喜界村赤連 表記板発見 遺骨保管箱の一部か 研究者収集物持ち出し問題 京大、ごみ集積所に放置

2018年12月04日

地域

京都大学で発見された遺骨保管箱の一部とみられる板(ピリカ全国実行委員会・関西撮影)

京都大学で発見された遺骨保管箱の一部とみられる板(ピリカ全国実行委員会・関西撮影)

  旧帝国大学の人類学者らによる奄美大島や喜界島、徳之島の風葬墓などからの遺骨持ち出しに絡み、喜界島の遺骨を保管していた箱の一部とみられる板が京都大学のごみ集積所から見つかっていたことが3日までに分かった。板は現在、沖縄県の市民団体が保管しており、奄美の「京都大収蔵の遺骨返還を求める奄美三島連絡協議会」が年内にも引き取り、年明け以降、保管方法などを検討する方針だ。

 

 遺骨保管箱の一部とみられる板は2014年11月に同大学の学生が見つけた。その後、一時、アイヌ民族の遺骨返還運動支援組織が保管していたという。板には「大隅國大島郡喜界村赤連ダンムチノ下」の文字と、遺骨4体分の標本番号とみられる数字が記されている。

 

 旧帝国大学の研究者による遺骨持ち出し問題では、北海道や南西諸島から遺骨が持ち出されたとして住民団体が返還を求める運動を展開している。

 

 奄美でも、京都帝国大学(現在の京都大学)の清野謙次教授らが1933~35年にかけて奄美大島、喜界島、徳之島で遺骨を収集し、大学に寄贈したことが文献などで分かったとして、学識経験者らが今年3月、遺骨返還を求める要望書を同大学に送った。これまでに回答はないという。

 

 遺骨保管箱の一部がごみ集積所から見つかったことについて、奄美三島連絡協議会の大津幸夫代表は「祖先の遺骨を収めていた箱をごみ扱いされたことに怒りを覚える。収集した遺骨の現状も含め、京都大はしっかりと説明すべきだ」と指摘。協議会事務局は▽保管箱の一部が発見された経緯▽箱の中にあった遺骨の行方と保管状況―の2項目についての質問状を11月19日付で京都大に送付した。

 

 南海日日新聞も同大学に対し、同協議会の質問状への対応などを問い合わせているが、3日までに回答はない。