日本復帰記念の日のつどいに900人参加

2018年12月26日

地域

石段に並び断食悲願の詩を朗読する名瀬小学校の児童たち=25日、奄美市名瀬

石段に並び断食悲願の詩を朗読する名瀬小学校の児童たち=25日、奄美市名瀬

当時使われた円形テーブルの横に立ち歴史継承への決意を語った金久中2年生の喜村健太さん=25日、奄美市名瀬

当時使われた円形テーブルの横に立ち歴史継承への決意を語った金久中2年生の喜村健太さん=25日、奄美市名瀬

  「奄美の幸と繁栄を断乎(だんこ)と守らん民の手に」―。奄美群島が1953(昭和28)年12月25日に日本復帰してから65年。復帰運動の中心地となった奄美市名瀬の名瀬小学校で25日、「日本復帰記念の日のつどい」があった。復帰運動の経験者から戦後世代の一般市民、小・中・高校生まで約900人が参加。無血の民族運動を成し遂げた先人の偉業をたたえ、歴史の継承と古里の発展に決意を新たにした。

 

 名瀬小学校敷地内の石段(市指定文化財)は米軍政下時代、決起集会などで使われ、奄美の復帰運動の象徴として知られる。この日は当時集会の演説で使われた円形テーブル(同)も壇上に設置された。

 

 国歌斉唱、献花に続き、全員で「日本復帰の歌」を斉唱。朝山毅市長は「命の危険を顧みず団結して祖国復帰を果たした先人たちの努力を後世へと語り継がなければいけない」とあいさつした。

 

 児童生徒らへの講話で、元鹿児島県議会議員の奥山恒満さん(89)が当時を振り返り「皆さんのじいちゃん、ばあちゃんたちの苦労を忘れず、先生の教えをよく聞いてしっかり勉強してください」と語り掛けた。

 

 石段に並んだ名瀬小6年生の児童と来場者らは「断食悲願」の詩を朗読。感想発表した金久中2年生の喜村健太さんは「密航船で教科書を手に入れた先生や陳情のために本土に渡った人など、先人たちへの感謝の気持ちをずっと心に残したい」と述べた。日本復帰祝賀の歌「朝は明けたり」を斉唱し、最後は万歳三唱で締めくくった。

 

 つどいは奄美市と民間団体でつくる実行委員会が主催。戦後の記憶が薄れる中、次世代への継承を重視して司会進行は名瀬中学校2年生の田代豊秀さん、郁天華さんが務めた。

 

 復帰65周年の節目に合わせ、参加者にはクリアファイルと缶バッチ、当時の様子を伝える写真冊子などが配布された。奄美市は25日からホームページで奄美群島日本復帰の概要を記した年表や、当時を知る市民へのインタビュー記録映像を公開している。