「惨劇風化させない」 防空壕跡で慰霊祭 奄美市笠利

慰霊祭で焼香する参列者=6日、奄美市笠利町

  1945年8月6日に奄美市笠利町中金久の防空壕が米軍機に爆撃され、40人の尊い命が失われた惨劇から76年目の同日、跡地で慰霊祭が執り行われた。島内在住の遺族約10人が参加して、み霊を慰め、恒久平和を祈念した。

 

 現場は笠利公民館裏手の山裾。午後1時ごろに米軍機が襲来し、防空壕へ避難した、近くの青年学校の先生や生徒、地元住民ら1歳から74歳までの男女が犠牲になった。うち21人は20歳以下で、多くの若い命が一瞬で奪われた。

 

 慰霊碑は戦後30年の1975年に、遺族らが浄財を寄せ合って建立。6日は参列者一人一人が焼香し、慰霊碑に向かって手を合わせた。

 

 同日は、これまで8年間、遺族会の代表を務めた平田博三さん(79)から、里斉亮さん(44)へ会の代表をバトンタッチ。

 

 平田さんは「戦争の悲劇を風化させず、未来永劫(えいごう)引き継いでいかないといけないとの思いで活動してきた。若い里さんが今回、会長を引き受けてくれて本当に感謝している」。里さんは「ここで起こった戦争体験について平田さんら先輩から聞いて勉強し、下の世代にもしっかりとつないでいきたい」と話した。