保岡さん告別式に1千人 ―鹿児島市

2019年04月25日

地域

大勢の参列者が花を手向けて保岡興治さんの遺徳をしのんだ告別式=24日、鹿児島市の吉田葬祭

大勢の参列者が花を手向けて保岡興治さんの遺徳をしのんだ告別式=24日、鹿児島市の吉田葬祭

 【鹿児島総局】今月19日に79歳で亡くなった元自民党衆議院議員、保岡興治さん=宇検村出身=の告別式が24日、鹿児島市内の斎場でしめやかに行われた。政財界を中心に県内外から約1千人が参列。法相や衆議院憲法審査会長などを歴任し、政策通として奄美や鹿児島県の振興発展に力を尽くした保岡さんの冥福を祈り花を手向けた。

 

 保岡さんは1972年に衆議院奄美群島区で父・武久氏の後継として初当選し、衆院議員を通算13期38年務めた。法務行政にも精通し、2000年7月から12月まで第2次森内閣、08年8月から9月まで福田改造内閣で法相を務めた。

 

 小選挙区制度移行前の衆議院奄美群島区を巡っては、徳田虎雄元衆議院議員と激しい選挙戦を繰り広げた。これを踏まえ、議員立法による「選挙腐敗防止法」実現など選挙制度改革にも取り組んだ。

 

 告別式は自民党と保岡家の合同葬。葬儀委員長の森山裕党県連会長は「政局よりも政策の政治人生だったように思う。一つの曇りもなく誠実に政治に取り組んできた保岡先生はわれわれの誇り」と、国や郷土の発展に心血を注いだ保岡さんの足跡を振り返り遺徳をしのんだ。

 

 友人代表の弔辞では石原伸晃衆議院議員が、1990年代後半の金融危機の際に、大胆なプランを打ち出して対処した保岡さんの政治手腕を振り返り「何事にも屈しない政治姿勢は私たちの模範」と述べた。

 

 長男の宏武さんは、参列者への謝辞を述べるとともに「皆さんからの厚情をしっかりと受け止め、次は自分が父の分まで頑張り、父の志や夢に向かってまい進していく」と後継者としての誓いを新たにした。

 

 会場の外には保岡さんの入閣や旭日大綬章受章の記念写真のほか、60歳を過ぎてからも挑戦を続けたという錦江湾横断遠泳の記念写真などが並び、参列者が生前の保岡さんの姿を懐かしんでいた。