新生丸遭難事故から68年 住民らが慰霊祭

2021年02月05日

地域

慰霊碑に手を合わせる参列者ら=4日、知名町屋子母

慰霊碑に手を合わせる参列者ら=4日、知名町屋子母

   【沖永良部総局】1953(昭和28)年2月4日未明に沖永良部島の知名町屋子母沖で沈没した旅客船「新生丸」(18・5トン)の犠牲者慰霊祭が4日、屋子母集落(青木経二区長、122世帯196人)の慰霊碑前であった。地域住民ら約20人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。

 

 屋子母集落は、遭難事故から60年の2013年から毎年同日に慰霊祭を開催。14年には、島民や出身者から協力、寄付を得て集落内の越之山神社境内に慰霊碑を建立した。

 

 今年の慰霊祭は、午前6時に始まった。参列者は読経の中で焼香した後、全員で黙とうをささげた。青木区長(66)は「新生丸遭難事故の歴史を後世に伝えるため、今後も慰霊祭を続けていきたい」と話した。

 

 知名町誌などによると、新生丸は定員51人を上回る82人が乗船し沖縄県那覇市から知名町小米港へ向けて航行中、高波を受けて沈没した。生存者は2人で、乗員乗客80人が死亡・行方不明となった。当時は奄美群島が米軍統治下にあり、沖縄へ出稼ぎに行く島民も多く、新生丸には旧正月に合わせて帰省する人らが乗船していた。