、35年ほど前に父親の眞行さん(故人)から譲り受けた。眞行さんの母親は尚家4代目当主の長女。眞行さんが1968年、土地改良事業に長年携わった功績で表彰を受けた際、いとこで6代目の木戸直富さん(故人)から記念にと贈られた三線だ。

 

 1971年1月5日付の南海日日新聞で「146年前につくられた蛇皮線の名器が年の祝いに引っ張りだこ」と紹介されている。「ひと晩中ひいても肩がこらない。弦がやわらかく音もさえている」と評判だった。

 

 三線の箱には「道乙酉(どうおつとり) 渡慶次(とけし)作」「直富主愛用の名器 首里において籾(もみ)参拾俵で買い求めたるものと云う」とある。

 

 尚家の当主は代々「直富」の名を継ぎ、「直富主」と呼ばれ村民に親しまれた。唄や踊りに長け、三線の名手だったと伝えられる。

 

 島岡さんは「渡慶次という人が作った古い三線だとは知っていたが、まさか現存最古とは」と驚く。きっかけは、ラジオ体操仲間が「渡慶次さんという三線職人をテレビで見た」という情報だった。すぐにテレビ局に問い合わせたが詳細が分からず、沖縄の新聞社などを通じて工房を探し当てた。

 

 島岡さんから連絡を受けた「渡慶次三線工房」の渡慶次道政さんは「自分の先祖が製作したものかもしれない」と感動し、「実物が見たい」と要望。島岡さんは昨年10月、三線を携えて43年ぶりに来沖した。

 

 その価値を確かめようと、渡慶次さんと沖縄県立博物館・美術館の園原謙学芸員を訪ねた。園原学芸員が胴の内部を専用の内視鏡カメラで調べたところ、「道乙酉 渡慶次作」との墨書きを確認。1825年に渡慶次という姓の職人が製作したもので、胴が残る三線では最も古いと鑑定された。三線の作りが「真壁型」であることから「直富主の真壁」との名称がついた。

 

 棹に1689年との記述がある「志堅原比屋(しけんばるひや)」が製作年代が確認できているもので最も古いとされている。

 

 園原学芸員によると、胴は棹と比べ劣化が早く消耗品扱いされることが多い。加えて胴内部に銘書きがあるのは極めて珍しく、今回でわずか3例目。1860年製作とされる名器「盛嶋開鐘(もりしまけーじょう)」の胴内部にも「渡慶次築親雲上(ちくぺーちん)」という銘書きがあり、島岡さんの三線と同系統の職人が手掛けたものと考えられる。

 

 島岡さんは「貴重な逸品だと分かっただけでなく、沖縄の宝とまで言われて大変うれしい。大切にしてきたかいがあった」と喜んだ。

 

 島岡さんは「さんしんの日」の演奏会も鑑賞した。「宮廷音楽とあって沖縄の三線はゆったりしている」と奄美三線との違いを楽しんだ。

 

 会場には沖縄奄美連合会の奥田末吉会長も駆けつけ、島岡さんと故郷の話に花を咲かせた。島岡さんは「三線一つでこれだけの縁が生まれるとは素晴らしい」と目を細め、「今までは島の北にばかり関心が向いていたが、これからは南にも目を向けたい」と語った。