半世紀前の大和村津名久の暮らし、風景映す 山口出身の立道さん

2018年12月10日

地域

 集落に広がっていた水田。手作業で田植えする女性たち=1970(昭和45)年ごろ、大和村津名久(映像より)

集落に広がっていた水田。手作業で田植えする女性たち=1970(昭和45)年ごろ、大和村津名久(映像より)

 奄美市名瀬の民家に昭和40、50年代の奄美大島大和村津名久(つなぐ)集落を映した8㍉フィルムが残っている。撮影者は、山口県萩市出身で同集落に長く住んだ立道喜一さん(故人)。ホームムービーには八月踊りや豊年祭、公民館落成式などの祝事だけでなく、舗装前の道路を行き交う人々、田植えの様子などシマ(集落)の日常風景も収められている。

 

 立道さんは1900(明治33)年ごろの生まれ。福岡で津名久出身の池田シマさん(故人)と出会い、50年7月に来島、県道沿いで商店を営んだ。

 

 庭づくりや日曜大工、英語など趣味は多彩だったようだが、その一つが8㍉カメラの撮影だ。

 

 フィルムはモノクロ、カラーの約10本で、1本当たり10分程度の映像。青年会館(公民館の前身)前広場での豊年祭、子ども相撲や仮装行列で盛り上がる公民館落成式、正装した老若男女が道路や民家の庭先で八月踊りに興じる姿などが確認できる。道路は見物人で埋まり、待ちわびた晴れの日を楽しむ人々の笑顔が印象的だ。

 

 また、稲作が盛んだった当時は集落奥に水田が広がっており、映像では肩からテルを下げた人々が並んで田植えする様子もみられる。68年の皇太子夫妻来島時は名瀬市(現・奄美市名瀬)へ出向き、歓迎する市民の姿や市街地の風景を収めた。

 

 本土出身の立道さんにとって、奄美独特の文化は新鮮に映ったのだろう。後年、フィルムを譲り受けた親戚の男性は「珍しいことがあればすぐに映しよった。興味があったのかもね。家族の思い出や集落の風景など懐かしい映像ばかり。よく残してくれたと思う」。

 

 立道さんは83年12月に亡くなった。遺骨は島を離れることなく、シマさんと共に集落墓地で眠っている。

 

撮影した立道喜一さん

撮影した立道喜一さん