「縄文文化のフロンティア」 天城 下原洞穴遺跡の謎に迫る 鹿児島市でシンポ

2023年07月11日

芸能・文化

パネルディスカッションなどで「下原洞穴遺跡」の謎に迫ったシンポジウム=8日、鹿児島市

天城町西阿木名で見つかった先史時代の遺跡「下原(したばる)洞穴遺跡」の謎に迫るシンポジウムが8日、鹿児島市の鹿児島大学郡元キャンパス稲盛会館であった。最新の研究成果などを踏まえ、専門家らが遺跡の歴史的意義や魅力について解説。パネルディスカッションでは「徳之島は縄文文化のフロンティアであり、他の地域ではみられない文化が生まれていたのではないか」といった見解が示された。

 

下原洞穴遺跡では3万年~3600年前の遺物1万点以上が発掘されており、約1万7千年前のものとみられる炉跡からは、アマミノクロウサギを捕獲して食べていたことを示す骨なども見つかっている。琉球列島の先史時代には約2万年~7千年前までの期間、人が暮らした痕跡が見つからない「空白の1万年間」が存在し、この空白を埋める発見が相次ぐ下原洞穴遺跡は研究者の注目を集めている。

 

シンポジウムは同遺跡のこれまでの研究成果を県民にも広く知ってもらい、国史跡指定への機運醸成も図ろうと、天城町と同町教育委員会が主催した。

 

パネルディスカッションでは、それぞれ研究発表した竹中正巳氏(鹿児島女子短期大学教授)、高宮広土氏(鹿児島大学国際島嶼(とうしょ)教育研究センター長)、土肥直美氏(元琉球大学医学部准教授)、森先一貴氏(東京大学大学院人文社会系研究科准教授)、山崎真治氏(沖縄県立博物館・美術館主任学芸員)、堂込秀人氏(鹿児島県立埋蔵文化財センター)がパネリストを務めた。

 

「下原洞穴遺跡で暮らした人々は孤立していたのではなく、ネットワークを使って常に島内外の情報を持っていた」「奄美と琉球はまったく同じではなく、文化的な個性は奄美で古い時代からあった」「小さな島で人類がどのようにして持続可能な形で存在したかについても議論すべき」などの意見があり、来場者は当時の人々の暮らしに思いをはせるとともに、今後の新たな発見と真相の解明に期待を寄せた。