50年代以降の奄美と沖縄を考察 沖縄社会学会」奄美で初開催

2023年11月19日

芸能・文化

50年代以降の奄美や沖縄について研究報告や意見交換をした(右から)佐藤量博士、森紘道さん、野入直美教授=18日、奄美市名瀬

沖縄社会学会第6回大会(同学会主催)が18日、奄美市名瀬のアマホームPLAZA(市民交流センター)であり、奄美群島日本復帰70周年を記念した特別企画シンポジウム・パネルディスカッションが行われた。テーマは「〈奄美─沖縄〉から1950年代を問い直す」。戦前戦後から米軍統治下、復帰にかけての歴史的背景を踏まえ、奄美と沖縄のつながりや共通点、相違点などについて意見を交わした。

 

同学会は沖縄県で毎年行われ、奄美での開催は初。奄美郷土研究会が共催した。午前の第1部では個別報告があり、全国の研究者らが軍政下の奄美や沖縄、米軍基地への意識などをテーマに発表した。

 

午後の第2部はシンポジウム・パネルディスカッションがあり、約50人が来場。リモートで約100人が参加した。奄美郷土研究会世話人の森紘道さん(75)と立命館大学客員研究員の佐藤量博士(46)、琉球大学人文社会学部の野入直美教授(57)が研究内容などを報告した。

 

森さんは復帰直後の奄美から沖縄に移住した自身の経験を基に、50~70年代の沖縄の状況を説明。米国民政府による土地収用令や米兵が関与した事件事故の頻発など「米軍の占領者意識が丸出しに感じられる社会だった」と語った。

 

佐藤博士は、奄美市笠利町出身で50年代に沖縄で基地建設労働者の救済を求めるストライキを主導した林義巳について報告。林は44年に満州に渡り、終戦まで鉄道工場の技術養成所で学んだ。本人の回想録に、中国人労働者との交流や「ストライキ」の概念との出合いに関する記述があることから、「満州で植民地の権力関係を目の当たりにしたことが、沖縄での運動に大きく影響したのでは」と考察した。

 

野入教授は、奄美群島の日本復帰前に琉球政府の副主席・立法院議長を務めた瀬戸内町加計呂麻島出身の泉有平について解説。奄美復帰後、沖縄で「非琉球人」となった奄美籍の人々の永住権取得への尽力や、日本政府南方連絡事務所の次長として模範農場を設立した功績などを紹介し、泉を「復帰運動とは異なる文脈で奄美と沖縄、日本と関わりながら、離島の開発や経済的自立を目指した人物」と位置付けた。

 

意見交換では、登壇者と来場者が研究報告に関する質疑応答を通して活発な議論を繰り広げたほか、満州引揚者で「非琉球人」として沖縄で暮らしたことがある来場者が自身の経験などを共有した。